賢者の曲解

翡々翠々

第1話 最初で最後の挑戦

 菅原スガワラ アマツは限界を迎えていた。

 壮絶な就職戦争にことごとく惨敗し、外面だけは良かったブラック企業にまんまと捕まって早一年。

 業務のぎの字も知らない上司のパワハラ、営業のノルマを達成するためだけの無茶な納期、一向に支払われない給料、どんどん壊れて消えていった同僚達。

 既に身も心もボロボロだった。


「よし、辞めよう」


 そう決意してからの行動は、アマツの23年の人生の中でもトップクラスに迅速だったと言っていい。

 夜通し書きなぐった退職届を始業時間早々に上司のデスクに叩きつけ、反応を伺うことなく会社から逃走。

 上司の番号を着信拒否設定にし、自宅のベッドにダイブ。

 実に一週間ぶりのまともな睡眠であった。


「……これからどうすっかな」


 シーツの上の泥と化して三日が過ぎ、ようやく正気を取り戻したアマツの頭の中は、金を稼ぐことでいっぱいだった。

 就職してからというもの、金を使う機会などコンビニ弁当と栄養ドリンク以外にほとんどなく、ある程度の貯金はある。

 しかし、所詮は給料未払いが当たり前だった社畜の中の社畜。

 一寸どころか闇しか見えぬ未来である。


 実家に帰るわけにもいかない。

 そもそも、アマツは実家との関係を完全に絶っていた。

 代々医者や経営者、大学教授などを輩出し続ける名家である菅原家にとって、名も知らぬ三流大学にしか届かなかったアマツは、家歴に存在してはいけない汚点。

 その名を会話に持ち出すことすら禁じられた、忌まわしき塵だった。


 正直、働く意思は無い。

 全くと言っていい程に無い。

 しかし、生きていくには金がかかる。


「やっぱ、これしかねぇよなぁ………」


 アマツの握るスマートフォンに表示されているサイトには、派手な強調を施された『探索者募集!!!』の文字。

 画面に指を滑らせると、フリー画像をそのまま貼り付けたようなチープな造りの記事が流れてくる。

 そこには、若者の承認欲求を煽るような文言と共に、ダンジョンの歴史がつらつらと綴られていた。






 半世紀前、後にダンジョンと呼ばれる超常の空間が世界中に出現した。

 物理法則を完全に無視した謎の現象に、各国が対応を協議する中、いち早く行動を起こしたのは、なんと日本。

 理由は至極単純、ファンタジーな展開には慣れきっていたのだ。

 現実世界にダンジョンが出現したならば、剣と魔法をもってモンスターを刈ることになるだろうというお約束を信じ、日本政府は自衛隊を各地のダンジョンに派遣。

 その結果、いくつかの大きな収穫をするに至った。


 まずはステータスの存在。

 隊員達がダンジョンに入った段階で自身にのみ見える半透明の画面が空中に現れた。

 名前といくつかのパラメーター、レベルやスキルの表記など、予想されていた項目が確認された。

 そしてなにより、モンスターの出現。

 暗い緑色の肌を持った人型生物の頭の上には、ゴブリンと書かれた半透明の画面。

 突然の邂逅に驚いた隊員が銃を構えるも、いくら引き金を引いても弾は出なかった。

 銃火器が使用できないというお約束を最悪のタイミングで回収した隊員であったが、ナイフによってなんとか勝利を収める。

 すると、頭の中に鳴り響くレベルアップを告げるアナウンス。

 スキルポイントでスキルを習得したその隊員は、以降の探索で筆頭戦力として活躍した。






「どこのファンタジーだよって感じだよな……」


 突如現れたダンジョン、そこに産まれるモンスター、未知の資源に非科学的な力。

 未だに信じきれないという思いもあったが、今のアマツに取れる手段はこれしかない。

 今すぐ始めることができて、尚且つ高所得のチャンス。

 命の危険があるといえども、毎日オフィスで死にかけていたアマツにとっては、デメリットになり得ない。

 ただ、一つだけ。

 アマツが探索者の道へと中々歩き出せない理由があった。

 それは恐怖。

 自身の最後の逃げ道である、探索者としての才能も無いと分かってしまうかも知れないこと。

 いくら諦観溢れるアマツと云えども、それは耐えられない。

 最早、存在意義を見つけられない。

 しかし、これ以外の手は無いのも事実。


「……………これが最後だな」


 結局、アマツは探索者になることに決めた。

 もしも才能がなければ、塵が一つ掃除されるだけなのだから。

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