第2話 灰色の春
それから何年か経ち、俺は高校二年生になっていた。幼い頃から霊に絡まれているせいで、体が徐々に弱くなり、日常的に発熱や頭痛、吐き気や嘔吐をするようになっていた。
体調不良については少しずつ慣れてきてはいるが、一番弊害を受けているのが人間関係だった。人の形を留めていないものは関わらないようにすることができたが、人の形を留めたものについては未だに見分けがつかない。だから俺は人と目を合わせない生き方を選んだ。
「氷室、この前休んでいた課題持ってきたよ」
「あ、……ありがと」
体調不良で休んでいた時の課題をクラスメイトの女子から受け取る。
クラスメイトの女子は課題を渡すとそそくさと俺の席から離れ、自分の席に戻り近くの友人達とヒソヒソと声を交わす。
「あいつ、まじで暗いよね。何考えてるか分かんないし。」
「学校休んでたのも本当に体調不良かな?なんか悪いことしてたりして」
聞こえないように喋っているつもりでも、本人には意外と聞こえていたりする。だが、そんな陰口にももう慣れてしまった。
クラスでは暗い。先生からは協調性がないとよく言われている。改善したくてもこの体質のせいでうまく人と付き合える気がしなかった。
誰とも目を合わせないようにするために、長く伸ばした前髪もその評価に拍車をかけているに違いない。
この体質のせいで俺はずっと孤独だった。
ある日、古本屋で買い物をしていると、
「何かお探しですか?」
と、声をかけられた。
店員さんかと思い振り向いたら、顔が大きく抉れた女がそこに立っていた。
やばい、と思った頃にはもう遅かった。
女が体に無理矢理入ってくる。まるで臓器を押しわけ、そこが自分の居場所だと言うように俺の中に居座ろうとしている。
その感覚に気持ち悪くなり、俺は慌てて店を飛び出す。自分の中にいる奴らと合わさり、溶け込もうとしている。
凄まじい吐き気と頭痛がする。冷や汗を流しながら、家に帰ろうとするが気持ち悪さで足が全然進まない。
倒れてしまう。そう思った瞬間に再び声をかけられた。
「大丈夫ですか?」
誰かの手が背中に触れる。
その瞬間、体がふっと軽くなる。
吐き気と頭痛は鳴りを顰め、久方ぶりに息が吸いやすいと思った。
「え、なんで」
俺は顔を上げるとそこには日に焼けた肌と健康そうな黒髪、そして生命力に溢れた目をした男が立っていた。
「あの大丈夫ですか、だいぶ辛そうでしたけど、ってあれ、もしかして隣のクラスの氷室だっけ?」
俺はその男に見覚えがあった。
「神原…だっけ…」
神原春渡。同じ学年の同級生だ。とても明るく、常に中心にいるような男だった。俺のクラスでも神原の話はよく話題に上がっていた。
「そうそう!覚えててくれるなんて嬉しいよ!てか体調大丈夫?マジで辛そうだったけど」
「なんか、良くなった。…ありがとう」
久しく良い体調に思わず笑みが溢れてしまう。
「え!氷室って笑えるんだ!やっぱ噂なんて信じちゃだめだな」
「噂…?」
聞き返してきた俺に神原はバツの悪そうな顔をして顔を伏せる。
「あぁ…っと、あんまり気分のいい話じゃないんだけど…」
「別にいいよ」
「その…全然笑わない暗いやつだって聞いてたから、ごめん、嫌な思いさせたよな」
俺はなんだそんなことか。と思ってしまった。
事実は何も違わないのだから。
「事実だから謝らなくていいよ」
神原は弾かれたように顔をあげ、
「いやいや!噂で第一印象決めるなんてダメだろ!それに氷室ちゃんと笑えるじゃん!」
なぜ神原が怒っているのだろうと思っていると、神原の背後に下半身が潰れた男がぐちゃぐちゃと音を立てながらこちらに向かってきた。
また入られる、そう覚悟して身構えていると、神原をすり抜けてこちらに向かってきた霊が、唐突に淡く光って消えていった。
「あ、え…」
「おい、大丈夫か?!また気分悪くなったか?」
俺は理解した。神原は霊を消す、もしくは成仏させる力がある。
神原のそばにいれば自分は霊に悩まされることがなくなるかもしれない。
神原は未だに心配そうに俺を見ている。
「ねえ、神原。お願いがあって…」
「ああ、いいよ。俺にできることなら」
「俺と、友達になって」
神原は意表を突かれたような顔をした後、ニカっと笑って、
「何だよ、そんなんでいいのか」
その言葉に俺は久しく口角が上がるのを感じた。
その日から、俺と神原は友達になった。
明るい神原と暗い俺、全く接点がない俺たちが友達になったのが珍しいのか、普段避けられているはずのクラスメイトから一時は質問責めを受けることになった。
神原は他に友達もいるはずなのに、昼休みは必ず俺のクラスに来て、昼食を取るために校舎裏に連れていった。
自分にばかり構っていいのかと聞いたが、新しい友達だから、とはぐらかされているような答えが返ってきた。
それから二週間、二人でいても訝しまれないくらいには、俺と神原が一緒にいるのが当たり前になった。
とある休日、神原と街に出かけることになった。
普段はあまり外に出ないようにしていたが神原と一緒なら長時間出かけても大丈夫という確信めいたものがあった。
神原は待ち合わせ場所を有名なコーヒーチェーン店を指定した。初めて入るオシャレな店舗に落ち着かない様子で入店する。
「氷室、こっち」
声のする方に目を向けると、当たり前であるが私服姿の神原がいた。
「ごめん、お待たせ」
「いいよ。むしろ慣れない場所を指定してごめん、迷ったよな?」
「まあちょっと、ってなんで俺が迷ったって分かったの?」
神原はふっと笑うと、
「だって、お前店の前でオロオロ見回してたし。」
「分かってたなら呼んでよ……」
「ごめんごめん、なんだか面白くて」
神原は悪意なく俺に笑いかける。
そこから適当に飲み物を頼むと、神原から話を切り出される。
「そういえばこの前の休み時間、めっちゃ顔色悪そうにしてなかった?」
「ああ、まぁ…うん」
「もしかして氷室って体弱いの?なんか持病があるのか?」
「持病っていうか…まあ子供の頃にちょっと…」
霊を取り込みすぎちゃって、なんて言えなかった。
神原は踏み込みすぎるのは良くないと思ったのか、
「あんまり無理すんなよ、辛かったらすぐに保健室行け?なんだったら俺が連れていくからさ。」
「隣のクラスからわざわざ神原が来てくれるの?」
俺は面白くて思わず聞き返す。
「当たり前だろ…って言いたいけど、下手したら先生にサボりを疑われるな…」
俺たちはその想像した光景が何となく面白くて、小さく笑い合った。
そこから神原は俺に、色々と俺の話を聞いてきた。
「氷室ってなんの食べ物が好き?」
「なんか趣味ある?」
「休日は何してんの?」
質問に答えるたび、「俺もそれ好き!」とか、「へえ俺それ知らないわ!今度一緒に教えてよ」とか、明るく相槌を返してくれる。
その相槌が心地よくて、俺は気づかない内にたくさん自分のことを喋っていた。
そこでふと気がついた。神原と一緒に入る時は頭痛や吐き気などの体調不良が現れないということに。何なら街中にいる霊たちの姿を全く見ない。
(本当に神原は特別な存在なんだ)
俺は神原という存在にどんどん惹かれていった。
日が暮れ始めた頃、俺と神原はその場で別れ、帰宅することになった。
「また明日な」、とお互いに手を振りあった。
駅のホームで何となくスマホを見る。画面には期間限定のコーヒーを持ち、笑顔で自撮りをしている俺と神原の写真だった。今日神原と話したことが鮮明に蘇り、口に端が自然と上を向く。久々の人との会話に浮ついていた。
だから、背後からかけられる声に何の違和感もなく答えてしまった。
「あの〜」
「何です…か…」
「タスケテ、イッショニシノウ」
その声の人物は目を背けたくなるほどの有様だった。手足が複雑に折れ、内臓が飛び出した男が立っていた。
何かを思うまもなく、体に凄まじい違和感が走る。多分、この人が死んだ時の感覚を追体験しているのだろう。手足がバキバキと折れるような感覚と凄まじい腹痛が俺を襲う。
声を上げるの必死に我慢し、その場から離れようとできるだけ足を動かす。
スマホで母親の番号に電話をかけ、迎えに来てと伝えると、10分も経たずに駅に迎えにきてくれた。
車に押し込まれ、ぐったりと座席に体を預ける。
いつもは安全運転の母が、早く家に連れて帰りたいのかややスピードを出して走っている。
「あんまり、外に遊びに行かないで…あんたの身に何かあったら私…」
やや涙ぐんだ母の声が耳に届く。
手足が折れ、内臓が飛び出してしまう幻覚に苛まれながら、俺は今日あった嬉しいことを母に伝えようとする。
「母さん、俺、友達が…」
できたんだ、そう伝えたかったが最後まで口にすることができず、俺は意識を手放した。
翌日の昼、俺は自室で目を覚ました。
学校は完全に遅刻だった。
重い体を動かしリビングに行くと母が心配そうに、口を開いた。
「体調大丈夫?学校休みの連絡入れたけど…」
このまま行っても遅刻だしな、と思ったが不意に神原の顔が浮かび、「また明日」と声を掛け合ったことを思い出す。
「学校いく…」
母はその言葉に驚いた顔をした後、少し微笑み、
「じゃあ学校に連絡するから」
と家の固定電話の元に行く。
俺はその姿を見送ると着替えるためにリビングを後にした。
学校に着くと、神原がわざわざクラスまでやってきて声をかけてきた。
「氷室、大丈夫?午前中いないから心配したぞ?」
その顔は本当に心配そうな顔をしており、俺はなんだか申し訳なくなる。
「ごめん、体調悪くて寝てた」
「は?大丈夫かよ!もしかして熱か?」
神原の手が俺の前髪をかき分け額に触れる。
その行為だけで、俺の中にいる昨日の男が声をあげて消えていった。
やはり、神原の力は本物だ。この力があれば俺の人生を滅茶苦茶にした体質をどうにか出来るかもしれない。
「大丈夫だよ。心配しすぎ」
「ならいいけどよ…」
こうして俺の高校生活は少しずつ色を帯びていく。神原を利用していることに罪悪感を覚えつつも、この居心地の良さを捨てることができなかった。
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