元介護士の異世界国づくり 〜「安心」と「幸福」のケアプランで、すべての人を救います〜
月詠 幻(つきよみ げん)
第1話:ハローワールド、心の痛み
焼けるような喉の渇き。
身体を内側から燃やすような熱。
意識が、暗く重い水の底からゆっくりと浮上していく。
(…熱発か? 38度5分…いや、もっと高い。悪寒もする。典型的な炎症反応だな…)
職業病、というやつだ。自分の体調よりも先に、冷静なアセスメントから入ってしまう。
だが、何かがおかしい。
身体が鉛のように重いのはいつものことだが、手足の感覚が妙に小さい。筋肉も、骨格も、まるで自分のものではないみたいだ。
ゆっくりと目を開ける。
視界に映ったのは、煤けた木材が剥き出しになった天井。隙間からは、弱々しい灰色の光が差し込んでいる。
鼻をつくのは、埃とカビと、何か得体の知れないものが腐ったような、不快な臭いの混合物。
俺の知っている施設の、消毒薬の匂いが染みついた、清潔な白い天井ではなかった。
「…っ、ごほっ! げほっ…!」
思わず咳き込むと、喉に激痛が走った。そして、漏れ出た声は、俺の記憶にあるものとは似ても似つかない、か細く高い子供の声だった。
混乱する頭で、震える手を顔の前にかざす。
小さい。
傷だらけで、爪の間には黒い垢が詰まっている。紛れもなく、子供の手だ。
その瞬間、二つの記憶が奔流となって俺の頭に流れ込んできた。
まるで壊れたハードディスクを無理やり読み込むように、激しい頭痛と共に、二つの人生が俺の中で混ざり合う。
一つは、炎と黒煙の中で、守りきれなかった命への後悔に苛まれながら死んでいった、介護福祉士・相沢譲(あいざわ じょう)、三十四歳の記憶。
もう一つは、このスラム街の片隅で生まれ、ゴミを漁り、他の孤児に殴られ、数日前から高熱に浮かされている、名もなき少年の記憶。
「…転生、ってやつか」
あまりに非現実的な結論に、乾いた笑いが漏れた。
介護の現場は、人の生死と隣り合わせだ。利用者さんから、こういうファンタジーのような話を聞かされることも少なくなかった。まさか、自分が当事者になるとは。
(まずは現状把握だ…)
俺は、名もなき少年――カイ、と呼ばれていたらしい――として、この世界にいる。
身体は推定7、8歳。重度の栄養失調と高熱。極めて危険な状態だ。
周囲を見渡せば、ここは打ち捨てられた倉庫のようで、俺と同じような境遇の子供たちが十数人、汚れた布にくるまって雑魚寝している。誰もが痩せこけ、その瞳には他人への不信感と、生きることへの諦めがこびりついている。
まさに、ケアが最も必要とされる環境。
前世の俺なら、腕が鳴るところだが…。
その時、すぐ隣で、か細い呻き声が聞こえた。
見ると、俺よりもさらに小さい少女が、身体を丸めて苦しそうに息をしている。顔は真っ赤で、呼吸も浅く速い。カイの記憶によれば、彼女は「リナ」。ここ数日、俺と同じように熱を出している。
まずい。このままでは脱水症状で死ぬ。
介護士の魂が、最大級の警報を鳴らす。
(助けないと…! でも、どうやって? 薬も、綺麗な水も、ここには何もない…!)
焦りが募る。前世の無力感が、悪夢のように蘇る。まただ。また俺は、目の前で、か弱い命が失われていくのを見ていることしかできないのか?
「助けたい…」
心の底から、そう強く願った、瞬間だった。
俺の身体から、ふわりと淡い光が溢れ出した。
そして、目の前のリナの姿が、奇妙に色づいて見えた。
彼女の全身が、まるで淀んだ沼のような、赤黒いオーラに包まれている。それは明らかに「苦痛」や「恐怖」といったネガティブな感情の色だと、直感で理解できた。
なんだ、これは?
理解が追いつかないまま、俺は――カイは、震える手をリナの額に伸ばした。
前世で、熱に浮かされる利用者さんにしてあげたように。ただ、その苦しみが少しでも和らぐようにと願いながら。
「大丈夫…大丈夫だからな…」
手のひらが、温かい光を放つ。
すると、リナを包んでいた赤黒いオーラが、ゆっくりと、穏やかな青みがかった光に浄化されていくのが見えた。彼女の荒い呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
これが、俺の新しい力。
神様か何かがくれた、二度目のチャンス。
俺は、カイとして、この世界で生きていく。
そして、今度こそ。目の前で苦しむ全ての人を、一人残らず救ってみせる。
前世で果たせなかった誓いを胸に、俺の二度目の人生が、静かに起動した。
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