ペルソナが犯す
ラウルー
朝のコーヒー
「おまたせしました」
「…」
「こちら、モーニングセットになります」
「…どうも」
店員はそう言うと目の前の男性に対し、トースト、スクランブルエッグ、ソーセージ、レタス、トマトの乗った豪華なモーニングセットを、机の優しい音を立ててゆっくりと置く。
「ごゆっくりどうぞ」
どこを向いているか分からない目の店員は、機械の様な口調で呟いたあと、足を地面に引きずって、その場を後にした。
「…」
差し込む朝日には、若々しさと、初々しさなるものがあると聞く。
今日の陽にも、その空元気さは無邪気な子供のように満ちている。
ならば、その日を受けてこうも憂鬱になるのもなぜなのだろうか。目の前に映る全てが宝箱の様に不思議だった頃なら、もっと気楽に生きれたのかもしれない。
きっと、目の前の朝日眺める彼は、そう考えているだろう。
ここは喫茶店「チューベローズ」。街に立ち並ぶ商店街。その一角にある、何の変哲もない店だ。
この僕は、その喫茶店で店長を務めている。
ここでは主に、朝の六時から、夜の十時までの勤務。ホールスタッフ、キッチンスタッフはそれぞれ2人。時々ヘルプで、僕がどちらかに加わることはあるものの…。
特別客が多い訳ではないために、その機会は滅多とない。
ならば僕は何をしているのか?←これには、僕がカウンターで注文に合わせてコーヒーを淹れていると想像してほしい。
他の四人がまともにコーヒーや、紅茶を淹れれないのを、僕が毎日カバーしているのだ。
ついでに、この店には僕含め従業員は5人しかいない。特別時給も高くなく、著名人も来ないような店にしては、1人じゃないだけマシである。
「…はぁ」
おっと、説明に夢中で話が逸れていた、申し訳ない。
目の前の彼、見るからに20代後半のサラリーマンで、それも、こんな朝から喫茶店に来ている独身であり、常連でもある。
毎朝この店に来ては、頼んでいく物もいつも一緒。変化があるといえば、三日周期でコーヒーに入れる砂糖の量が、一杯、二杯、三杯と変わる程度。
今日はその周期のちょうど真ん中の、二杯の日であった。
店員からしてもすでに見知った顔であり、どのように対応すればいいかも熟知している。俗に言う、面白味のない常連さんだ。常に目線は虚ろで、どこを向いているかも分からない。そして、食べ終われば、ごちそうさまの一言で出勤していく。
まあ、彼にとってはこの店じゃなくてもいいのかもしれない。それ程に店員への態度も素っ気なく、朧気な雰囲気を醸し出している。
「…」
僕がこうしてカウンターからコーヒー豆の箱をいじる間にも、彼はいつも通りのんびりと、されど料理が冷めない程度に食べ進めていく。
目の前でここまで無表情で食べられるのも、慣れれば違和感もない。慣れとは恐ろしいものだ、誰でも最初は不快に思ったことが、気づけば作業の様にその人に染み込んている。
ある種、日常とはそういう形がもっとも良いのかもしれない。誰もが当たり前の事を当たり前に行い、健康的で当たり前な食事、就寝で、日々をどんどん消化していく。
社会が求める人材は、結局打算的で、予測しやすいバカ正直で、常識に囚われ健康的に過ごす者なのだ。学歴などその次であって、ひねくれた常識のない者など、社会の輪を乱すだけで、どこも必要としない。
『時代に革命を!』とかの見出しを書く人達でも、結局そんなの無理だと心の片隅に書いているのだ。
これでは結局何も変わらない。希望も未来もないのを理解して、自分を動かすリモコンを操作するようにも思える日々に、自然と逆戻りしているのだ。
そうして日々を過ごせば、結果的に常識に染まるのは、言うまでもないだろう。
「…」
相変わらず、トロトロのスクランブルエッグに対して、箸を使うのは変わらない。毎回それに困って、おのずとトーストに乗せて食べているのは、もはや恒例の事なのにだ、
こうして見れば、彼も中々に変わった者にも思える。中途半端な試みを、できないからという理由ですぐに諦めて、絶対的な成功の方へと意見を傾ける。
結局、人間にとっては、人からの助言よりも、自分の絶対的自信のある意見の方が曲がり通るのには十分なのだ。だから不貞腐れるし、失敗したことにも意地を張って頑なに意見を変えようとしない。
今の彼だってそうだ。残った最後のトーストの一片を、何事もないように口に放り込んだ。
失敗を失敗と認識しない。こうした些細な出来事が、なにかの発見に繋がるとは知らずにだ。
眺めよう。そう決めたのなら、手を動かさずにじっくりと彼を観察してみたい。そうすれば、僕にも何か発見があるかもしれない。
しかし、彼はもう食べ終わった。もうじき、いつもの手持ちの小説を10分ほど読んだ後、いつものバスが来る時間の3分前に店を出るだろう。
店員の一人もそれを理解しているのか、既に台拭きが所定の数用意されている。テーブル席の端の方とは言え、彼は毎回目に付く窓際に、それも、朝日が元気よく入り込む角度の席に座るものだから、店の前を通る通行人の目の端に、対応の速さを留めて置くのに十分であった。
僕はまだ客の少ない静かな時間に、コーヒーを淹れる心地いい音と、鼻を潤す誇り高い香りを店内に大きく満たして行く。
その間、彼の口角が、ほんの少し、変化したのを、僕は見逃していた。
ペルソナが犯す ラウルー @kaenoakanata
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