アオイちゃんと図書委員の僕

ねこねこひびき

第1話トロッコのアオイちゃん

「ナーツヒコー」

アオイちゃんは今日も図書館にやってくる。黒くて艶やかな長い髪の毛を真っ直ぐに下ろし、セーラー服のスカートを靡かせ俺のもとにやってくる。

「またPC…、わざわざ家からノーパソ持ってくるの大変じゃないの?」

「いや、これ以外特筆するようなもん持ってきてないから」

「ふーん、よくそんな骨と皮でできたような腕で持てるね」

この幼馴染を今すぐにでも殴っていないのは彼女が女の子だからというのもあるがそれ以上に己の生き方に反するという道のおかげだと誰か褒めてほしいものだ。呼吸を整え深く息を吸い、乱れた自身の調子を整え、彼女が本日もまた図書館をくるくると周回する様子をインターネットの海から離れボーッと眺める。いかにも日本人形が動いているというような身振りで埃に塗れた古い本棚をひとつひとつ品定めするかのように眼に写す様子はまるで妖怪といってもよいだろう。

「ナツヒコ?頼んでおいた小説、取り寄せまだですか?」

あ、という声を漏らし、アオイが読みたがってた本を取り寄せたことを思い出す。目的のカウンターの下を漁るためによっこらしょとパキパキと骨をいくつか鳴らしながらしゃがむ動作をする。彼女くらいしか図書館をこんなにもフル活用してくる生徒などいないためすぐにアオイが頼んだブツがどれかは分かる。『冷たい方程式』、トム・ゴドウィンによる短編SF小説だ。昔、少し見たことがあるな。どんな内容だったか。

「なーつーひーこ、ありました?か?ありましたね!」

俺が本を手に取った瞬間、風のような速さで本を取って去る。やはり妖怪だ…。

「アオイ、もう少しお淑やかになったらどうだ」「ああ…普段やってるじゃありませんか、姫君ー!って皆様私のことを崇めてくださりますよ」

アオイのその容貌はたしかに日本の姫様といった感じで納得できる。また彼女がそれに合わせキャラ作りをしているのも知っている、昔はもう少し違うキャラだったんだけどな。

「一度拝読したことはあるのですが…、やはり年月が過ぎるとふとまた読みたくなるものですよね。」

「俺も昔読んだことあるんだが内容を忘れて…どんな内容だったか?」

アオイの目を見ようとした瞬間、騒がしい声たちが図書館の扉をうるさく開ける。前々から気づいていたが、やはりうるさい。だんだんとこちらに近づいている事実が廊下に響き渡る声の大きさで測れたがやはり当たっていた。いや、できれば当たってほしくなかったが。

「瀬戸じゃーん、ウェーイ!」

「う、うえーい…」

陽キャはきらいだ。明るい、眩しい、あとうるさい。クラスの名も知らぬ顔だけしか認知していない男とその連れ4人を引き連れ俺とアオイだけの幸せ空間をかき乱す。図書館は全生徒のものだが図書館でアオイと過ごす時間は俺だけのものだから勘弁してほしい。そういえばアオイはどこいったか、俺の視界から途端に消えた黒髪を探すがすぐに見つかる。カウンターの下にある隙間に隠れているじゃないか。不覚にも可愛いと思ってしまった自分をメタ認知してくる脳内に生息するミニナツヒコがバカにし冷笑してくる。プルプルと震える彼女の様子はまるで小動物のようで普段の教室での立ち振る舞いからは想像できない。

「ナツヒコ…あいつら怖い…」

彼女からのSOSを受け取り、図書委員としての役割ではなく彼女の自称騎士としての役割に切り替える。なにやら新刊漫画を物色している彼らを早く追い出すために工面し行動開始だ。

「ん?なにこれ」

「あ、それは…」

うるさいやつらの一味が冷たい方程式を手に取る。床にガサツに落ちたそれは彼女が隠れる際に落としてしまったのだろう。

「他の生徒のものだからそれは借りられないよ、早く返してほしい。」

珍しいものを見るように、いや、実際珍しいのか。普段文字を読む機会が漫画か動画しかない彼らにとっては活字が羅列した小さな世界は脳のキャパオーバーを迎えさせヒートするだろう。

「どうせこれ筒井のだろ?お前が好きな女の」

好きな女と言われ、開きかけた口を閉ざす。たしかにアオイは俺の幼馴染で、友人として好きだが恋愛的な意味で好きというわけではなくまた彼らのようにやましいことをしようと興奮するわけでもない。家で飼ってる愛猫を愛でるような接し方をしているだけで断じて恋愛的感情は含まれないがそれを本人がこんなにも至近距離にいるのにいってしまうのは半分くらいは失礼だと思われてもしかたないのではないかと。ここまで秒数にして1秒も満たないだろう。好き好き…好き?アオイはカウンター下から俺に上目遣いで目配せをしてくる。

「ほらやっぱ好きなんだ、俺ら、筒井のこと狙ってるから幼馴染気取りだかしてる瀬戸のこと邪魔なんだよ」

「断じてそういう感情は抱いてない、早く返してほしい」

「これだから童貞は…、誰かアオイちゃーん笑に依存してるんだろ?ほら、この本破いちゃおっかな」

止めようとした隙もなく、彼はその自慢の体につく筋肉で真っ二つに本を破る。ああ…これ一応借りたやつなんだけどな…。と思いながら彼らをこの教室から追い出そうとまた交渉を持ちかけた瞬間、カウンター下に隠れる彼女の髪が急に逆立ち空気がどんよりと重くなる。

(なんだ…?)

地震でも起きたかと考えたが、いや違う。本棚がガタガタと震えだし、何年と積もった埃が落ちる。うるさい彼らがなんだなんだと騒いでいる間に縄がかかり全員まとめて拘束される、ざまあと思い早くここからアオイと逃げようと黒髪を探した瞬間の絶望といったらなんと言葉に表せばよいか。彼女も縄に拘束され、まるで亀のような縛られ方で俺の下で転がっているじゃないか。

「アオイ!どうした!?今解いてやるから!」

自分でもだいぶキモい量の手汗を出しながら縄に手をかけ小さな脳みそをフル活用し彼女を縄から解こうとする。無理だ、全然解けない。人の手で縛らないような硬さでしっかりと結ばれているし、結ばれ方も複雑。ハサミでも持ってこないと無理だろう。自分の手汗が彼女の制服に染みていく中アオイは口を開く。

「無理だよ、ナツヒコの手でこれは解けない。」

「どういうことだ…?詳しく説明しろ。」

「これは私、筒井アオイ自身が作り上げた妄想の世界なの」

「は?でも縄解けないじゃん、結ばれてるし、無理じゃん」

「ふふ、だってただの妄想じゃなくて私の行き過ぎた脳内での活動が具現化された世界だからね。夢みたいなものじゃなくて、ここは私の妄想の世界だけどたしかに現実だよ」

「じゃあどうすればいいんだよ…!」

ほぼキレ散らかしながら彼女にあたる、俺の“道“が…と嘆くメタ認知ミニナツヒコの声はフル無視しアオイに聞く。

「それは教えられないの…」

「は?」

「それはナツヒコが考えないとこの世界から解放されないの…」

ポカンとした表情で俺は彼女を見つめ、彼女は話を続ける。

「ここは私の世界で、私の意識の世界。あとそこのうるさい人たちもそう。私の意識の世界の一部になってしまっている。でもナツヒコ、あなたは違う。あなたは本当の現実に今も存在しているが一時的な幻覚として私の妄想の世界を覗いているだけ。つまりあなただけはまだこの世界の一部になってない。この世界を壊すには外的要因、ナツヒコが必要不可欠。」

長ったらしい冗長としたお語りを聞きながらとりあえず俺がなにか行動すればいいんだろとキレながら考える。なんだ?なにがトリガーなんだ?

この幻覚を見る前と後で変わったことはあったか?頭を抱えて考え、地面に落ちた小説を眺める。『冷たい方程式』…。トロッコ問題?

「なにかわかったのですか?」

「…ああ、わかったかもな…」

すまんが、うるさいやつらは助けられないかもしれない。だがそれでいい。アオイだけ救えればそれでいい。

落ちた小説を手に取るとそこからレバーが生えてくる。これも彼女の意識の産物なのだろうか。わからないことを考えてもしかたないと思い覚悟を決める。予想通りだ、廊下からなにやら物騒なものがこちらに向かってくる音が聞こえる。ガタガタガタ…そうだ、こっちにこい、こっちだ。…ん、このレバー動かなくないか?錆びているやら劣化という意味ではなく動かない。あれ、まずい、どうしよう。そう刻一刻と考えるが時遅し、トロッコはもう図書室まですんでのところまできている。ええい、もういい。なんとでもなれ。

「アオイを救い、うるさい5人は死ね!」

大きな声で叫び脳内の意識をトロッコに全集中する。大きなガシャンという物音とともに眩しい光が俺を包み込み、暗転________。








なつひこ…なつひこ…!

俺を呼ぶ声が聞こえる。

ナツヒコ……ナツヒコ!

「うっ…痛っ!」

どことは言わないがそこが痛む。アオイ、それを蹴るのはちょっとどうかなぁ…!?と起きた瞬間に思いながらも安心する。彼女はたしかに今俺の横にいる。

「どうだ?あいつらどうなった、なにやらお前の世界?からは抜け出せたのか?」

「うん、今ここにいるということはそういうこと。ナツヒコのおかげで抜け出せたよ。」

ほっと胸を撫で下ろし、再び安堵。…あの5人はどうなった。まあいいや、そのうち分かるだろうし俺には興味ない。

「ナツヒコはさすがですね、なにも助けがなくても己の力であの空間から私を救いだせたのですから。」

「あれはまあ…状況判断的にかな。有名なトロッコ問題ってやつだよ。」


暴走するトロッコの進路を切り替えることで5人を救うことができるが、代わりに1人が犠牲になる、という状況で、どちらの選択をすべきか問いかけるフィリッパ・フットの倫理的な思考実験。

つまり「5人を助けるために他の1人を殺してよいか」という単純な問題だ。

1人を犠牲にして5人を助けるべきである功利主義的な考えと義務論に従い誰かを他の目的のためだけに利用すべきではなく、何もするべきではないといういわば責任の問い正し所を問いているのうなものだが俺はアオイを救ったから俺に責任が出てしまうのか…。と苦笑する。

「この問題、他にもいろんな事情に使われがちだが今回はアオイの意識がトロッコに具現化させたんだろうな」

「ごめん、ナツヒコ。迷惑かけた」


これくらい自称騎士として当然と思いつつ、なにやら不穏な未来を感じながらこのすこしふしぎな学生生活の1日をなんとか嚥下しようとするのだった。



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