第2話 夜鳴きの理由と“火が点く条件”

 公開見学「夜鳴きってなに?」は、センター史上はじめての試みになった。

 午前、会議室のホワイトボードに手順を書き出す。


参加者オリエン(安全説明/返金は恥ではない)


観察室の前で音と光の体験(低周波デモ)


“火が点く条件”の安全デモ(芹沢・甘粕・餌木)


質疑応答(誤解の回収)


希望者のみ里親制度の説明へ


「“誤解の回収”って言い切るの、好き」白石ユナが親指を立てる。

「安全網は三重に。消火布、炭酸、遮炎ネット。失敗の想定を先に」甘粕隊長は赤ペンで枠を太くした。

 芹沢獣医は端末を見ながら短く言う。「“火”のピーク温度は42〜45℃。可燃には至らない。焦げもしない。安心の指標だと繰り返す」


 ぽか——H-27は、遮音ドームの中で丸になっている。夜番の二晩で、夜鳴きの周期が見えた。

 時間記録(抜粋)

 00:31 空調切替・微鳴 ひゅ(5秒)

 01:08 湾岸貨物列の低周波(48Hz)通過・ひゅい(8秒)→遮音毛布追加で沈静

 02:40 館内巡回靴音・無反応(半歩で維持)

 03:12 餌木入室・接触(額)→体表温上昇→微点火(2.4秒)


 原因は**“低周波の轟き”。高架のトラックと、夜間の貨物列が持つ地鳴りの帯。

「耳で聴くというより、体で振動を拾うタイプだね」芹沢。

「対策は?」

「二層遮音+微加重。人間の加重ブランケットに近い。匂いは“安堵の相手の布”を週1交換**」


 わたしの手のひらに、昨夜の温度がまだ薄く残っていた。



 午後、「夜鳴きってなに?」第一回。抽選で選ばれた8名。

 入口で安全説明と返金規定。

「もし怖くなったら、半額返金して座ってから帰れます。……恥ではありません」

 そう口にすると、空気が少し緩む。言葉は盾にも、座面にもなる。


 観察室前。甘粕が低周波発生器を指し示す。「48Hz。実際の地鳴りより小さめに出す」

 スピーカーがぶうと低く鳴る。床がほんの少し震え、胸郭が空気に押される感じ。

 遮音ドームの中で、ぽかの耳孔がぴく。ひゅ——小さい。すぐ、沈む。

「わたしたちは耳栓や言葉で“怖い”をいなせる。でも彼らはまず体で受ける。だから布と手順で先回りします」

 参加者のひとり——小学生くらいの女の子が手を挙げる。「鳴くことは悪いの?」

「助けての方法です。悪くない。鳴いたら“座る”が合図」

 母親が安堵の表情で娘の肩を抱いた。


 続いて**“火が点く条件”の安全デモ**。

 舞台袖のように赤い線が床に引かれ、消火布と遮炎ネット、炭酸ボンベが手の届く距離に整列している。

 芹沢は参加者側へ向き直り、淡々と宣言。「これは武器の実演ではありません。安心の実験です」

 甘粕は前列の大人へ一歩寄り、「万が一を見たい人はいませんね?」と確認してから、頷きを取る。

 わたしは手袋を外す。消毒。深呼吸。半歩でドームへ。


 手順は昨夜と同じ。

 灯りは落としすぎない。影は揺らさない。

 入口に左手。額を待つ。噛まない/舐めない。

 ぽふ。

 あたたかい重みが掌に乗る。

 体表温が少し上がり、胸骨のしたでほうと熱が集まる。

 オレンジの粒が息に合わせて2秒ほど灯る。

 焦げはない。臭いもしない。

 手を引かない。見せすぎない。2回で終わる。


 沈黙。

 参加者の誰かが、小さく息で笑った。

 音数石は灯らない。

 女の子が囁く。「きれい」

 わたしは手を上げたまま、短く答える。

「怖さは大きい音と速い動きから生まれます。安心は間と体温から生まれます。武器じゃありません」


 最後列で腕を組んでいた若い男性が手を挙げた。「討伐すれば早い」

 甘粕が受ける。「早いけど戻らない。保護→適応→里親で戻すのが都市運営」

 白石がスライドを出す。センターの再入林率、再発事故、里親継続の数字。

 男性は肩をすくめ、短く頭を下げた。「わかった。早いだけじゃダメなんだな」

 返金は求めない。わたしたちは座面へ誘導して水を渡す。



 デモの間、配信は禁止にしていた。代わりに公式ダイジェストを当日中に出す。

 それでも——廊下の角で、渋谷レオンと目が合った。

 許可のない肩カメラ。軽い笑い。

「演出、上手だね」

「現場の説明です」

「火、点いたじゃん。危険だよね?」

 わたしは扉を閉める前に、ゆっくり一行だけ置いた。

「“鳴く”に座面。“点く”に手順。——編集で切れるのは映像だけです」


 白石はにっこり笑って、公式動画を上げた。

 タイトルは『幼竜の夜鳴き—“点く火”は何度ですか?』

 ピーク温度表示、安全網、失敗時手順、そして返金規定。数字で怖さの伏線を切る。



 夕方、電話の山は山のままだったが、質が変わった。

「見学したい」「子ども連れでも大丈夫?」「里親って何が必要?」

 同時に、反対も残る。

「火が点くなら危険」「税金の無駄」

 黒川センター長は眉間を揉み、「市の予算委、来週だ」と言った。

「里親制度の説明会、前倒しでやろう」白石が素早く予定表を塗り替える。

 甘粕は現場の人員表を見て、ぽかのケアを新人二交代へ。「餌木、お前は里親説明にも出ろ。保護から手渡しまでを話せるの、お前だ」


 その日の夜番。

 ドームの前に座面を引き寄せ、耳栓を外す。

 低い地鳴りが床を薄く撫で、遮音が受け止め、加重が背を落ち着かせる。

 ひゅ。

 わたしは手を差し入れ、額を待つ。

 ぽふ。

 火は点かなかった。

 眠気が勝ったのだ。それでいい。

 点くのが正解じゃない。点かない夜も正解だ。


 ドアの外で、芹沢の靴音が半歩。

「どう?」

「鳴き、2回まで。点火、ゼロ。よく眠れてます」

「安心が増えたってことだ。……いい夜だ」


 ログに二本の線が重なる。

 鳴きの減少と、睡眠の延長。

 数字は空気を丸くする。明日の説明会の背骨になる。



 翌朝。見学記が一本届いた。

 送り主は——クレヨンの手紙の差出人、母親の名前で。

『昨日のデモ、娘がこわくない火を見て、“きれい”と言いました。里親の話を聞かせてください。火はないほうがいいけど、点いたら“安心の合図だよ”って言える気がします』

 白石が目を細め、わたしに紙を渡す。

「第一候補だね」

 胸が温かくなり、同時にきゅっと強く結ばれる。

 手渡しの現実が、近づいてきた。


 廊下の突き当たり、モニタの端に赤点。

 渋谷レオンの新動画——『危険!保護センターが“火”を見せた日』

 想定内。反射でクリックはしない。

 現場は現場を積むだけだ。

 里親制度の説明会へ。制度の言葉で奪われたものを、制度の言葉で取り返す。


 わたしは扉を押す。

 ぽかが頭を上げ、ひと声だけ短く鳴いた。

 おはよう。

 それだけで、今日も始められる。


(第2話 了/つづく)

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