Utility Player ~野球界を引っ掻き回す男~

Wildvogel

第一章 山取東高校一年

第一話 「あの渡さんの弟だよね?」

一仁かずひと君だよね?」


 四月十日、山取東高校体育科野球コース、一年二組の教室内で一人の男子生徒が尋ねる。


 渡一仁わたりかずひとは目の前に立つ鈴川雅彦すずかわまさひこの言葉に「うん」とこたえ、頷く。


「俺のこと、知ってたの?」


 一仁が尋ねると、雅彦は「うん」とこたえ、笑顔を見せる。


「中総体で、一仁君がプレーしているところを見たことがあるんだ。『こんな選手がいるんだなあ』って思いながら見てたよ。それに……」


 雅彦はその先の言葉を発しようとしたところで、口を閉じる。


「『それに』……どうしたの?」


 一仁が問うと、雅彦はほんの数秒だけ目を閉じ、口を開く。


「苗字と、あの人にそっくりなピッチングフォームとバッティングフォームで『もしかしたら……』と思ってさ」


 雅彦は一瞬だけ寂しげな眼差しを作ると、一仁にさらに問う。


「あの渡さんの弟だよね?」


 やさしい風が教室の窓を叩く。


 音が止むと、一仁は雅彦の言葉に口元を緩め、首を縦に振り、ゆっくりと立ち上がる。


「三つ上の兄、渡正仁わたりまさひとの弟です」


 一仁がかしこまったようにこたえると、再びやさしい風が教室の窓を叩いた。


 

 一仁の兄、渡正仁は前年の夏の甲子園大会県予選決勝戦で、強豪の北東ほくとう学園高校を相手に、八回まで点を与えない素晴らしいピッチングを披露した。


 だが九回の裏、正仁はツーアウトながら満塁のピンチの状況に置かれた。


 カウントはスリーボール、ツーストライク。


 その六球目、正仁はこの試合での最速を記録した。


 だが、ボールをリリースした瞬間、正仁の右肘に強烈な痛みが走り、彼の野球人生はそこで終わりを告げた。



 雅彦は前年の山取東高校と北東学園の決勝戦を、スタンドで観戦していた。


「俺、あの試合の右肘を抑える渡さんの姿を見て、泣いちゃってさ……俺が山東やまとうへの進学を選んだ理由のひとつは、渡さんの姿に心を動かされたから」


 雅彦はそう話し、ゆっくりと目を閉じる。


 一仁は雅彦の言葉で、兄の偉大さを知った。



 甲子園常連の北東学園高校を八回まで無失点に抑えてきた正仁の姿は、球場に詰めかけた観衆、そしてテレビ中継の視聴者の心を動かした。


 県内の高校野球ファンで、正仁の名を知らぬ者はいない。


 

 窓の外では、太陽が輝きを増し、教室内に眩しい光を届ける。


 雅彦は光を浴びながらゆっくりと目を開け、笑顔で右手を差し出す。


「俺、鈴川雅彦。ポジションはセカンド。これからよろしくね、一仁君」


 雅彦のやさしい声に一仁は微笑み、ゆっくりと右手を差し出す。


「改めて、渡一仁です。どこでも守れることが唯一の武器。こちらこそ、よろしくね、雅彦君」


 二人は微笑み合うと、しっかりと握手を交わす。


 窓の外では、二人がチームメイトになったことを祝うように、桜の木の枝が風に揺れ、美しい景色を作り出した。

 

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