第6話
「……分かりました」
長い沈黙の後、私はか細い声でそう答えていた。
「王都へ、行きます」
その言葉を聞いた瞬間、クラウスさんがぱあっと顔を輝かせた。
「おお、本当ですか! ありがとうございます、ミサ殿!」
イザベラさんも、安堵したように微笑んでいる。
「ありがとうございます、ミサ様。これで、王都の民は救われますわ」
ゲオルグさんだけは、少し複雑な表情で私を見ていた。
「本当に、すまないな。無理をさせてしまって」
「いえ……。私にできることがあるなら、やりたいと思っただけなので」
自分でも、驚くほど素直な言葉が出た。
掃除が好き、というだけではない。
汚れたものや、苦しんでいるものを、綺麗にして助けてあげたい。
そんな気持ちが、私の心の中に芽生え始めているのを感じた。
「では、早速出発の準備をしましょう」
クラウスさんが、手際よく指示を出し始めた。
「王都までは、馬車で二日ほどの距離です。道中は、我々が万全の体制で護衛しますので、ご安心ください」
王都へ行く。
決心したものの、やはり不安は大きい。
知らない場所、知らない人たち。
私なんかが、本当に役に立てるのだろうか。
そんな私の不安を察したのか、エリアーナさんがそっと私の手を握ってくれた。
「ミサ様、何も心配なさることはありません。あなた様なら、きっと大丈夫です」
その温かい言葉に、私は少しだけ勇気づけられた。
「エリアーナさん、ありがとうございます。この村のことは、少しの間、よろしくお願いしますね」
「はい、お任せください。ミサ様のお帰りを、いつでもお待ちしております」
エリアーナさんは、そう言って優しく微笑んだ。
私とシロは、クラウスさんたち騎士団と共に、村を出発することになった。
村の入り口まで、エリアーナさんが見送りに来てくれた。
「ミサ様、これを」
出発の直前、エリアーナさんは私に小さな布の袋を差し出した。
中には、乾燥させたハーブが入っている。
「わたくしの村で採れた、特別な薬草です。心を落ち着かせる効果があります」
「不安になった時にでも、香りを嗅いでみてください」
「ありがとうございます。大切にします」
私は、そのお守りをしっかりと握りしめた。
クラウスさんたちが用意してくれたのは、アルトリア王国の紋章が入った、立派な馬車だった。
乗り心地は、思ったよりもずっと快適だ。
馬車の中では、イザベラさんが王都の様子や、奇病の詳しい症状について説明してくれた。
「病は、最初は軽い倦怠感から始まります」
彼女の声は、重く沈んでいた。
「ですが、数日もすると、手足の先から徐々に感覚がなくなり、肌が石のように硬化していくのです」
「そんな、ひどい病気が……」
「ええ。宮廷術士団や神殿の神官たちも、あらゆる手を尽くしました」
「ですが、呪いの力が強すぎて、浄化も回復も追いつかないのです」
イザベラさんの話を聞いていると、改めて事の重大さを思い知らされた。
私に、本当に何かができるのだろうか。
不安で胸がいっぱいになり、私はぎゅっと目を閉じた。
その時、膝の上で、シロが「きゅん」と鳴いた。
目を開けると、シロが私の顔をじっと見つめている。
まるで、「大丈夫だよ」と言ってくれているみたいだった。
私は、シロの頭をそっと撫でた。
この子がいるだけで、不思議と心が安らぐ。
馬車は、森を抜け、開けた街道をひた走った。
窓の外の景色が、どんどん変わっていく。
道中、何度かモンスターに遭遇したが、その度にクラウスさんとゲオルグさんがあっという間に片付けてしまった。
二人の連携は完璧で、さすがは騎士団の隊長と副隊長だな、と感心させられた。
「ミサ殿、驚かせてしまったかな?」
クラウスさんは、剣についた血を払いながら、爽やかに笑った。
「これしきの魔物、我々にかかれば赤子の手をひねるようなものだ」
その姿は、すごく頼もしく見えた。
一日目の夜は、街道沿いにある宿場町で宿を取ることになった。
町は、たくさんの旅人や商人たちで賑わっている。
人混みが苦手な私は、少しだけ気後れしてしまった。
「ミサ殿は、こちらの部屋をお使いください。一番良い部屋を用意させました」
クラウスさんが案内してくれたのは、宿で一番豪華な個室だった。
ふかふかのベッドに、綺麗な調度品が並んでいる。
私なんかが泊まっていいんだろうか、と申し訳なくなる。
夕食も、豪華な料理がテーブルに並んだ。
でも、私は緊張であまり喉を通らなかった。
「ミサ様、あまり召し上がっていませんわね。お口に合いませんでしたか?」
イザベラさんが、心配そうに声をかけてくれる。
「いえ、そういうわけでは……。ただ、少し、緊張していて」
「無理もないでしょう。ですが、明日は王都に着きます。体力をつけておかなければなりませんわ」
そう言われても、なかなか食は進まなかった。
食事の後、私は部屋に戻って、一人で窓の外を眺めていた。
宿場町の夜は、まだ賑やかだ。
楽しそうな笑い声が、遠くから聞こえてくる。
その喧騒が、私をますます孤独な気持ちにさせた。
本当に、私は場違いな場所に来てしまったのかもしれない。
「はあ……」
溜息をついた、その時だった。
コンコン、と部屋の扉がノックされた。
「ミサ殿、今、少しよろしいだろうか?」
クラウスさんの声だった。
「は、はい。どうぞ」
扉を開けると、そこに立っていたのは、クラウスさんとゲオルグさんだった。
「夜分にすまない。少し、話がしたくてな」
「話、ですか?」
「ああ。今日の昼間、無理をさせてしまったことを、改めて謝罪したいと思ってな」
ゲオルグさんが、気まずそうに言った。
「ゲオルグは、ああ見えても、かなり気にしているんだ」
クラウスさんが、苦笑しながら付け加える。
「ミサ殿が、無理やり王都に連れてこられたと思っているんじゃないかと」
「そんなこと、ないです。私が、自分で行くと決めたんですから」
「そう言ってもらえると、助かる」
クラウスさんの言葉は、とても温かかった。
「だが、もし何か困ったことがあったら、いつでも俺たちに言ってくれ。俺たちは、ミサ殿の味方だからな」
「ありがとうございます」
「それと、これを」
そう言って、クラウスさんは私に小さな通信機のようなものを手渡した。
手のひらサイズの、薄い水晶の板だ。
「これは、遠話の魔道具だ。これがあれば、離れていても会話ができる」
「何かあった時のために、持っていてくれ」
「こんな、大事なものを……」
「構わん。君には、それだけの価値がある」
クラウスさんは、真っ直ぐな目で私を見つめて言った。
その瞳に見つめられると、なんだか心臓がドキドキしてしまう。
「……ありがとうございます。大切にします」
私は、その魔道具をぎゅっと握りしめた。
二人が部屋から出て行った後も、私の胸のドキドキは、しばらく収まらなかった。
味方、と言ってくれた。
その言葉が、私の心の中で、温かい光のように灯っている。
翌日、馬車は順調に進み、昼過ぎにはついに王都が見えてきた。
遠くに見えるのは、巨大な城壁と、その中にそびえ立つ白亜の城だ。
想像していたよりも、ずっと大きくて、立派な街だった。
王都の門をくぐると、その喧騒に、私は圧倒された。
石畳の道には、たくさんの人々が行き交い、活気に満ち溢れている。
露店の威勢のいい声、馬車の走る音、子供たちのはしゃぐ声。
私のいた村とは、何もかもが違っていた。
「すごい……」
思わず、そんな言葉が漏れる。
「ここが、アルトリア王国の王都、セントラリアだ。どうだ、壮観だろう?」
クラウスさんが、少し得意げに言った。
馬車は、大通りを抜け、貴族たちが住む地区へと入っていく。
やがて、ひときわ大きく、豪華な建物の前で馬車は止まった。
アルトリア王城。
ここが、これから私が世界を救うために浄化の力を使う場所だ。
馬車を降りると、そこにはたくさんの騎士や文官たちが整列して、私たちを出迎えていた。
その視線が一斉に、私に突き刺さる。
「う……」
私は、人々の視線に耐えられず、思わず俯いてしまった。
「ミサ殿、顔を上げてくれ。君は、この国の救世主として迎えられているのだから」
クラウスさんに促され、私はおそるおそる顔を上げた。
皆、私に期待の眼差しを向けている。
その視線が、重い。
逃げ出してしまいたい。
でも、もう後戻りはできない。
私は、ぎゅっと拳を握りしめ、覚悟を決めて、王城の中へと足を踏み入れた。
案内されたのは、謁見の間と呼ばれる、とてつもなく広い部屋だった。
天井は高く、きらびやかなシャンデリアが輝いている。
床には、ふかふかの赤い絨毯が敷かれていた。
その部屋の、一番奥。
豪華な玉座に、一人の男性が座っていた。
アルトリア王国の国王、アルフォンス・フォン・アルトリア。
年の頃は四十代くらいだろうか。
威厳のある顔立ちをしているけれど、その表情には深い疲労の色が浮かんでいた。
「面を上げよ」
国王の、低く、よく通る声が広間に響き渡った。
クラウスさんたちが、一斉に膝をつく。
私も、慌ててそれに倣った。
「あなたが、聖女ミサ殿か」
国王の視線が、私に向けられる。
その鋭い眼光に、私は身がすくむ思いだった。
「……はい」
蚊の鳴くような声で、何とか返事をする。
「クラウスから、報告は受けている。廃村を浄化し、神託の鏡を復活させたと」
「まこと、見事な働きであった」
国王は、静かにそう言った。
「だが、本当に、そなたに王都を救う力があるのか……。我らは、これまで何度も裏切られてきたのだ」
その言葉には、深い絶望が滲んでいた。
どうやら、今までにも奇跡の力を持つと名乗る者が、何人も現れたらしい。
でも、誰もこの呪いを解くことはできなかったのだ。
「陛下。ミサ殿の力は、本物です。この私が、保証いたします」
クラウスさんが、力強く言った。
「……よかろう。信じよう。だが、もし、そなたが我らを欺くようなことがあれば、どうなるか……分かっておるな?」
国王の言葉は、静かだったが、その分、恐ろしかった。
失敗は、許されない。
そのプレッシャーに、私の心は押しつぶされそうだった。
謁見が終わると、私たちは地下水道へ向かうための準備をすることになった。
イザベラさんが、地図を広げて、鏡に映った場所を指し示す。
「場所は、王城の真下に広がる、旧市街の地下水道です」
「入り口はいくつかありますが、最短ルートで行くなら、城内の隠し通路を使うのが良いでしょう」
「よし、では、俺とゲオルグ、そしてイザベラ殿、ミsa殿の四人で行こう」
クラウスさんが、テキパキと指示を出す。
「他の者は、入り口の警備を固めてくれ」
私は、ただ頷くことしかできない。
これから、あの不気味な場所へ行く。
そう思うだけで、心臓が早鐘のように鳴っていた。
地下へ続く隠し通路は、ひんやりとした空気に満ちている。
松明の明かりだけが、頼りだ。
壁からは、じっとりと水が染み出し、不気味な静寂が私たちの周りを包み込んでいる。
しばらく歩くと、目の前に古びた鉄格子のはまった扉が現れた。
その向こうから、ごぼごぼという、水の流れる音が聞こえてくる。
「ここから先が、地下水道だ。皆、気を引き締めていけ」
ゲオルグさんが、重々しく言った。
扉を開けると、むわりと、湿ったカビ臭い空気が私たちの鼻をついた。
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