第14話 白い航跡――歌と名の審判

 夜が明けた。

 王都の空は薄い雲に覆われ、鐘の音が街路を揺らした。

 「公開裁定」が告知され、民は広場へ集まる。

 石畳は足音で震え、露店は閉じられ、家々の窓はすべてこちらを向いていた。

 処刑台と同じ場所。

 だが、今日は舵を取る場だ。


 私は胸の奥で深く息を吸い込んだ。

 〈ホワイト・ウェイク〉の舳先を押す感覚を思い浮かべ、石段の上に立つ。

 後ろには仲間たち。

 ユーグは剣を腰に下げ、ロザンヌは帳簿を抱き、エルドは星筒を肩に背負う。

 セリーヌは香炉を掲げ、白煙を朝空に送っていた。


◇◇◇


 鐘が三度鳴り、王子レオンハルトが姿を現した。

 その背後には、評議会の残りの老臣たちが並んでいる。

 昨日捕えられた第六席は別の牢に押し込まれているはずだ。

 だが彼を庇う影はまだ濃い。


 王子の声が広場を震わせる。

「これより新航路の是非と、半刻取引の真偽を裁定する」


 広場が静まり返る。

 私は一歩進み出て、声を張った。

「王都の奥で半刻が売られていました! 灯台油の納入、港湾使用料、開港許可――すべて“半刻単位”で遅延や繰延を売り買いしていた!」


 ロザンヌが帳簿を掲げる。

「証拠はここにあります! 印影は評議会のものであり、偽造は不可能!」


 ざわめき。

 老臣たちが顔を曇らせる。

 その一人が怒声を上げた。

「感情論だ! 国を動かすのは感情ではなく秩序! 半刻の調整は秩序を守るための必要悪だ!」


◇◇◇


 セリーヌが香炉を高く掲げた。

 「ならば、秩序に祈りを重ねてください」

 煙が帳簿の上を渡り、朱印を浮かび上がらせる。

 鮮やかに、確かに。

 観衆が息を呑んだ。


 「火は消えない。真実があれば」

 セリーヌの声は澄んでいた。


◇◇◇


 その時、銀笛の音が広場を切った。

 ひとつ。ふたつ。みっつ。

 観衆の中で黒外套が立ち上がり、笛を掲げた。

 エルミオだ。


「俺たちは“半刻の同盟”じゃない!」

 彼の声が響く。

「笛は奴らの合図を逆探知するための道具だった! だが今日、この場で証拠を突きつけるのは――彼女だ!」


 指が私を指した。

 私は舵輪を握る感覚を胸に刻み、声を張り上げた。


「半刻は名ではない! 時間を売ることは命を売ること! 航路は、歌と名で守られる!」


◇◇◇


 少年たちが合図もなく歌い出した。

 「火は消えない、白い線――」

 広場の端から端へと波が広がり、人々が声を重ねる。

 母親が子を抱きながら口ずさみ、老人が杖で拍を刻み、商人が顎でリズムを取る。

 歌は契約書よりも速く、笛よりも深く、広場を満たした。


 老臣たちは顔を歪めた。

 だが、もはや彼らの声は歌に飲み込まれていた。


◇◇◇


 王子が一歩前に出た。

 彼の目は迷いを含みながらも、確かに揺れていた。

 「――評議会は、半刻を取引に使ったのか」


 沈黙。

 老臣の一人が震える声で答えた。

 「秩序を守るために……必要だった……」


「必要かどうかを決めるのは、ここにいる民だ!」

 私は叫んだ。

「名を呼ぶのは、契約書ではない! 人の舌と歌だ! ――呼ばれた航路は消えない!」


◇◇◇


 歌声が最高潮に達した。

 白煙が空を覆い、香炉の火が強く揺れる。

 ロザンヌの帳簿が高く掲げられ、エルドの星図が広げられる。

 ユーグの剣が光を反射し、ミレイの鍋の蓋が拍を打つ。

 少年たちの声が波となり、銀笛の同盟が一音を加えた。


 王都の広場に、白い航跡が刻まれた。

 処刑台ではなく、舵の線として。


◇◇◇


 王子が声を上げた。

「――評議会の半刻取引を廃止する! 灯台と港湾の権限は再編し、均衡維持契約は破棄する!」


 広場に歓声が轟いた。

 歌と火と名が、王都の裁定を動かした瞬間だった。


◇◇◇


 私は胸の奥で舵を握り直した。

 航路は守られた。

 だが、最後の海はまだ残っている。

 ――私自身の未来。


 処刑台の代わりに舵を選んだ少女の物語を、次の一章へと結ぶために。

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