第27話 封印された真実
「ピッ――カチャ」。
玄関の電子ロックが解ける澄んだ音が、書斎の死寂を雷鳴のように打ち破った。
澪の心臓が一瞬停止し、血液が凍りつく。彼女は恐慌に震えながら書斎のドアを見つめる——晶の声だ。帰ってきたのか?なぜ今、ここに?
頭は真っ白。途方もない恐慌が氷水のように彼女を凍りつかせ、全身が硬直する。あの落ち着いた足音すら、まるで耳元で響くように鮮明に聞こえる。
(終わった……!)
(彼がドアを開け、私が引き出しをこじ開けるところを見たら……あの氷のような顔に浮かぶ激怒と失望……。)
(今までの足掻き、必死に守ったわずかな『信頼』と『空間』も、この瞬間に粉砕される。私を待つのは、永遠の破滅だけだ……!)
(……いや!絶対に見つかってはいけない!)
生存本能が、恐怖の麻痺を凌駕する。火傷しそうな手を慌てて引っ込め、「1108」と書かれたホテルの契約書を引き出しの奥深くへ押し込む。壊れた鍵を必死で戻そうとするが、激しい震えで指が言うことをきかない。
足音が近づく。ドアの外まで、もう数歩だ。
(鍵が閉まらない……全く閉まらない……!)
澪の顔色は紙のように青ざめ、額に冷や汗が浮かぶ。絶望的な目で元に戻らない鍵を睨み、猛然と引き出しを押し戻し、よろめきながら立ち上がる。少なくとも、デスクからは離れなければ——!
(……遅すぎた……!)
書斎のドアノブが回る。
澪はその場で硬直した。極度の恐怖で瞳孔が開ききり、重厚な無垢材のドアがゆっくりと開く様を、ただ見つめるしかない。
長身の晶がドアに姿を現す。コートを脱ぎ、ネクタイはわずかに緩んでいる。眉間には微かな疲労の色が漂う。
習慣的に書斎を掃く視線が、やがて——デスク脇に硬直し、青ざめ、息を荒げる澪に正確に固定される。
足が止まる。
深い瞳が微かに細められる。視線は彼女の狼狽した顔に一瞬留まり、すぐ下——明らかにこじ開けられ、鍵の舌が完全に閉じていない引き出しへ。
空気が凝固する。息が重く、胸を圧迫する。
澪の心臓は狂ったように鼓動し、胸を破りそうだ。口を開けるが、声は出ない。頭が猛烈に回転し、合理的な言い訳をでっち上げようとするが、どんな嘘も滑稽で無力に思える。
(終わった……本当に終わった……。)
絶望的に目を閉じ、雷鳴のような激怒を待つ。
しかし、激怒は来ない。
数秒の、息の詰まる沈黙。
晶が一歩、中へ踏み込む。足取りは落ち着き、感情の起伏すら感じさせない。デスク前に歩み寄り、こじ開けられた引き出しに視線を掃き、再び澪を見る。その眼差しは、底知れぬ冬の潭のように冷たく深い。
「何を探している?」
声は意外なほど平静で、平静すぎて不安さえ覚える。
澪は目を見開き、信じられない思いで彼を見つめる。
(なぜ怒らない?問い詰めない?この平静さ……怒りよりも恐ろしい……!)
「わ、私……」声はかすれ、震える。頭は混乱の極み。「私の……ペン……どうやら落としてしまったようで……」
自分でも、この拙劣な言い訳を信じられない。
晶は静かに聞いている。表情は変わらない。まるで彼女の言葉を分析しているかのようだ。しかし、その視線は探照灯のように、彼女の動揺とやましさを隠さずに照らし出す。
彼は突然手を伸ばす——こじ開けられた引き出しではなく、デスクの隅のペン立てへ。そこから、真新しい、以前彼女が使っていた旧型と同じブランドの、より新型の万年筆を取り出す——あのモンブランだ。
「これを探しているのか?」
ペンを彼女の前に差し出す。口調は淡々としている。
澪は完全に呆然とする。ペンと、彼の底知れぬ瞳を見つめる。
(助け舟を出してくれた?それとも、もっと残酷なからかい?)
震える手で、受け取れない。
晶は強要せず、ペンを何気なくデスクに戻す。視線は再びあの引き出しに落ち、しばらく沈黙の後、静かに告げる。
「中のものが知りたければ、直接私に聞けばよかったのだ」
澪の心臓が激しく縮み上がる。
(彼が……認めた?!私がもう見たことを、知っていた?!)
恐慌で彼を見つめ、唇を震わせるが、一言も発せられない。
晶が一歩前に踏み出す。彼女に近づく。微かな杉の香りと、外の冷気が混ざり、澪を包み込む。手を伸ばす——彼女に触れず、傍らを越え、直接あの引き出しを開ける。
澪の体が激しく震える。ほとんど崩れ落ちそうだ。
晶は引き出しから、正確に——氷室悠斗の調査報告書と、そして……あのホテルの長期賃貸契約書を取り出す。
二つの書類をデスクに並べ、彼女の前に押しやる。動作は落ち着いているが、有無を言わせぬ強さを伴う。
「見ろ」
声は低く、喜びも怒りも読み取れない。
「君は知りたがっていたのではないか?」
澪の視線が契約書の「1108」に釘付けになる。呼吸が困難だ。顔を上げて彼を見ることもできず、途方もない恐怖と言い知れぬ羞恥心が全身を呑み込む。
「五年前、ロイヤル・パレスホテル、1108号室」
晶の声が頭上から響く。平静な口調は、まるで自分とは関係のない出来事を語るかのようだ。
「あの期間、私はスイートを長期貸し切りにしていた。会社で処理するには不都合な、個人的な事柄のためだ」
澪の指先が掌に食い込む。痛みでかろうじて微かな意識を保つ。
「あの夜」
晶の口調に抑揚はない。
「隣から大きな物音が聞こえてきた。言い争い、物が投げつけられる音、そして……女の泣き声」
澪の体がドッと激しく震える。
「私は、追いかけてこようとした悠斗を止めた」
晶の声が冷たくなる。氷のような殺気が宿る。
「あいつを追い払った」
「それから……」
微かに言葉を止める。視線が、血の気のない澪の唇に落ちる。瞳の色が、恐ろしいほど深く沈む。
「君は私を掴み、助けてくれと頼み、私に連れて行ってくれと懇願した」
「そして、それから……」
言葉が途絶える。
書斎に、一片の死寂が漂う。
澪は釘付けにされ、全身が氷のように冷たくなる。思考は停止し、ただ彼を見つめ、最後の審判を待つしかない。
晶は深く彼女を見つめる。眼差しは極限まで複雑だ——痛み、後悔、怒り、そして理解不能な、深遠で暗い感情のうねり。
結局、あの「それから」を口にしない。
ただ手を上げ、指先で——極めて微かに、ほとんど幻覚のように——彼女の冷たい頬に触れる。
その触れ合いは一瞬で離れるが、電流のような感覚が走り、澪はドッと身震いする。
「今……」
手を引く。声は低くかすれ、形容しがたい疲労と……安堵を含んでいるかのようだ。
「まだ、何か聞きたいことはあるか?」
澪は呆然と彼を見つめる。彼の瞳の奥、読み解けなかった深い海を。氷の仮面の下、静かに裂けた、苦痛に満ちた痕跡を。
五年の霧——憎悪、恐怖、猜疑……
この瞬間、それらすべてが、このそっけないようで千斤の重さを持つ数言によって、完全に打ち砕かれる。
あの夜……人生を変えたあの夜……
ずっと悠斗が与えた最後の一撃だと思っていたあの夜……。
やはり、最初から、すべてが間違っていた。
暗闇で束の間の庇護を与え、杉の香りがした男……。
慌てて逃げ出し、振り返って顔をはっきり見すらしなかった男……。
ずっと、彼だった——氷室晶。
巨大な衝撃と不条理感が、津波のように澪を完全に呑み込む。
口を開けても声は出ず、眼前が真っ暗になり、体がぐにゃりと後ろへ倒れていく。
意識を失う直前、力強い腕がしっかりと彼女の腰を抱き締め、堅固で温かい腕の中へと誘う。
馴染み深い杉の香りがあたり一面に満ち、澪を包み込む。
意識が薄れゆく中、彼女はかすかに感じる——
冷たく深淵のような瞳と、絶対的な安心感が混ざり合った奇妙な存在。
恐怖と屈辱の余韻が、彼の腕の中で、徐々に溶けていく。
瞼が重く閉じる。心臓の鼓動は、まだ乱れているが、怒りでも恐怖でもなく——安堵と共鳴していることを、澪はかすかに理解する。
あの日封印したはずの真実……
それが、今、静かに解かれたのだ。
書斎の死寂は、ゆっくりと日常の空気に戻りつつある。
外の冷気が微かに差し込み、杉の香りと混ざり合う。
澪の全身を覆う恐慌と羞恥心は、晶の存在によって、奇妙なほど静かに鎮められる。
そして、澪は静かに、初めて——全てを受け入れる覚悟を、心の奥で芽生えさせる。
五年の霧は晴れ、真実はここにある。
彼の腕の中、すべての混乱がひとつに収束し——
恐怖も後悔も、全てが静かに解かれていった。
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