月とべっぴん

ましろ

月とべっぴん

むかしむかし、あるところに化かし勝負をしている狐と狸がおりました。2匹ともそれはもう負けず嫌いで、毎日のように化けては人間を驚かせておりました。今日も一化け、近所の子供をのっぺらぼうで脅かしてみせた狐は岩の上に寝そべり、誇らしげに毛繕いをしています。ふと顔を上げ、がさりと揺れた茂みに目をやれば、そこから出てきたのは額に大きなこぶを携えた狸でした。

「なんだい狸、随分とまァ男前になったじゃないか」

「うるさいな、今日はたまたま調子が悪かっただけさ。それに!これでも田中んとこの婆さんは腰を抜かしたんだぞ」

「へェ…そりゃあ大したこったねぇ。腰は抜かせたが目は誤魔化せなかったってェわけだ。肝心なところで詰めが甘いのがなんともお前らしい。あたしだったらそんな恥を晒した日にゃあ葉っぱにでも化けて飛んでいくね」

狐は心底憐れんだように話しておりましたが、その口元は嘲り笑うように弧を描いていました。しかしそんな煽りは慣れたもの。狸はため息を吐き、狐を見上げて言いました。

「そういうお前だって先日しくじって子供に追い回されたそうじゃないか」

狐はぎくりとしました。なにせ本当にバレて子供達に追い回されたのです。しかし言われたままでは終わりません。狐は負けじと言い返します。

「そ、それは先日の話だろう。あたしは今日の話をしてるんだ、悔しいからって八つ当たりされてもねぇ」

気にしていない風を装った狐でしたが、あっちへゆらゆらそっちへゆらゆら、所在なさげに揺れる尻尾を見れば動揺しているのは一目瞭然でした。

「…ところでお前、お月さんにはなれそうかい」

「うっ、うるさいな」

今度は狸がぎくりとしました。実はこの2匹には、それはそれは大きな夢があるのです。

「今はまだ月にはなれないが、別の生き物には化けられるようになったんだぞ」

「ほう、何になれるんだい」

「すっぽんだ!」

どん、と胸を叩き自信たっぷりに狸は答えます。

「……なんと、それは素晴らしい!自ら月とすっぽんを体現したのかい、それじゃァいつまでたっても月にはなれないだろうねェ」

狐は狸を見下ろしながら、耐えられないという風に肩を震わせて笑います。毛を逆立てて元来のどんぐり目を細く吊り上げた狸は

「お前だって、絶世の美女とやらにはなれていないじゃないか!そういうことは自分が出来てから言うものだ!」

と叫ぶように怒って住処へ帰って行ってしまいました。狐はそれを見ながら肩を竦めて息を吐きます。この化かし勝負を始める前から狸は月に、狐は絶世の美女になるという目標があるのです。

「まァ、あたしの方が優秀なんだ。狸に先を越されることはないだろう」

狐はふん、と鼻を鳴らして毛繕いを続けました。


 次の日、狸は現れませんでした。約束をしているわけでもない2匹が顔を合わせるのは本当に偶然で、会わなかった日は少しだけ、ほんの少しだけ退屈なのです。明日狸に会ったらどうからかってやろうかと考えながら狐は眠りにつきました。しかし次の日もそのまた次の日も狸が姿を見せることはありませんでした。なんだか人を化かす気にもなれず、狐は散歩に出かけました。

村の麓まで来た頃でしょうか、ふと視界に見慣れない男を捉えた狐は立ち止まり、木の影からそっと様子を伺います。森から戻って来たであろうその男はいかにも屈強そうで、狐らが最も嫌う鉄と火薬の香りを纏っておりました。

(獣狩りかね…見たことのない顔だ。鉢合わせにならなかったのは幸運だったね…狸にも教えてやらないと。あれは鈍臭いからすぐたぬき鍋にでもされて食われちまうよ)

散歩を切り上げ、住処へと足を向けた狐でしたが近ずいてくる村の女らの声に、見つかっては面倒だと草陰に小さく丸まってやり過ごすことにしました。しばらくすれば案の定、きゃいきゃいきゃあきゃあと狐の子のようにはしゃぐ年若い女が2人、目の前を通っていきます。

「…ねぇ、見た?今の男」

「見た見た!あれが例の旅人さんね」

「男前だよねぇ…でも仕立て屋のお嬢さんにぞっこんで、毎日通いつめてるんだとか」

「たしかに、あの子べっぴんさんだものねぇ」

「あんないい男に好かれるなんて羨ましいわ、だって村の男衆なんてむさ苦しい鼻たれしかいないじゃない!」

「ふふ、たしかにそうだけど…でもあの人、子供を脅かそうとした化け狸を背中の銃でばん!と撃ち殺してしまったらしいわよ…そのまま焚き火で――」

「やだ!あたしそういう話苦手なのに!やめてよ」

笑いながら軽い足取りで森へ向かう女らを狐は呆然と見つめていました。…今、なんと言ったのか。狐は理解ができませんでした。そんな、そんなはずはない。あのしぶとい狸がこんな簡単にくたばるはずがない。そう心の中で自分に言い聞かせてもざわざわとうるさい胸騒ぎは一向に収まってくれません。

(確かめなければ。)

この目で確かめるまでは、絶対に信じるものかと奥歯をきつく噛み締めた狐はするりと草陰から出て村へと歩きだしました。

男の家は案外すんなり見つかりました。今の今まで空き家になっていた家の扉が開き、中に布団が置いてあったからです。狐は誰にも見つからないようにそぉっと中を覗き見ました。乱雑に脱ぎ捨てられた履物に、洗われずに放置された包丁や鍋、雑把に畳まれた布団…そして最後に囲炉裏を確認しようと動かした琥珀色の瞳は、こぼれ落ちてしまいそうなほど大きく見開かれました。部屋の隅に立てかけられた鉄砲の横、まるで勲章のようにその壁に掛けられていたのは――。


そこからどう帰って来たのか、狐はよく思い出せませんでした。しかし毎日毛繕いを欠かさず、絹のような触り心地であったはずの美しい毛並みは今や見る影もなく、その金色は血に塗れておりました。片目は潰れ、火薬の匂いを纏った狐を森の獣たちは息を潜めてじっと見つめています。覚束ない足取りの狐に、森の奥から誰かが話しかけました。

「やい性悪狐、そんな汚らわしい格好で彷徨くなんてどういうつもりだ!」

「…うるさいねェ、こちとら腸が煮えくり返ってるんだ。腕の肉を噛みちぎったくらいじゃァ足りない…もっと、もっと狸の痛みを味あわせてやらなきゃ気がすまないんだよ」

燃えたぎるような怒りを抱え、痛む足を動かす度に先程の光景が鮮明に思い出されます。家の奥から顔を覗かせた男の面が。赤に霞んだ視界の中、鼻先まで迫った喉笛が。痛みを凌駕するほどの怒りが。ざわざわと五月蝿い野次馬を尻目に、狐は住処へと歩みを進めました。

見慣れた場所に腰を下ろし、先程より幾分か冷静さを取り戻した狐は、改めて狸の姿を思い出します。もしかしたらあれは違う狸で、本当は生きているんじゃないか。そう思いたくてもそれなりに共に過ごしてきた狐にはあれが本物以外のなにものでもないのだと、わかっていました。

「まったく、これだから狸は嫌いなんだ。せっかくあたしが勝ってたのに、これじゃァ決着がつけられないじゃないか…ほんとに、馬鹿なやつだよ…」

狐は泣きました。大きな声で泣きました。雲が流れ、空が赤く染まってだんだんと太陽が沈み、大きな月がてっぺんに昇るまで大嫌いな狸のために涙をこぼしました。本当は…本当は大切な友人だったのです。ひねくれ者の狐が唯一気を許せる友人だったのです。悲しくて涙が出るのか、傷が痛くて涙が出るのか、もうどちらなのかもわからなくなるほど泣いた頃、ふと静かな川の水面に輝くものが見えました。ゆったりとした動作で顔を上げれば、そこにあったのはまん丸の美しい月でございました。目を細めた狐の目尻からは新しい涙の玉が1粒こぼれ落ちて、血に染まった身体に溶け込んでいきました。

「今日は、月が綺麗だねェ…ああ、もしやお前なのかい狸よ。お前はお月さんになれたのかい」

(狸の夢は、叶ったのだろう。今夜の大きな美しい月がお前なのだろう。きっとそうに違いない。)

参った、降参だよ。勝負はお前の勝ちだ。こんなに綺麗な月を見たのは生まれて初めてだよ。伝えたかった相手はもういませんでしたが、それでも届けばいいと祈りを込めて狐は月に鳴きました。

「なんだか勝ち誇った顔のお前が見える気がするよ、見てな。あたしだってお前の隣に堂々と立てる化かし屋になってやるさ」

なによりも固いその決意に呼応するかのように月は一層輝きを増したようでした。


ある夜のことでございます。薄暗い道を1人、旅人が歩いておりました。すると後ろからか細い女の声が聞こえます。

「ねぇちょいと、そこの旦那」

「ん、俺の事かい?…おっとこりゃあ、えらいべっぴんさんだ。何かな」

そこには暗闇でもわかるほどに大層美しい女が立っておりました。女はするりと旅人に身を寄せると伏し目がちに言いました。

「ちょいとそこまで送って行ってほしいんだよ。ほら、最近は狸だの狐だのが化けて出るらしいじゃないか…ひとりだと恐ろしくてねェ」

「なんだ、そんなことかい。だったら俺に任せておきな!あんたはえらいべっぴんさんだからなァ…狸だろうが狐だろうが俺がこいつで撃ち殺して鍋にして食わせてやらァ」

男は背中に背負った銃に視線を移し、どんと胸を張りました。女は美しい笑みを一層深めると、カラコロと下駄を鳴らします。

「よかった、旦那は頼もしいねェ」

「だろう?腕にはちょっとばかし自信があるのさ。それに――ここらの狸なんざ、尻尾を隠すのも忘れるようなまぬけばっかだからなァ」

ガハハと大きな声で笑う様を女は先程と何一つ変わらぬ笑みで見つめていました。

さて、それからどれほど歩いたのでしょうか。だんだんと深くなる闇に家などあるのかと不審に思った男が声をかけようとすると、唐突に女が話し出します。

「ところで旦那、知ってるかい?」

振り返った女の眼は月の光に照らされて真金まがねのように輝いておりました。まるで、獲物を狙う獣のように。

「狸より、狐の方が化けるのは上手いんだ。ちゃァんと"人"に見えてただろう?」

そう言って妖艶に嗤った女は。狐は、悲鳴ごとぺろりと喰らってしまいました。


 むかしむかし、あるところに獣狩りの男がおりました。勇敢で素直な男でしたがある日を境にぱたりと姿を見せなくなりました。

山にかかる大きな満月は未だ欠けることなく、その傍らでは美しい毛並みの狐が高らかに遠吠えを響かせるのでした。

めでたしめでたし。

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月とべっぴん ましろ @siro_12

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