瓦礫の大陸 ー竜の子供と竜殺しの騎士ー

桐田藍生

第1話 序章 -王と血と嘆きと-




世界の〈摂理〉への〈大いなる楔〉に気付いたのはひとりの〈魔物〉だった。

〈魔物〉は〈大いなる楔〉に僅かながら干渉し、自らの周囲だけに異なる〈摂理〉を〈展開〉した。

やがて〈魔物〉は老いて死に、〈大いなる楔の鍵〉はその息子である〈悪魔〉へと譲られた。

〈悪魔〉は同志を集め〈大いなる楔の鍵〉を用い、手始めに自らの肉体に、そして世界の〈摂理〉へ大規模に〈干渉〉を始めた。

〈悪魔達〉の手によって世界の〈摂理〉は大幅に〈改竄〉された。

新たに〈改竄〉された世界で、文明は停滞していた〈進化の階段〉を急速に駆け上がる。


そして〈黄昏の刻〉も急速に訪れた。


〈悪魔達〉あるいは〈神々〉は、自分達が齎した〈黄昏の刻〉をも超えてゆける、〈新たなる人類〉を〈創造〉しようと試みる。

何十、何百、何千、何万の〈掛け合せ〉と〈失敗作〉の後に、〈悪魔達〉あるいは〈神々〉は、〈創造〉の全てを放棄した。

〈悪魔達〉あるいは〈神々〉は、失意の〈眠り〉につく前に、迷走し争い嘆きに満ちた星に〈生物には決して越えられぬ壁〉を〈創造〉する事で、〈最終戦争〉ごと〈西と東〉の二つに分断した。


それから数千年の時を経て、〈黄昏〉は〈夜〉を越え〈新たな夜明け〉を迎えた。

〈新しい朝〉と〈新たな摂理〉を迎えた世界。

〈大いなる楔の鍵〉を用い〈創造〉した、〈悪魔達〉あるいは〈神々〉が眠る世界に散在する、

〈遺跡〉という名の〈黄昏の刻〉の瓦礫達。

〈科学〉と〈世界大戦〉が、〈剣と魔法〉〈竜と魔物〉に取って代わられた星。



今宵は〈西方世界〉にて紡がれし物語に耳を傾けよう――――





 まだ二十歳にも満たぬ年齢で王子として最前線で剣を振るい、国家転覆を狙った魔導士ダオス=リン率いるゴーレムの軍団を、見事殲滅した〈勇者王〉。

 だが勇猛果敢な国王ディヴァン・レスラ=クロムも、着々と近付いてくる死の足音には耐え切れなかった。

 三百余年前からクロム王家に掛けられた魔竜による呪いは、じりじりとその寿命を削り取っていく。

 王になる者は生まれ出でた時より身体の何処かに〈竜の眼〉を持ち、怪我や病とは無縁となるが、四十前後で必ず寿命が尽きるのだ。そして恐ろしい事に呪いの解呪法は三百年経った今も解明されていない。

 右手の甲に〈眼〉を持つ現王ディヴァン、御歳三十八。最早いつ斃れてもおかしくは無い。

 故に王は決断した。


「聞いたぜ、ヴァン。お前ついに竜討伐の命令、下したんだってな」

 深夜の王の寝所に若い男の声が響く。明らかに臣下の者ではない、荒い語調。

「お前は…」

「言ったよな、二十年前に。お前の〈それ〉はたとえ対象を滅したってどうしようもないって。ましてや、お前の命はもう現界だ。〈解呪デスペル〉出来た所で延命できるとは限らない。それでも命令を下すのか? 魔竜相手に同族の竜騎士は出せない。四十数騎のただの騎士と、その倍の兵士と従者の命を危険に曝すって?」

 馬鹿かと、開け放たれた窓を背に男が毒づく。季節外れの嵐に窓からは風雨が室内に吹き込み、護衛が詰める隣室の豪奢なカーテンを激しく煽った。だが誰一人駆けつけては来ない。王は知っている。彼を守る筈の守護結界は無効化され、部屋の周囲にいる者達は皆、この黒衣の魔導士に眠らされてしまっている事実を。

「私は…俺は死が怖い。若い頃は太く短く生きてやるなんて豪語していたが、いざその時が迫ると…震えが止まらないんだ。この〈眼〉がこの身にある限り、俺は…」

 寝台の上で王は男に向かって震える右手を翳す。其処にはぎょろりと見開かれる〈竜の眼〉が存在していた。生まれ持ったその異形。潰す事も焼く事も、ましてや〈癒し〉や〈浄化〉すら通じない呪い。

「笑うなら笑えばいい、どうせお前には分からない…俺は、生きたいんだ。出来るならば騎士らと共に討伐に……だが」

「お前はとっくに王様だ、あの時とは事情が違う。それに俺は、生きたいって言うお前を笑ったりしねぇぜ? ディヴァン」

 吹き込む風にも揺らがない魔法の灯火が、男の輝石の様な蒼眸を照らし出す。

「今から追いかけてもどうなるか分からねぇが、大事な友人の命が掛かってる以上、顛末まで見届けてやる」

「っ…」

 次の瞬間、男の痩身は窓の外に消えていた。

「……ソウル…」


      ■■■


「討ち取ったぞ!」

 生き残った者達から勝ち鬨が上がる。その数僅か十三名。内、正騎士が九名、彼らに使える従者が四名。百人以上が召集された魔竜討伐隊の、生き残りはそれだけだった。

 アレクラスト大陸の三分の二を治めるクロム王国。

 隣国アンクル・ルーとの国境線の役目も果す、大陸の中央を十字に走る山脈の南、ハイエグリフ山に少なくとも五百年前より巣食う魔竜は番だ。列強の騎士の国として他大陸にも名高いクロム王国は、この人食い魔竜を退治すべく幾度も討伐隊を結成した。だが尽く失敗に終わり、遂に三百年前、怒れる魔竜の呪いを当時最前線で指揮を取っていた王太子は掛けられたのだ。

 〈竜の眼の呪い〉。血統で遺伝する解呪法の分からぬ呪いと共に、三百年の間、クロム国王は生きてきた。

「これで我らが王は、忌まわしい呪いから解き放たれる!必ずだ!」

 血塗られた剣を掲げ、自らも無傷では無い騎士団長が満身創痍の部下達を鼓舞する。その足元には一抱えはあったろう頭部を砕かれた魔竜の巨大な死骸が横たわり、辺り一帯を血の池へと変えつつあった。

 あまりの血臭。数多の騎士や兵士や魔導士、同胞だった従者の無残な死骸。竜と同胞と自らの血に塗れた最年少の従者が思わず顔を背け、凄惨な場から後ずさるのも当然だ。

「っ……」

 鉄製の武具の付いた軍靴が何かに当たった。振り返った少年の黒い瞳に飛び込んできたのは、一抱えはある、血の海に沈む岩にしては余りに滑らかな何か。

「何だ、それは? ……もしや魔竜の卵か」

「団長…」

 少年従者の背後で、壮年を過ぎたばかりの歴戦の猛者の眼が細められる。

「禍根を残す訳にはいかぬ。割ってしまえ」

「お、俺が、ですか…?」

 まだ幼さの抜けない顔が非情な命令に引き攣る。黒曜石の双眸には怯えの色。

「身分は単なる従者だが、お前も立派に戦い、生き延びた。国に戻った暁には〈〉の誉れを受けることになろう。既にお前も一人前の騎士だ。騎士なら騎士らしく王命を全うせよ」

「は、はい…」

 若干十五歳の少年は団長に背を向け、竜の血に濡れた意匠の少ない剣を振り被る。そして肩越しに背後を伺った。団長の姿は既になく、生き残った者は誰彼問わず、生存者の救出と治療に当たっている。少年に目を留める者はいない。

(今なら…)

「せいっ!」

 ぎん。甲高い音と共に少年は剣を振り下ろした。ただしそれは足元に転がる欠片にだ。

 団長は気付かなかったが、卵は二つあった。だが一つは戦闘中に割れてしまったのだろう。中には胞衣に包まれた竜の幼生と思しき、まだ形を成さぬ蜥蜴に似た青白いモノが微動だにせず横たわっている。孵化にはまだ早すぎた。

 その割れた卵の殻に代わりに剣を突き立てる事で、もう一方の無傷な卵を少年は守った。それが王命に反する事だとしても、まだ幼い彼には出来なかった。

(魔竜って確か後天性の資質だって、教官言ってたよな…それに親だっていないんだ。竜は親が割ってやらないと孵化出来ないっていうし、もし孵っても生きていけるか分からないし…今、ここで俺が割らなくたって)

 そう自分自身に言い訳しつつ、魔物の返り血で斑に染まった干草色の髪の少年は手早く無事だった卵を転がし、手近の瓦礫を積みあげ、叩き割った様な工作を施した。ついでにこっそりと割れた卵の中も探ってみるが、分厚い膜が邪魔をして幼生の様子は分からない。ただ触れた胞衣は急速に温かみを失いつつある。

(…こっちはもうダメか)

「クライ!クライ=ハルド!終わったのなら負傷者の処置を手伝え!済み次第、急ぎ王城へ帰還する!」

「は、はい!」

 右手の剣を収め、痛む左半身を引きずりながら、クライ=ハルドは討伐隊の元に駆けつける。

 その背に注がれる〈視線〉に微塵も気付かぬまま。



 ―幕 間―



 商人の次男の俺が、魔竜討伐隊の騎士様の従者になったのは全くの偶然だった。

 地方の街の学舎で、偶然成績も剣の腕もその年一番で、偶然王都から兵士募集の一団が来ていた。その時の面子の中に偶然大隊長が混じってて、俺は偶然その人の目に留った。

 偶然はそこから、坂道を転がる石ころみたいに転がり落ちていったんだ。それも俺が思いもしなかった、望んでもいなかった方向に。

 騎士に付く従者の候補生として王都に呼ばれ、俺は呪われた王様の治める城で三年間、徹底的に鍛えられ知識を詰め込まれた。理由なんか知らない。ただ教官達はみんな常に焦っていた。俺には何かに怯えているようにも見えていた。

その理由が分かったのは、俺が十五歳を二ヶ月過ぎた時だ。

〈魔竜討伐の勅命〉

 この為に、俺達みたいな従者候補生は国中から集められていたんだ。王様の〈死の呪い〉を解く為に。

 騎士様達は討伐隊に抜擢される事を栄誉だと言った。王の為、強いては国の為には命なんて惜しく無いと。

 でも俺は周りを真似て腕を振り上げながら、それほど喜んでいられなかった。

 相手は伝説級の魔竜だ。十中八九、生きては帰れない。そんな事の為に俺は王都に連れてこられ、血反吐を吐くようなきつい訓練を強制されたのかと思うと、喜ぶどころじゃなかった。俺はまだ十五だって言うのに、よっぽど運が良くなきゃこの戦で生き残る事はない。

 沈んだ気持ちのまま、俺は指名された騎士の従者の一人となって、大声援に送られながら王都を後にした。


(死ぬ…死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!)

 何回思ったか分からない。

 身体の何処かに痛みを感じる度に、その場所がまだ存在している事をいちいち確かめながら左腕の盾を突き出し、ただがむしゃらに剣を振るった。二頭の巨大な魔竜相手に怒号や魔法の轟音が轟き、暴れる馬に蹴られそうになりながら、火の粉を潜り目の前の紺色の鱗に向かって剣を突き立て、急いでその場から逃げる。

 魔竜の咆哮、〈毒の息吹ブレス〉。とっさに魔導士の張る結界に飛び込む。間に合わなかった騎士や従者達が、顔や喉を掻きむしりのた打ち回る。次の〈息吹ブレス〉の合間に突撃。弓隊が一頭の片目を潰した。元来、隻眼だった一頭が盲目になり、辺り構わず暴れ出す。「勝機だ、突撃!」と鴇の声。ただ死にたくない一心で突き進む俺。

 隣を走っていた同い年の従者が、尾の一撃で挽肉になった。俺はその尾に全力で剣を振り下ろし、半ばから切落とした。吹き出る血を頭から浴びる。

 そんな事が何回も何回も繰り返されてやっと終わった時、騎士も兵士も魔導士も弓隊も従者も殆ど生き残っていなかった。ただ死体ばっかりの中に、小山のような切り刻まれた魔竜達の死体が在った。


 そしてなんとか生き残った俺は、悲惨な事に〈呪われて〉いたんだ。


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