第九話「皇太子の不眠症」

 帝国での生活にも少しずつ慣れてきたある日の夜、僕は偶然知ってしまった。

 ゼノンが、長年原因不明の不眠症に悩まされているということを。

 彼の側近である騎士団長のカイが、心配そうに侍医と話しているのを、通りがかりに聞いてしまったのだ。


「皇太子殿下は、今宵もほとんどお休みになれていないようだ」

「様々な薬を試しているのですが、どれも効果がなくて……」


 それを聞いて、僕の胸はちくりと痛んだ。

 いつも冷静で完璧に見えるゼノンが、そんな苦しみを抱えていたなんて。彼が時折見せる疲れたような表情は、そのせいだったのかもしれない。

 毎日、たくさんの優しさをくれる彼に、僕も何かしてあげたい。彼の力になりたい。

 その一心で、僕は前世の知識を思い返した。


(そうだ、ハーブ……。安眠効果のあるハーブなら、いくつか知っている)


 カモミール、ラベンダー、バレリアン。心を落ち着かせ、穏やかな眠りを誘うハーブたち。

 幸い、この帝国の庭園はよく手入れされており、様々な種類の植物が植えられている。もしかしたら、材料は揃うかもしれない。


 僕はいても立ってもいられなくなり、ゼノンの執務室を訪ねた。夜遅くまで、彼は一人で仕事をしている。


「……エリオットか。どうした?」


 書類の山から顔を上げたゼノンは、少し驚いたように僕を見た。


「あの、ゼノン様……。夜分に申し訳ありません」

「構わない。何か用か?」

「その……眠れない、と伺いました。もし、ご迷惑でなければ、僕に試させてほしいことがあります」


 僕は勇気を振り絞って、ハーブを使った安眠法を提案した。乾燥させたハーブを調合してサシェを作り、それを枕元に置くのだ。薬ではないから、体に害もない。


「……ハーブ?」


 ゼノンは怪訝そうな顔をしたが、僕の真剣な瞳を見て、小さくうなずいた。


「……分かった。お前の言う通りにしてみよう」


 彼は僕を疑うことなく、信じてくれた。それが、たまらなく嬉しかった。

 僕は早速、庭園の管理人と、ゼノンの計らいで帝国への同行を許された侍従のルークに協力してもらい、必要なハーブを集めた。

 そして、前世の記憶を頼りに、最も効果的な配合でハーブを調合していく。

 ゼノン様の疲れが、少しでも癒えますように。

 ただ、その一心で。小さなサシェに、僕は祈りを込めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る