君に捧げるアンコール
トムさんとナナ
第1章:ようこそ、最低な異世界へ
目覚めたとき、私は見知らぬ石畳の上に倒れていた。
頭を起こすと、見慣れない中世ヨーロッパ風の街並みが目に飛び込んでくる。石造りの建物、馬車の音、そして空に浮かぶのは確実に地球のものとは違う二つの月。
「これは…夢?」
震える手で頬を叩いてみたが、痛みははっきりと感じられた。現実なのだ。私、星野栞は、二十五年間平凡な事務職として過ごしてきた人生から、突然異世界に放り出されてしまったのだ。
立ち上がろうとして、ふと自分の手元を見ると、見慣れない小さな袋が握られている。中を覗くと、キラキラと光る美しい結晶が三つだけ入っていた。
「これは…ジュエル?」
その時、脳裏に不思議な知識が流れ込んできた。この世界では、人々が感じる「ときめき」や「感動」が物理的な結晶として現れ、それが通貨として使われているのだという。より多くの人を魅了し、心を動かした者ほど豊かになれる世界。逆に言えば、誰からも愛されず、心を動かすことのできない者は…。
「生きていけない」
呟いた瞬間、空腹が襲ってきた。この三つのジュエルで一体何が買えるのだろうか。
覚束ない足取りで街を歩いてみると、そこここで見かけるのは輝くような美男美女たちだった。街角で詩を朗読する青年の周りには人だかりができ、投げ込まれるジュエルが袋いっぱいになっている。美しいドレスを着た女性が微笑むだけで、通りすがりの男性たちがため息をついてジュエルを差し出していく。
そして私は、汚れた服を着て、髪も乱れたまま、誰からも見向きもされずにいた。
「パンはジュエル十個からです」
パン屋の店主に言われた時、私は絶望した。手持ちは三つ。これでは一日も生き延びられない。
結局、その日は「荷物運び」「野菜の皮むき」「石畳の掃除」といった日雇いの仕事を必死に探し回り、何とか五つのジュエルを稼いだ。それでもパンを半切れ買うのがやっとだった。
夜、寂れた宿屋の隅で固いパンをかじりながら、私は考えた。この世界で生き抜くには、誰かの心を動かす必要がある。でも、私には歌う才能も、美貌も、詩の才能もない。一体何ができるだろうか?
前世の記憶を辿る。私は確かに、特別な才能のない平凡なOLだった。でも一つだけ、夢中になれることがあった。
「推し活…」
そう、私はアイドルグループ「Stellar☆Dreams」の大ファンだった。メンバー一人ひとりの魅力を分析し、どうすれば彼らがより輝けるか、どうすればファンが増えるかを常に考えていた。個人のファンというより、グループ全体の成功を願う「箱推し」だった私は、メンバーたちの個性を活かすアイデアを考えるのが何より楽しかった。
でも、それが一体この世界で何の役に立つというのだろう。
考えても仕方ない。明日もまた、日雇い仕事を探さなければ。私は薄い毛布にくるまって、初めての異世界の夜を過ごした。
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