第8話 薄紅色の冬


 氷室は重い瞼を開く。

 ぼやけた目に保健室の天井が映り、消毒液の匂いがした。


(神原と話して……それで……)


 走っている途中で意識を失ったのを思い出す。


「なんで俺、保健室に……」


「あ、起きた?久しぶりの登校だったのに災難だったね」


「先生……俺、なんで」


「神原君が連れてきてくれたのよ。血相変えて来たからこっちがびっくりしたわよ」


(神原が)


 神原が俺に触れたからだろうか。

 熱もわずかに下がり、吐き気や頭痛は大分和らいでいる。

 けれどそれ以上に、氷室の後を追ってここまで連れてきてくれた神原の優しさが何よりも嬉しかった。


「ずっと神原に救われてたのに、俺は」


 自分のことばかり考えていた。

 神原の力と優しさにつけんで、ずっとあの温かさを享受していた。


(だけど、好きって気持ちが止められない)


 優しい神原が好き。

 元気に笑う神原が好き。

 遊びに連れて行ってくれる神原が好き。

 人に好かれてる神原が好き。

 オシャレな神原が好き。

 頼もしい神原が好き。


 挙げればキリがない。

 出会った当初はこんなに惹かれるなんて思いもしなかった。


「俺、神原のことすごく好きじゃん……」


 わずかに胸が疼く。

 これは霊の仕業じゃなく、胸の高鳴りだと気付くのにさほど時間はかからなかった。


「ちゃんと言わなきゃ……俺のこと」



――――――――――



 氷室の手を振り払った翌日。

 神原は柿田と天木と共にファストフード店の席にいた。


 (なんで、手を振り払ったんだろ)


 暗い顔をしながら飲み物に口をつける。

 氷室の傷ついた顔を思い出し、頼んだバーガーセットが思うように進まない。

 

(あんな顔させるつもりなかったのに)


 再び罪悪感に押しつぶされそうになる。

 ため息を吐きながらポテトを口に運ぶ。

 その様子を柿田と天木はじっと見つめていた。

 柿田が心配そうに声をかける。


「すっげぇ落ち込んでんな、どうした」


「……氷室を傷つけた」

 

「俺らにはお前の方が重症に見えるけど」


 その言葉に神原は首を横に振る。

 潰れた紙ストローを指先でいじる。

 遠くのレジで元気に接客する店員の声が聞こえる。

 それ以上神原は口を開かなかった。


「天木くぅん、神原くん重症ですよ」

「これは説教だな、柿田」


 天木が神原の額にデコピンを喰らわせる。


「いっった!はぁ!?」

「俺のデコピン最強だろ」

「なんだよいきなり!」

「お前、ウジウジしすぎ。素直になれよ」


 天木の言葉に神原はどきりとする。


「素直って……何に」

「何とは言わんがさ、分かってるから」

「っ?!」


 驚き冷や汗を流す神原に、柿田は笑いながら声をかける。


「あのさ、何年一緒にいると思ってんの?例えお前がそういう、なんだ?……俺らと違うところがあってもさ。嫌いになるわけないし!」


 神原は下を向き、不安そうに声を揺らす。

 

「キモく、ねーの?」


 天木は微笑む。

 

「どっちかというと柿田の方がキモい」


「は!?」


 柿田は目を見開き、天木の方を見る。

 そのやり取りに神原は思わず声を上げて笑い出す。

 たくさん笑いすぎて、涙が出てくる。


「ははは…お前らのせいで、悩むのバカらしくなってきた、お前ら良い奴だな」


「まあな!」

「否定はしないでおくわ」


 柿田と天木が神原の肩を叩く。


「何があってもさ、俺ら友達だから」

「あんなに押してたんだからもっと押せ」

 

 神原の胸に氷室のさまざまな顔がよぎる。

 その全てが愛おしい。


 儚い氷室が好きだ。

 穏やかに笑う氷室が好きだ。

 俺の話を楽しそうに聞く氷室が好きだ。

 遊びに誘ったら喜んでくれる氷室が好きだ。

 一人の時少し寂しそうにしている氷室が好きだ。

 俺が触れても嫌な顔をしない氷室が好きだ。

 

「……やっぱ、好きだ」


 神原は口を手で押さえて、頬を紅潮させる。

 

「おうギラギラしてんな!そのまま行け」

「骨は拾うから」

「なんで振られる前提なんだよ!」


 神原は目尻を拭いながら笑う。

 その目にはもう罪悪感はどこにもなかった。



 

――――――――――

 

 

 少しずつ秋が過ぎ去り、凍えるような季節がやってきた。

 放課後、少し日が翳った校舎裏に氷室はいた。

 氷室はメッセージアプリを開き、神原のアイコンをタップする。

 文章に迷い、何度か消しては書いてを繰り返し、ようやく完成する。

 できたものは存外短い文章だった。

 そっけない文章だっただろうか。

 そんなことを考えながら、氷室は冷えた風を浴び、身震いする。

 

 (神原は来てくれるかな)

 

 これまでも何度か神原と喋ったが、なぜかぎこちなくなり、肝心の話ができていなかった。

 氷室は今日こそと決意を固めた。



 

 神原は帰りのホームルームが終わった教室で、柿田と天木と駄弁っていた。

 神原のポケットに入っていたスマホが鳴り、神原は画面を見る。


 そこには氷室からの通知が来ていた。

 神原は慌ててアプリを開き、内容を確認する。


「いつもの場所で待ってる」


 たったそれだけの文章なのに、神原の胸は歓喜に震える。


「俺、ちょっと行ってくる」


 神原は教室を飛び出すと校舎裏に駆けて行った。


「顔見ただけで誰からか分かるなんて、俺たちも大分神原のこと好きだよな」


 柿田がイタズラっぽく笑う。

 

「マジで長かったな、今度飯奢ってもらおうぜ」


 天木は肩を竦めると、神原が走り去った教室の入り口を微笑ましく眺めた。




――――――――――――――


 神原は息を切らせながら校舎裏についた。

 そこには冷たい風に吹かれている氷室がいた。


 氷室が神原の到着に気付くと、風に揺れる髪を手で抑えながら優しく微笑む。

 氷室の吐いた白い息が、風に溶けていく。


「来てくれてありがとう」


 神原は軽く息を整えると氷室に向かって足を進める。

 一歩一歩足を進めるたび、鼓動が早まっていく。

 氷室の前まで行くと、薄い灰色の瞳に神原がはっきりと映っている。

 

「神原、話したいことがある」

「俺もだよ、氷室」

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