アイスコーヒー

 水原さんが指定したカフェは、渋谷という地に相応しいお洒落な店で、値段もそれ相応のものだった。


(1番安いアイスコーヒーが、800円……)


 「高すぎる」という正直な感想は飲み込み、俺はアイスコーヒーをオーダーした。水原さんはグァバスムージーという980円のジュースを選び、俺はおごるつもりだったので財布の中身をこっそりと確認した。ギリ2000円あってホッとしているうちに、コーヒーとスムージーが運ばれてくる。水原さんがひと口飲むのを待ってから、俺は話を切り出そうと椅子に座り直した。


「それで……本願くんは、元気にしてる? 行方不明とかじゃないよね」

「はい。祈くんは事件にも事故にも巻き込まれていません。ただ……元気とは言えないですが」


 安心できる情報と心配になる情報が同時に提供され、俺はアイスコーヒーに伸ばした手を止めた。


「祈くんはちょっと……その、体調を悪くして私の家にいます。小さい頃から幼馴染で、母親もよく知っているので看病を」


 水原さんは言いにくそうに目を伏せた。


(え、つまり本願くんと水原さんは親公認の仲、ってこと?いや、それしかないよな。実家で看病って)


 俺の頭はフル回転で水原さんの発言の意図をくみ、そして自分の野次馬具合にドン引きした。高校生カップルに首突っ込む近所のおじさんって、恥ずかしすぎる。


「あ~そうなんだ!? ごめん、すげえお節介しちゃってるわ俺……! えっと、本願くんの体調は大丈夫?」

「もうある程度回復したので、数日後には帰っていると思います。心配してくださってありがとうございます」


 水原さんは頭を下げた。

 LINEの返信がなかったのは寝込んでいたからだったのか、と合点がいき、俺は心の中で安堵した。とりあえず事件や事故じゃなくて本当に良かった。


「いや、大変なことになってるわけじゃなくてよかった~。本願くん、ちょっと前にも風邪引いてたんだよね、身体弱いのかな」

「あ、そうだったんですか。祈くんは……本当にダメになるまで抱え込むタイプと言いますか。人に助けられるのが嫌みたいで、自分でどうにかしようとするんです」


(風邪の時も俺になんにも言ってこなかったもんな)


 一緒にご飯を食べる仲でLINEも知っているのだからもう少し頼ってくれてもいいのに、と思いながらアイスコーヒーを飲む。チェーン店の300円コーヒーとの違いはわからなかった。


「竹原さんは祈くんといつ仲良くなられたんですか」

「あ~、えっと7月頃だったかな。本願くんが醤油を借りに来てさ。そっからたまにご飯一緒に食べたりしてて。あ、人に助けられたくないと言いつつ醤油は借りられるんだね本願くん」

「なるほど……」


 俺は笑ってみたけど、水原さんは笑わずに頷くだけだった。

 スムージーのグラスを見て黙った水原さんを見ていると、店員がこちらを見ているのに気づいた。空いてる食器がないかの確認などではなく明らかに俺を訝しむ視線で、可愛い女子高生と一緒に髭面の自分がカフェにいるんだったと思い出した俺は、沈黙を避けようとした。


「あの~本願くんと水原さんは高校から一緒なの?」

「あ、いえ。祈くんとは元々幼稚園が一緒だったんです。小学校は学区が違ったので別で、そのあと中学に上がる前に祈くんが名良を受験すると知って私も名良を受けて……」

「へ~! 幼馴染で中学も合わせるなんて仲良いね」

「……仲が良いかは、わかりません。ここ数年、祈くんは私と一緒にいたがらないので」

「それは思春期っていうか、ちょっと恥ずかしんだよ。でも本願くんって意外とまだ子どもっぽいところあるんだな」


 引っかかりを覚えながら適当にフォローを入れると、水原さんは少し表情をやわらげた。

 不思議だった。

 いや、本願くんの生徒手帳を勝手に見た時から不思議には思っていた。

 どうして身寄りのない本願くんが、私立に通えているのか。しかも中高一貫校を選ぶなんて、金持ちがすることだ。いったいどこにそんな金が。


(……なくは、ないのか)


 クローゼットで見た札束が蘇る。

 あの金が何なのかわからないのに、水原さんに言ってしまうのは非常識だ。でも、何かしら手がかりがもらえるかもと思い、俺は声を潜めた。


「本願くんは……家族いなくて大変でしょ? どうして私立に通えてるのか気になるんだけど……特待生とか?」

「えっ……」


 水原さんは思案するように少し黙った。

 幼馴染の重い話だし教えてもらえないかと思っていると、彼女は意思のある目で俺を見た。


「祈くんは……特待生です。なので、学費が免除されていて」

「そうなんだ。すごいな~特待生か」


 幼い息子を置いて出て行った母親と、ここ数年で蒸発した父親。

 この両親が、いくら息子に勉強の才能があったとしても中学受験をさせるのか、わからなかった。


「本願くんは本当に頼れる親族とか、いないのかな。子ども扱いしたいわけじゃないけどまだ未成年だし、大人がいた方がいいと思ってて」

「それは……あの、現状は私の母が一応援助をしています。ご親族のことは、私には……」


 水原さんはうつむいてしまう。

 また店員の視線が俺に突き刺さるのを感じて、俺は明るい声を出した。


「ご、ごめんね。なんか突っ込んだこと聞いちゃって。気になるなら本人に聞けって感じだよね。それに水原さんのお母さんが面倒見てくれてるって聞いて安心した」


 本願くんを助けてくれる大人がちゃんといてくれて、よかったと思ったのは本当だった。

 水原さんは俺の言葉を聞いているのかいないのかうつむいたままだったが、やがて静かに顔を上げた。


「……祈くんは、私には心を開いてくれません。だから、彼の悩みも苦しみも私にはどうにもできない。私がどうにかすることを、彼は望んでいないから。でも、でも。竹原さんなら……どうにかできるかもしれません。祈くんが誰かと仲良くするなんて、今までなかったから。どうか、祈くんをよろしくお願いいたします」


 どこか切羽詰まったように言い切って、水原さんは深々と礼をする。


「ちょ、ちょっと大げさだって! 俺なんかで良ければ看病だってするし、もっと頼ってって本願くんに伝えて」

「はい、本当にありがとうございます」


 彼女は何かを憂うような顔のままで、その後会話が盛り上がることもなく、俺たちは他人行儀に解散した。

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