第12話

茂みから現れたのは、やはりというべきか、宮廷術士長のイザベラさんだった。

彼女は、月明かりを浴びて、銀色の髪をきらきらと輝かせている。

その美しい顔には、いつもの冷静な表情に、少しだけ、好奇の色が混じっていた。


まずい。見つかった。

しかも、一番、誤魔化しが効かなさそうな相手に。

私の隣には、神々しいまでに輝くドリュアスのリリアーナがいて、手には伝説級の杖を握りしめている。


そして、背後には、さっきまで枯れかけていたのが嘘のように、生命力に満ち溢れた樫の木が、黄金色のオーラを放っている。

どう見ても、ただ夜の散歩をしていました、で通じる状況ではなかった。

「あ、あの、これは……」


私が、しどろもどろになっていると、リリアーナが、ふわりと一歩前に出た。

そして、イザベラさんに向かって、優雅に微笑んだ。


『夜分に、この子を驚かせてしまったかしら。少し、昔話に付き合ってもらっていたのよ、魔術師の子』

その声は、人間には聞こえないはずの、精霊の言葉だった。


でも、イザベラさんは、驚く様子もなく、その言葉に、静かに耳を傾けている。

さすがは、宮廷術士長。

精霊の言葉も、理解できるらしい。


「あなたが、この『守護者の樫』に宿るドリュアス……。文献でしか、その存在を知りませんでしたが、お会いできて光栄です」

イザベ-ラさんは、スカートの裾を少し持ち上げ、丁寧にお辞儀をした。


その対応は、完璧に落ち着き払っている。

動揺しているのは、私だけのようだった。


「ミサ様が、あなたの呪いを解いたのですね。この庭に満ちる、清浄な魔力の流れで分かります」

イザベラさんの紫色の瞳が、私を、そして私が持つ杖を、値踏みするように見た。


「そして、その杖は、感謝の印、というわけですか。なるほど、理に適っていますわ」

彼女は、一人で納得したように、こくりと頷いた。

あまりにも、全てをすんなりと受け入れるので、逆に、こちらの調子が狂ってしまう。


「あの、イザベラさんは、どうしてここに……?」

私が、ようやくそれだけ尋ねると、彼女は、くすりと小さく笑った。


「お部屋に、ミサ様の気配がなかったので、少し心配になったのです。まさか、夜中に庭を散歩して、ドリュアスと契約を結んでいるとは、思いませんでしたが」

その言い方は、少しだけ、私をからかっているようにも聞こえた。


「さあ、立ち話もなんですし、お部屋に戻りましょう。夜風は、お体に障りますわ」

イザベラさんは、そう言うと、ごく自然に、私の腕を取った。


有無を言わさぬ、その仕草に、私は、なすがままに、彼女に連れられて歩き出す。

リリアーナは、私たちの後ろ姿を、優しい笑みで見送っていた。

『また、いつでも会いに来て。ミサ』


彼女の声が、心の中に、直接響いた。

私は、小さく頷き返し、イザベラさんと共に、城の中へと戻った。

部屋に戻ると、シロが、ベッドの上で、何事もなかったかのように、すやすやと眠っていた。


この子は、本当に、物事に動じない。

「さて、ミサ様」


部屋に入るなり、イザベラさんは、真剣な表情で、私に向き直った。

「単刀直入にお伺いします。その杖と、世界樹の種、そして、先ほどのドリュアスのこと。何か、分かりましたか?」


私は、正直に、世界樹の種から聞こえた言葉と、リリアーナが『守り手』と呼ばれたことを話した。

イザベラさんは、腕を組んで、ふむ、と真剣に考え込んでいる。


「守り手……。楔……。古の力の復活……」

彼女は、何か、重要なキーワードを繋ぎ合わせようとしているようだった。


「おそらく、ミサ様が浄化された、あの地下神殿も、世界各地に点在する『聖域』の一つなのでしょう。そして、それぞれの聖域には、ドリュアスのような『守り手』が存在し、その全てを解放することが、世界樹を復活させるための鍵……」

イザベラさんの推論は、おそらく、真実に近いのだろう。


話が、どんどん、壮大になっていく。

「そんな……。私、そんな大それたこと、できません……」


「いいえ、あなたにしかできないのです」

イザベラさんは、きっぱりと言った。


「あなたには、そのための力が与えられている。これは、運命ですわ、ミサ様」

その紫色の瞳は、有無を言わせない、強い意志の光を宿していた。

もう、逃げることは、許されないのかもしれない。


「……分かりました。それで、次に、私は、何をすればいいんですか?」

私が、観念してそう言うと、イザベ-ラさんは、満足そうに微笑んだ。


そして、懐から、一枚の古い羊皮紙を取り出した。

それは、アルトリア王国の、周辺の地図だった。


「地下神殿で見つけた『創世の記録書』を、解読しました。それによると、このアルトリア王国の南に広がる広大な森……。『嘆きの森』と呼ばれる場所に、次の聖域が存在する可能性が高い、と記されています」

イザベラさんは、地図上の一点を、指で示した。


そこは、どす黒い色で塗りつぶされた、不気味な森だった。

「嘆きの森……?」


「ええ。強力な呪いの瘴気が満ちており、生きて帰った者はいない、と言われる、魔境です。王国騎士団も、何度か調査隊を送りましたが、誰一人として、戻ってきませんでした」

とんでもない場所だった。


そんな危険な場所に、私が行くというのか。

「もちろん、ミサ様お一人で行かせるわけではありません。クラウス隊長とゲオルグ副隊長が、護衛として同行します。そして、この私も、参りますわ」


「ミサ様の力の解析と、記録のため、という名目で、陛下には、すでに出立の許可をいただいております」

いつの間に、そんな根回しを……。

この人の、仕事の速さには、本当に頭が下がる。


「準備が整い次第、出発します。よろしいですわね、ミサ様?」

イザベラさんは、最終確認のように、私に微笑んだ。


もはや、私に、頷く以外の選択肢はなかった。

翌朝、私が王都を救い、さらに王家の守護樹を蘇らせた、というニュースは、瞬く間に城中に広まっていた。


すれ違う兵士や侍女たちが、皆、私に向かって、畏敬の念のこもったお辞儀をしてくる。

その度に、私は、身が縮む思いだった。

朝食の後、クラウスさんとゲオルグさんが、私の部屋を訪ねてきた。


二人とも、すでに、旅の支度を整えている。

「ミサ殿、話はイザベラ殿から聞いた。また、君に、危険な役目を負わせてしまうことになり、すまない」


クラウスさんは、本当に申し訳なさそうな顔で、頭を下げた。

「だが、君の行く道が、どれほど危険であろうと、この俺たちが、必ず君を守り抜くと誓う」


「おう! 俺のこの剣と盾にかけてな!」

ゲオルグさんも、力強く胸を叩いた。


二人の、その真っ直ぐな言葉が、嬉しかった。

不安でいっぱいだった私の心に、温かい光が灯るような気がした。


「ありがとうございます。よろしくお願いします」

私がそう言うと、二人は、ぱあっと、花が咲いたような笑顔を見せた。


こうして、私たちの、次の目的地が決まった。

呪われた魔境、『嘆きの森』。

そこで、一体、何が待っているのだろうか。


期待よりも、不安の方が、ずっと大きかった。

でも、私には、頼もしい仲間たちがいる。

そして、この『浄化』の力がある。


やるしかない。

私は、窓の外に広がる青い空を見上げながら、そっと、覚悟を決めた。

出発は、三日後と決まった。


それまでの間、私たちは、旅に必要な物資を揃えるため、王都の市街地へと出かけることになった。

私が、人混みが苦手だと知っているクラウスさんたちの配慮で、私は、顔が分からないように、フード付きの簡素なローブを羽織ることになった。


久しぶりに、王城の外に出る。

奇病の呪いが解かれた王都は、活気に満ち溢れていた。

大通りには、たくさんの露店が並び、人々の楽しそうな笑い声が、あちこちから聞こえてくる。


子供たちが、元気よく走り回り、吟遊詩人が、陽気な歌を奏でている。

この平和な光景を、私が守った。

そう思うと、少しだけ、胸が温かくなった。


私たちは、冒険者たちが利用する、武具屋や道具屋を巡った。

クラウスさんやゲオルグさんは、自分の装備を点検し、新しいポーションなどを買い揃えている。


イザベラさんは、珍しい魔法の素材を見つけては、目を輝かせていた。

私は、特に買うものもなかったので、三人の後ろを、シロを抱いて、とことことついて歩くだけだった。


それでも、活気のある市場の雰囲気を味わうのは、悪くなかった。

色とりどりの果物や、焼きたてのパンの匂い。

人々の生活の匂いが、そこにはあった。


ふと、一軒のアクセサリー屋の前で、私は足を止めた。

店先に、小さなガラス細工の鳥が飾られていたのだ。

太陽の光を浴びて、七色にきらきらと輝いている。


とても、綺麗だった。

私が、その置物を、じっと見つめていると、店の主人の、人の良さそうなおじいさんが、にこにこと話しかけてきた。


「お嬢ちゃん、それが気に入ったのかい? それは、『幸せを運ぶ青い鳥』って言ってね。持っている人に、幸運を運んでくれるんだよ」

幸運、か。

私のLUKの高さは、幸運とは、また少し違う気がする。


でも、その小さな鳥が、なんだか、とても愛おしく思えた。

「これ、ください」


私がそう言うと、おじいさんは、嬉しそうに、それを綺麗に包んでくれた。

ささやかな、自分へのお守り。

私は、それを、ローブのポケットに、そっとしまい込んだ。


買い物を終えた私たちは、広場に面したカフェで、少し休憩することになった。

テラス席に座ると、心地よい風が吹き抜ける。

私が注文したハーブティーは、とても良い香りがした。


「それにしても、ミサ殿の力は、本当に底が知れないな」

クラウスさんが、しみじみと呟いた。


「ああ。呪いを解くだけでなく、土地そのものを蘇らせてしまうとはな。まさに、神の御業だ」

ゲオルグさんも、腕を組んで、大きく頷く。


二人の、あまりにも率直な賞賛の言葉に、私は、少しむず痒くなる。

「そんな、大したことじゃ……」


「謙遜する必要はありませんわ、ミサ様」

イザベラさんが、静かに言った。


「あなたの力は、この世界の理すらも、覆す可能性を秘めている。それは、紛れもない事実です」

三人の、その絶対的な信頼が、少しだけ、くすぐったかった。

そして、同時に、その期待に応えなければ、という責任感も、感じていた。


休憩を終え、王城への帰路につく。

大通りを歩いていると、ふと、路地裏の方から、小さな嗚咽が聞こえてきた。

見ると、一人の小さな女の子が、隅っこで、しくしくと泣いていた。


年の頃は、五歳くらいだろうか。

擦り切れた服を着ていて、顔は、涙と泥で汚れている。

どうやら、迷子になってしまったらしい。


周りの大人たちは、自分の生活で手一杯なのか、泣いている女の子に、気づく様子もない。

私は、放っておけなかった。

クラウスさんたちに、少し待ってて、と断りを入れると、その女の子のそばに、そっとしゃがみ込んだ。

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地味スキル『浄化』で寂れた土地を掃除してたら、邪神の呪いを解いてしまい聖女と勘違いされています ☆ほしい @patvessel

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