第23話:ターゲットは誰だ

エリアーナが去った後、俺たちの店の前は静まり返っていた。


「…カイ、どうすんだよ。あの女、本気だぞ」


ギルが、焦ったように言った。


「予約だけで百本だぁ? 俺たちの土器、まだ一個も売れてねえのに!」


確かに、エリアーナの香水は強力なライバルだ。

だが、俺は少しも焦っていなかった。


「落ち着け、ギル。俺たちと彼女とでは、そもそも戦っている市場(マーケット)が違う」


俺は、店の前に集まっている野次馬たちを見回した。

彼らの服装は、決して裕福とは言えない。主婦、職人、日雇い労働者。王都の大多数を占める、ごく普通の庶民たちだ。


「エリアーナの香水は、一本いくらすると思う?」


俺の問いに、ダンが答える。


「…ベルク商会の名前と、錬金術師の開発費を考えれば、安くても金貨一枚は下らないだろうな」


金貨一枚。それは、スラムの住人にとっては、一生かかっても手にできないような大金だ。庶民にとっても、数ヶ月分の生活費に相当する。


「そうだ。彼女の顧客(ターゲット)は、王都の人口の、ほんの一握りの富裕層だけだ。だが、俺たちのターゲットは違う」


俺は、改めて看板を指さした。


『安全な水を、すべての人に』


「俺たちの顧客は、この王都に住む、すべての人々だ。特に、高価な魔道具や、きれいな水を毎日買う余裕のない、大多数の庶民だ」


俺は、商品の値札を書き直した。


「ろ過器、一家に一台、大銀貨一枚! 浄化石は、一袋で銅貨五枚だ!」


大銀貨一枚。それは、庶民でも、少し頑張れば手が届く値段だ。浄化石に至っては、子供の小遣いでも買える。


「薄利多売、か。だが、数で勝負するってことか」


ダンが、俺の戦略を理解する。


「その通り。そして、俺たちの商品には、香水にはない、決定的な強みがある」


俺は、野次馬の中から、幼い子供を連れた母親に声をかけた。


「奥さん。あなたのお子さんに、毎日、安全で美味しい水を飲ませてあげたいとは思いませんか? 病気は、いつだって弱い子供から襲ってくる。このろ過器があれば、もう井戸水の汚れに怯える必要はありません」


俺の言葉は、介護士として、何百人もの家族と向き合ってきた経験から生まれた、リアルな響きを持っていた。


母親のオーラが、不安を示す灰色から、子供を想う愛情のピンク色に変わる。


「…そのろ過器、一つ、いただけますか」


記念すべき、最初の顧客だった。


「ありがとうございます!」


俺と、カイ・ファミリーの子供たちが、一斉に頭を下げる。


その母親がろ過器を買ったのを皮切りに、客が次々と俺たちの店に押し寄せ始めた。


富裕層向けの「贅沢品」と、庶民向けの「必需品」。

二つの異なる戦略が、新人商人市という戦場で、激突する。

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