第3話:取引の証明
「取引、だと?」
赤毛の少年――ハイエナのリーダーは、眉をひそめて俺の言葉を繰り返した。彼の仲間たちは、腹を抱えて笑い出す。
「おい聞いたか? このチビ、ギル兄と取引するってよ!」
「腕を治すだぁ? 寝言は寝て言え!」
嘲笑が広場に響く。だが、ギルと呼ばれたリーダーだけは笑っていなかった。彼は痛みに歪む顔で、じっと俺を見据えている。俺の`ノンバーバル・コミュニケーション`が、彼のオーラに浮かぶ「期待」と「疑念」の揺らぎを正確に捉えていた。彼は、藁にもすがりたいほど、この痛みに苦しんでいる。
「…いいだろう。やってみろ」
ギルが低い声で言った。
「だがな、チビ。もしこれがくだらねえハッタリだったら…その喉、二度と声が出ねえようにしてやる」
殺気のこもった脅しに、俺はただ黙って頷いた。
俺はギルの前に進み出て、彼の血が滲む左腕にそっと手をかざす。
(《心身治癒(トータル・ケア)》、起動。APIコール:`フィジカル・ヒール`。対象、左腕の裂傷)
前世のスキルとこの世界の力が、俺の中で一つのシステムとして機能する。
手のひらから、温かい光が溢れ出した。リナを癒やした時よりも、ずっと凝縮された、密度の高い光だ。
途端に、魂の芯がギリギリと削られるような、強烈な疲労感が俺を襲う。
(ぐっ…! 発熱のような全身症状とは違う。外傷の治癒は、WPの局所的な消費量が大きいのか…!)
まるでスマートフォンのバッテリーが急激に減っていくように、俺の精神力(WP)がごっそりと持っていかれる。視界がぐらつき、立っているのがやっとだ。
だが、効果はてきめんだった。
ギルの腕に巻かれた汚れた布が、新しい血を吸うのをやめる。化膿しかけていた傷口から、光の粒子が不浄なものを弾き出すように輝き、裂けた皮膚がまるで逆再生のように繋がっていく。
「な…なんだ、これ…」
ギルが、信じられないものを見る目で自身の腕を見つめる。仲間たちの笑い声は、とうに止んでいた。
数秒後、光が収まった時、そこにはガーゼのように巻かれた布だけが残り、その下にあったはずの深い傷は、跡形もなく消え去っていた。
「…痛みが、消えた…?」
ギルは恐る恐る腕を動かし、拳を握り、開く。その動きに、もう痛みや違和感はない。
彼はハッとしたように俺を見た。その瞳に宿るのは、もはや侮蔑ではない。畏怖と、そして強烈な好奇心。
「…お前、一体、何者だ?」
「ただのカイだ」
俺はふらつく身体を叱咤し、答えた。
「取引は成立、でいいな?」
ギルはしばらく黙って俺を睨みつけていたが、やがて短く息を吐くと、顎で噴水の方をしゃくった。
「…好きにしろ。だが、汲めるだけだ。次はない」
「ああ。それで十分だ」
俺は持ってきたぼろ布を水筒代わりに、濁った水を汲み始めた。背中に突き刺さるハイエナたちの視線は、もはや敵意だけのものではなくなっていた。
彼らは理解したのだ。
このスラムにおいて、暴力だけが力ではない。
俺の持つこの不可解な「治癒」の力は、時として暴力以上の価値を持つということを。
俺は、この世界で最初の「信頼」の担保を、手に入れた。
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