第4話:生存戦略
よろめく足で倉庫に戻ると、ダンが鬼のような形相で入り口に立っていた。俺の姿を認め、次いで俺が抱える水の入ったぼろ布の塊に気づくと、彼の目に驚きが浮かぶ。
「…お前、本当に持ってきやがったのか」
「ああ。取引、だからな」
俺は中に入り、まずリナの元へ向かった。彼女はまだ眠っていたが、顔色はさらに良くなっている。
「リナ、起きれるか? 水だ」
俺の声に、リナがゆっくりと目を開ける。俺はろ過した水を少しずつ、彼女の乾いた唇に含ませてやった。
「焦って飲むな。ゆっくりだ。脱水症状の後に急に大量の水分を摂ると、身体がびっくりする」
前世の知識だ。俺は他の子供たちにも同じように水を分け与えながら、注意を促す。子供たちは、飢えた獣のように水に飛びつこうとして、俺の言葉に戸惑いながらも、ゆっくりと水分を補給していく。
その様子を、ダンが少し離れた場所から腕を組んで見ていた。
やがて、全員に水が行き渡ったのを見計らって、彼は俺の前にやってきた。
「…カイ」
「なんだ?」
「お前、一体どうやったんだ? ハイエナの連中が、ただで何かをくれるはずがねえ」
ダンの瞳には、もう単なる不信感じゃない、何かを理解しようとする真剣な色が宿っていた。
ここで嘘を吐いても意味がない。かといって、全てを話すわけにもいかない。俺は、彼が受け入れられる範囲の「事実」を切り出すことにした。
「俺には、少しだけ、人を癒やす力があるらしい。ハイエナのリーダーが怪我をしてた。それを治してやる代わりに、水をもらった。それだけだ」
「…癒やす力」
ダンは、眉間に深い皺を刻んでその言葉を反芻する。この世界にも魔法や奇跡という概念はあるのだろう。彼の反応は、完全な否定ではなかった。
「だが、カイ。その取引は一度きりだ。水はまたすぐになくなる。食いもんだって、もう底をつきかけてる。次も同じ手が使えると思うな」
ダンの言う通りだ。
俺は、目の前の問題を解決したに過ぎない。だが、このスラムという劣悪な環境そのものが、俺たちを殺しにかかっている。
対症療法ではダメだ。
前世で俺が学んだこと。それは、個別のケアだけでは限界があるということ。利用者が安心して暮らすためには、施設全体の環境、人員配置、業務フローといった「システム」そのものを改善しなければならない。
今、俺がやるべきことも同じだ。
「なあ、ダン」
俺は、このグループのリーダーを見据えて言った。
「もう、その日暮らしはやめにしないか?」
「…は? 何を言ってやがる」
「場当たり的に食いもんや水を探すんじゃなくて、安定して手に入れられる仕組みを作るんだ。俺たちで」
俺の目には、この倉庫の子供たち一人ひとりの顔が浮かんでいた。彼らはまだ、ただ生きているだけの存在だ。だが、違う。彼らは、この過酷な環境を生き抜くための「リソース」でもある。
「俺には、前世の…いや、少しだけ知識がある。お前には、こいつらをまとめる力がある。他の奴らにも、何かできることがあるはずだ」
俺は、介護士・相沢譲として培った、もう一つのスキルを発動させる。
それは、個々の能力(アビリティ)を評価(アセスメント)し、最適な役割(ロール)を与え、組織(チーム)として機能させる、マネジメントの技術。
「生存戦略を立てる。俺たちの、生き残るためのシステムを、今ここから作るんだ」
俺の宣言に、ダンは呆気に取られたように、ただ俺の顔を見つめていた。
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