嫌な記憶はリセットで解消!?それなのに未来予知までオマケでついてきたんだが――気づいたら理想の人生シナリオが始まっていた件

@atushi_

第1話 白き楽園(エデン)



都市エデンは、白で塗り固められていた。


建造物は大理石めいた素材で統一され、角度も高さも同じ。

並木の枝葉は剪定され、すべてが同じ形を保っている。

噴水の水音さえ規則的に拍を刻み、整然と並ぶ市民の足取りまでが一様で、誰一人として列から外れる者はいなかった。


その理由はただ一つ。

一週間に一度訪れる**《リセット》**の存在である。


悲しみも怒りも、悔恨も恐怖も──すべて忘れ去られる。

市民は一定の周期ごとに「白紙の幸福」へと戻される。

そのため、エデンでは争いが起きず、犯罪は存在せず、誰もが笑みを絶やさない。


《エデン》──それは、幸福の牢獄。


かつての人類の歴史は、童話として語り継がれている。

「パルメニデスの剣を持つ勇者が運命を切り裂き、世界を救った」──誰もが子供のころに聞かされる昔話だ。

勇者は数多の試練を越え、闇を断ち切り、人々に永遠の安寧をもたらしたという。

その結末はいつだって明るく、幸福に満ちたものとして語られる。


そして人類は進歩を重ね、その果てに、この純白の都市エデンが築かれたのだと信じられている。

なぜ他の街ではなく、この地に楽園が生まれたのか。

なぜ人々が悲しみや争いから解き放たれているのか。

市民は誰も疑問を抱かない。


「リセット」──それが、この街を守る力の正体であると信じているから。

あるいは──疑問を抱く心そのものが、光に焼き払われているのかもしれないが。


柔らかな女声が空に流れる。全市民は一斉に歩みを止めた。


「――リセットの時刻です」


都市中に均等に響くその声は、誰が発しているのか分からない。

老若男女のすべてが、その声に従うことを当たり前と受け入れている。


アレンもまた、足を止めた。

黒髪に灰の瞳を持つ十八歳の青年。群衆の中でひときわ無口に佇む影だった。


広場の中央には巨大な水晶柱が聳えたつ。それを囲うように人々は跪いていた。

「浄化の光」と呼ばれるそれは、記憶を削ぎ落とすための機械だった。

群衆は皆、うっとりと仰いで

「これでまた、幸福に戻れる」

「今度はきっと、もっと素敵な日々になる」

と、誰もが希望に満ちた声を漏らす。


「浄化の光」のそばにリセットを取り仕切る最高司祭が人々に笑顔を向けながら、まるで「品定め」するように一人ひとりを眺めていた。その目が気持ち悪く、アレンは子供心に「この人だけは信用できない」と感じた。


鐘の音が街全体に響き渡る。低く重い響きが空気を震わせ、「浄化の光」が鈍い光を放ちはじめると、アレンの胸に冷たいものが広がる。

(また……だ)


だがアレンの心臓は、荒々しく脈打っていた。

忘れてはいけないものまで消されてしまう。

確かに、何かがあったはずなのに──その輪郭すら掴めない。

なにか大切なもの。

なにか失ってはいけないもの。

だが、思い出そうとするたびに、頭に霧がかかり、冷たい手に口を塞がれるように記憶が遠ざかっていく。


水晶柱が眩く弾け、白光が人々の瞳を覆った。


少年の意識もまた、闇に引きずり込まれていく。

最後に目にしたのは、光に照らされた人々の顔だった。






「おーい! アレーン?」


リセット明けの昼下がり。大通りを歩いていると後ろから声に呼ばれて、振り返ると手を振りながら歩いてくる幼馴染のライが立っていた。

銀に近い淡髪を持つ快活なライはいつも通りの笑みを浮かべている。


「お前、また寝坊かよ? リセット明けだってのに。これ母さんがおまえにって!」

「……ああ、いつもありがとな」


アレンは目をこすりながらライからパンを受取った。

頭の奥が空っぽのように軽い。

昨夜まで何を考えていたか、まるで霧に覆われて思い出せない。


(いや……本当に、何もなかったのか?)


「お前いっつもぼんやりしてるよなぁ」

「まぁリセット後だしな」

「そうか?俺は毎回リセット後って胸がすっきりするんだ。なんていうか……余計なもんがなくなったみたいでさ」


ライは快活に笑い、窓の外を指差した。


「街を見てみろよ。誰もが笑ってる。これがエデンのいいところだろ?」


窓の外では、市民たちが一様に微笑み、整然と歩いている。

昨日の苦しみも、怒りも、争いも、そこにはない。

ライがパンを齧りながら、窓際に寄りかかって言った。


「俺たちもさ、いっそ外に出てみるか?」

「なんだ?またいつもの悪ふざけか??」


アレンが眉をひそめると、ライは笑って肩をすくめた。


「ちげぇよ!…ほら、昔いただろ。外に行くんだって言ってたやつ。……結局、帰ってきてないけど…」


アレンは小さく息を吐いた。

「……帰ってきてないってことは、そういうことなんだろう」


そう口にした


「そっかぁ……まあ、不満なんてねぇしな、このエデンに」


いつものリセット。いつも通りの軽口。昔いた誰かの顔を思い出しかけて――瞬間、こめかみの奥にズキリと痛みが走り、アレンは思わず頭を抱え込んだ。

「っ……」

額を手に押しつけていると、ライが眉をひそめて近寄ってきた。


「おい、アレン、大丈夫か?」

「……大丈夫だ」

アレンが小さく息を吐くと、ライは苦笑して肩をすくめる。

「あんまり寝すぎんのもよくないぞ。頭が重くなる」

「気を付けるよ」


ライが声を潜めた。

「なあ、アレン……俺、最近“夢”を見てるんだ」

アレンの心臓が大きく跳ねた。

「夢?」

「知らねぇ街でさ、炎が上がって、でっけぇ剣とかも出てくんだよ。……目が覚めても、どうにも引っかかってんだ」


アレンは立ち止まった。

息が詰まる。

彼もまた、同じ夢を見ていたからだ。


血の匂い。

剣を振るう自分。

倒れる誰か──そして焼け落ちる空。


ライは拳を握りしめた。

「……もし夢がホントならさ、“今の俺”ってコピー品とかじゃね? リセットで消えた俺は、今頃どっかでぐーすか寝てたりしてな」


彼の声音は軽かったが、アレンの胸には重い石が落ちたように感じられた。







その夜、アレンは眠れなかった。

ライの言葉が胸の奥でぐるぐると回り続ける。


――“今の俺”ってコピー品とかじゃね?


その響きがどうにも抜けなかった。

記憶を削られることを当然のように受け入れる人々。

自分と同じ違和感を抱く者は、ライを除けば誰もいない。


(……俺は、おかしいのか? それとも、エデンの方が……?)


古い本棚を眺めていると、一冊の童話集に目が止まった。

そこには、かつて語り継がれた英雄譚が記されている。


――勇者は「パルメニデスの剣」を手にし、悪魔を斬り裂いた。

――その剣は運命さえ断ち切る力を持ち、勇者は人々に永遠の安らぎをもたらした。


幼い頃に何度も聞かされた話だ。

だが今は、ただの夢物語とは思えなかった。


(……運命を斬る、か)


気づけば、アレンは外套を羽織り、深夜の街に出ていた。

どこへ行くのか、自分でも分からない。

ただ、足が勝手に動き、白亜の大通りを抜けていく。


辿り着いたのは都市の中央にそびえる大聖堂だった。

尖塔が月光を受けて光り、静まり返った街を見下ろしている。


扉は鍵がかかっていなかった。

中に入ると、整然と並ぶ燭台が淡い炎を揺らしていた。

空気は澄んでいるはずなのに、なぜか古びた紙の匂いが漂っている。


アレンは、祭壇の裏へと足を踏み入れた。

理由は分からない。ただ、呼ばれているとしか思えなかった。


小さな書斎、古びた机の上に一冊の書物がおかれている。

黒革の装丁。厚みは掌を二つ重ねたほど。

表紙には金文字で、こう記されていた。


――『神託の書』。


アレンの喉が乾く。


手を伸ばし、その装丁に触れた瞬間――


「ようやく来たじゃないの、鈍い男」


少女の声が響いた。

アレンは思わず書を放り出す。

目の前に立っていたのは、本の形をした少女の幻影だった。

腰まで届く漆黒の髪が風もないのに揺れ、金色の瞳には文字の羅列が流れ込んでいる。身にまとうのは白と黒を基調にした古風な衣装――聖職者の祭服を思わせるが、布地はところどころ透け、光に溶けるように輪郭が曖昧だった。

足元は地面に触れておらず、幽霊のように空中に漂っている。

尊大な笑みを口元に浮かべ、腰に手を当てて挑発的に言い放つ。


「アタシの名はリビア。この世のすべてを知る《神託の書》そのものよ。

 にしてもあんたみたいな凡人に読まれるとか、アタシのプライド丸つぶれだわ」


「……しゃ、喋った……?」


「当たり前でしょ? 黙って本にされてるとか性に合わないのよ」


挑発的で生意気な声音。

アレンは呆然とした。

「あんたさ、まだ疑ってる顔だね。じゃあ――証明してあげる」

リヴィアがにやりと笑う。

「3秒後、あんたの腹が鳴る」

「は? そんな子供みたいな――」

グゥゥ……。アレンの顔が引きつる。

「……っ、ま、待て今のは違う!」

「ふふっ、ダサすぎ」


(こんなのおかしい……幻でも見てるんだ)


「『幻でも見てる』? 残念、本物」

リビアが愉快そうに言い放った。

アレンの血の気が引く。

「……心まで、読んで……?」

「違うわ、未来を読んでるの。あんたがどう考えてどう口にするか。全部、ね。次は――外から足音」


コツ、コツ。

現実に重なった靴音に、アレンの血の気が引いた。


「――アレン・シェイド。ここから先は、選択だ。」


いつの間にか、リヴィアの輪郭が揺らぎ、

幻影は一冊の大きな黒革の書のように見えた。 金の瞳は淡い光を放ち

中空に眩い文字列を映し出していく。

尊大な少女の笑みは影を潜め、

その声はページに刻まれた神意そのものだった。


「運命に従い、世界を救って自らを破滅させるか。

 運命に逆らい、世界を滅ぼして独り生き残るか」


その言葉は、さきほど告げられた言葉よりも鋭く、胸に突き刺さった。


「な……っ」


リヴィアの幻影が淡く揺らぎ、声だけが残る。

「半年間は外に出られないわ。アタシ自身が出るたびにエネルギーを食う。

 今のあんたじゃ、せいぜいこれくらいが限界」

「さあ、遊んでる暇はないわ。誰か来る!」



リビアはそう言い切ると姿を消し、元の書の姿に戻った。

アレンの視界が揺れた。

世界の崩壊。

自分の破滅。


「……ちょ、ちょっと待て……」

胸が詰まり、言葉が途切れる。

「半年とか、破滅とか……は? 意味……全然、わかんねぇ……!


全身から冷や汗が噴き出す。


「……どうすれば……」


彼は書を抱えたまま、崩れ落ちるように膝をついた。

頁を閉じても、胸の鼓動は収まらなかった。

「神託の書」が示した未来。


何を言ってんのかさっぱりだ。

いや、現に言われて通りに“足音”が響いた。腹もなったし。


コツ、コツ。


(いや、とりあえずこんなもの、誰かに見つかれば……!)


アレンは迷った末書を懐に隠し、外套を翻すように走り出した。

聖堂の奥から正面へ。

石の床を踏み鳴らす足音が、夜の静寂をやぶる。


扉を押し開けると、夜風が顔に吹きつけた。

冷たい空気が肺に突き刺さる。

月明かりに照らされた白亜の街並みを駆け抜ける。


「はぁ、はぁっ……!」


喉が焼けるほどに息が荒い。

背後を振り返ると、聖堂の尖塔が影のようにのしかかっていた。

その窓の奥に、人影がひとつ揺れていたように見えた。

アレンは息を呑み、視線を逸らしてさらに足を速めた。


(見られた……のか? いや、まさか……)


「こんなのばれたら大問題だな……はは」


リビアと名乗った少女が収まった黒革の書を見て、アレンはつぶやいた。誰かの眼差しを感じながらも振り切って自分の部屋へと逃げ帰った




冷静で、慈悲深さを装いながらも、その奥底に何かを隠した視線。

その者は《大聖堂の司祭》。

この都市の信仰を司り、リセットの儀を執り行う者。

その眼光がアレンに注がれていた。

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