第9話 奉納
「昔はな、この神社には“奉納”があったんじゃ」
町外れの古い家に暮らす老人は、茶をすする合間にそう語った。
その声はかすれていたが、妙に確信に満ちていた。
「疫病が流行ったときには、人の“心臓”をおさめていたそうじゃ。
大事なものを神に渡せば、災いは退けられると信じられていたんじゃよ。」
私は息を呑んだ。
冗談のつもりで笑おうとしたが、老人の目は本気だった。
「やがて時代が変わって、その風習は廃れた。
けんどな、神というものは欲深い。
求められる供物が絶えたとき、神は取りに来るようになったんじゃ。」
そのとき、家の奥の部屋から、微かな物音がした。
私は思わず視線を向ける。襖の隙間から、人影が覗いていた。
「……見せてやろうか。」
老人は重々しく立ち上がり、襖を開けた。
中には、一人の中年の女が座っていた。
彼女は虚ろな目でこちらを見つめ、何かを言おうと口を開いた。
だが、そこにあるべき舌が、なかった。
赤黒い空洞が覗き、かすれた呼吸音だけが漏れている。
彼女は必死に口を動かし続けたが、声は一切出なかった。
「わしの娘じゃ」
老人の声が低く響いた。
「幼いころ、神社に連れて行った。その夜から……声を失った。
奉納に選ばれ、心臓を奪われる代わりに、言葉を持っていかれたのだろう。」
娘は襖の隙間から手を伸ばし、泣き叫ぶように口を震わせていた。
だが音は出ない。
老人は襖を閉じ、深いため息をついた。
「わしの家族も……あれに奪われた。
……そして次は、お前たち若い者の番じゃ」
ぞっとして言葉を失った私に、老人はかすかに笑った。
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