第6話 マントはマント

 ほの暗い地下牢で、太郎がクラリッサに馬乗りでド突きまわされている頃、地上では別の騒動が起きていた。


 女神を絶対的な崇拝者として、日々人々が平和に暮らしていけるよう祈りを捧げてきた聖女リリアナ。多くの聖女は生涯を女神への祈りに捧げながらも、その御声を一度も聞くことなく役目を終える者がほとんどだ。リリアナも先ほどまでは、自分もそうなると思っていた。

 しかし、いつもと同じように祈りを捧げていると、突然それは起きた。


 バン! と大きな音を立てて、神殿の扉が勢いよく開かれた。


「急ぎますよ! 貴方は王都へ向かい、陛下に勇者様が降り立たれたことを伝えなさい! 残りは私と共に!」


 女神から勇者太郎の手助けをするようにと、神託が下されたリリアナの頬には感涙の後があった。少し目を赤く染めた彼女は、数人の側近の者を従えて神殿を飛び出すと、足早に歩き始める。


 聖女の証でもある白銀の法衣が風に揺れ、金糸の刺繍が入ったマントがふわりと舞う。リリアナは豊かな胸元をやや抑えるように手を添えながら、銀髪が風で乱れるのも気に留めずに地下牢へと急いだ。


「聖女様、お待ちください!」


 灰色の法衣を纏った側近の者が先頭を行くリリアナに言うが、彼女は止まる気配を見せず、あろうことかさらに加速した。


「私たちを魔物から救う手助けをしてくださる勇者様が、牢に囚われているなど、あってはならないことです!」

「っ、ですがどの牢におられるか分からない今、聖女様は神殿でお待ちになられたほうが――」

「心配には及びません。女神様より聞いています」


 聖女が女神に関して嘘をつかないのは誰もが知っている。

 並走していた側近の男性は、それ以上なにも言わずに彼女の後ろを付いていくのだが、角を折れ大通りに差し掛かったあたりで、先頭を行くリリアナの速度が急に落ちた。


 聖女である彼女の顔や、白銀の法衣は有名で多くの人に知られている。日ごろは微笑みを絶やさず、穏やかな振る舞いで人々を癒す存在の彼女が、強張った表情と焦りを隠しきれない表情で道を駆けていれば、何か起きたと市民が思うに難くない。

 リリアナはすれ違う市民に笑顔で会釈をしながら平静を装っているものの、気は急いている。走ってはいないが、ずいぶんと早足で太郎がいる地下牢へと急いだ。



 地下牢にいる兵たちだが、まさかこんな場所に聖女リリアナがやってくるとは思っていないため、突然現れた聖女の姿に兵たちは驚きの声をあげた。

 ただ、兵たちに構っている余裕がないリリアナは、ずんずんと奥へ歩いていく。

 すると地下牢へ続く階段を降りたところで女性の怒声が耳に届いた。はやる気を抑えきれず、人だかりができている牢に駆けだすと、輪の外にいる一人を捕まえて、詳しい話を聞いた。


「これは一体何の騒ぎですか」

「せ、聖女様。どうしてこのような場所に!?」

「勇者様が手違いで捕らえられている、と」

「えっ、あの昔話や物語で有名な勇者様がですか?」


 驚いた表情を見せる警備兵。

 きょろきょろと辺りの地下牢を見回すが、兵士の知る限りで昔話に登場する、悪を打ち払うような勇ましい勇者には残念ながら心当たりは無かった。


「聖女様の勘違い……ではないでしょうか? 今、南門地下牢に入れられているのは一名だけですので」


 まさか、と思う前にすでにリリアナの身体が動いていた。兵たちに比べて小柄なリリアナが、必死に身体をねじ込むようにして前に進んでいく。

 この聞くに堪えない罵詈雑言は、一体誰に向けて放たれているのか。


「どいてください!」

「道を開けろ!」


 側近たちもリリアナが前に出るのを手伝うと、次第に人が割れて視界が開けていく。

 そして、仰向けに倒れた黒髪の男性の上に、馬乗りで罵声を浴びせているクラリッサの姿が見えた。

 さすがに怒りのピークは過ぎ去ったようで、拳は振り下ろされていなかった。


「あの黒髪は、まさか勇者様!? クラリッサ! 何をしているのですか! おやめなさい!!」


 急いでクラリッサを止めに駆け寄るリリアナだが、偶然にも太郎の頭は通路側を向いていた。さらに馬乗りになっているクラリッサの身体で、太郎の下半身が上手いこと隠れている。

 そのためリリアナには、一方的に罵声を浴びせられる勇者にしか見えなかった。

 駆け寄ってきたリリアナを一瞬だけ見たクラリッサだったが、太郎から降りようとはしない。


「この男は! 勇者の名を語る変態だぞ! こんな奴があの勇者な訳ないだろ!」

「だから、本当だって言ってるだろ!」


 何発も拳で殴られているのに平然とする太郎を見れば、防御力が上がっていると気づきそうだが、クラリッサは冷静さを欠いていて気づかない。


「勇者様に何てことを言うんです! この方は女神様に選ばれし救国の勇者なのですよ! 貴方は昔から血の気が多すぎます!」


 リリアナが半ば突き飛ばすようにクラリッサを押す。鍛えているクラリッサが、リリアナに突き飛ばされたぐらいではビクともしないが、張り合うつもりは無いようで、すぐに後ろに飛び退いた。

 

「なんてひどいことを……。お怪我はありませ……ん……え…………?」


 すぐに太郎のそばに膝をつくと、怪我の有無を確認するリリアナだったが、ぴたりと動きが止まった。全くの無傷だったことにも驚いていたが、それで動きを止めた訳ではない。この時、初めてリリアナは、仰向けに寝ている太郎の全身を視界に収めた。


「きゃああああああああっ!!!!」


 顔を真っ赤に染めながら勢いよく振り向いて顔を手で覆った。聖女の悲鳴に反応した側近の者たちが何事かと身構えるが、太郎の姿をみて戸惑っていた。


「……彼が勇者……ですか?」

「まさか……え、あれが……?」


 勇者を迎えに行くと言われ、捕らえられているとも聞いていたリリアナの側近たちは、目の前で仰向けに寝ている太郎が勇者とすぐに理解した。だが、にわかに信じられないと言った様子でもあった。

 地下牢の床に、しかも手枷をはめられて、全裸で仰向けに寝ているのだ。信じるには無理があるが、聖女リリアナが言うのだから信じるほかない。

 

 その勇者はと言うと、リリアナのような反応をされると、さすがに恥ずかしいのか、いそいそと寝返りを打ちながら泣きそうな顔でぼやく。


「なんなんだよこの世界……誰か変わってくれ……」


 地下牢は混沌が渦巻いていた。


「な、な、な、なぜ裸なのですか!?」

「さっき女神の神殿で、服を脱いで……」


 太郎は上半身を起こして、両手で何とか股間を隠しながら正直に答えたが、当然納得しないものがいる。


「この期に及んでまだ言い張るとは……」


 一歩前に出るクラリッサをリリアナが制した。


「女神様が仰ったのです。この方が勇者であると。聞いていた特徴とも、その……一致します。――とりあえず、これでどうかお隠しに……」


 リリアナは背を向けたまま身に着けていたマントを外して太郎に渡した。それは白銀の法衣に合わせた白色で、神殿のシンボルマークが刺繍されており一目で高級品と分かる。

 手に取った太郎は、シルクのように柔らかい滑らかな手触りに驚いていた。


 皆が太郎に背を向けて配慮する。太郎は手枷をされているものの、器用にマントを身に着けた。


「着たか?」


 落ち着きを取り戻したクラリッサが、衣擦れの音が鳴りやんだころで太郎に問いかけた。


「はい。一応つけました」


 クラリッサとリリアナが振り返ったのだが、


「腰に巻け! 馬鹿!!」

「なんでちゃんと背中に着けているんですか!!」


 両者の声が地下牢内にこだました。


 なんと太郎は、マントをマントとして着用していたのだ。マントとしては正解だが、この場では不正解だ。本来、肩に止める金具部分同士を、首の前で結んで落ちないようにしている。

 そして問題の股間だが、そこは両手でしっかり隠しており、こうして全裸マントが出来上がった。

 背後から見ればそこまで違和感は無いが、正面から見ればどれだけ歪な格好かが分かる。


 しかし、太郎には太郎の言い分があるようで、なぜこうなったかを説明し始めた。


「いや、なんかこのマントって、すごいキレイで立派じゃないですか。高級品っぽいですし……。パンツ代わりに腰に巻くのって、なんか申し訳ない感じがしちゃって……」


 変なところで遠慮がちに気をつかう太郎だったが、その気遣いを見せるのは今ではない。


「おい……本当にあれが勇者かよ……」

「知るかよ。聖女様が言うなら……そうなんだろ……」


 警備兵たちも小声で話す中、クラリッサが赤面したまま太郎の前に歩み寄った。


「失礼します……」


 背中に垂れ下がっているマントをぐるりと回して、胸の前に持ってくると腕の中を通してエプロンのようにした。これで何とか面と向き合って話ができる状態になったが、エプロンと違って腰ひもが無いため非常に不安定だ。動けばアウトである。

 さらにリリアナのサイズで作られたマントは、太郎からすれば丈が足りない。本当にぎりぎりだった。本当に。


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