第14話 漫画の主人公になりたい

 わたしは二年生になった。進級した他は特に変わりない。

 変わったことといえば家とTSUDAYAの往復にかかる時間がついに一時間四十分を切ったことだけだ。これは興奮した。

 TSUDAYAに早く着けて遅く帰れる。つまりそれだけ店内に長くいられる。掛け値なしに嬉しい出来事だった。そしてそのことを自分の足で成し遂げているという事実――否応なく自己肯定感が高まってしまう。極めて稀なことだ。

 ありがとう赤荻元選手。あなたの動画に出逢わなければ人生がだいぶ違っていた。良い出会いだったと胸を張って言いたい。変な歩き方を衆目に晒し続けて失った物より得た物の方が遥かに大きいのだから。


 それでも……高校生活の残り時間は刻一刻と減ってゆく。

 最近は歩いている時無心にならない。

 詰まるところ自分はどうなりたいのか? よくそう考えるようになった。そしてそれには一定の結論が出た。自分なりの。


 漫画の主人公になりたい。


 アホやろ。

 でもホントにそう思ってしまった。わたしはつまらん人間。人並みのことはできない。キラキラしてない。光を浴びると死んでしまいかねん生き物や。

 それでも主人公になりたい。よく“人生の主人公は自分だ”とかいう綺麗事を言う人がいる。そういうことじゃなく本当の意味で主人公になりたい。

 漫画の主人公にも色々いる。果てしなく闘いを求め続ける最強の戦闘狂。あらゆる敵を薙ぎ倒し仲間へと変えていくリーダーシップの塊。負け続けながらもその経験を糧にし最後に勝つ大器晩成型。負け続けて負け続けて負け続けるもその負けっぷりが愛らしいピエロタイプ。色々や。

 わたしはその中だと大器晩成型に惹かれがちだった。好きなものはすなわち憧れになる。それに気付きながらも心にずっと蓋をしてきた。

 今のままでは長生きできない。あの母親がたまに一人でいる時に深くため息をついているのを見ると大人になって生きていくのは大変なのだろうと思わずにはいられない。

 わたしは自分がそこまで好きじゃない。好きでもない自分のガワを抱えてしんどい道を歩いていくのはダルすぎるだろう。というか今気付いたけど働き始めたら歩いてTSUDAYAなんか通えんよな。時間ないよな。無理よな。アカン死ぬよな。

 死にたくない。死にたくない。心から死にたくない。

 そのためには自分を好きにならな。

 主人公にならな。


 早見は頑張っていた。あの美人が必死の形相で走っていた。

 ふと気が向いて下校を遅らせた。こんなことは初めてだった。高校の陸上グラウンドに足を向けた。そこであの子は頑張っていた。

 走り終わってグラウンドに飛び込むように倒れていた。しんどそうだ。すごい勢いで呼吸を繰り返している。死ぬんちゃうか? 心配だ。

 あれが夢とかありえん。しんどいのはダルい。あれをわたしにやれと言うんか茂野は。殺す気か。

 別に人のやることは否定せん。自分に置き換えられんだけ。

「おっ、陸上部入るか?」

 また視界の外から予期せぬ声。茂野や。相変わらず人をビビらせる天才やなと思う。

「入りません」

「ンなこと言いなや! 早見、観にきたんやろ。友達やもんな」

「友達ではない」

 どうもこの人は自分の中の正解を人に当てはめてしゃべる感じがあるな。強引っちゅうか……苦手や。

「相変わらず歩いてんのか? ふくらはぎのハリがええもんなァ」

「セクハラに類する発言では?」

 とは言え確かに一年前とは身体が変わった。全体的に締まった気がする。単に痩せたというより締まったというか。色んなところを動かしながら歩くから自然と鍛えられたのかもしれない。努力は全くしとらんけども。

「真下は体力に恵まれたんやから、ウチの科学部じゃ勿体ないやろ。今すぐ退部届書いて陸上部に入りや。悪いようにはせぇへんから!」

「無理です科学部に愛着があるので」

 そんなものはない。

「なんでや。走るのがそんなに嫌いなんか?」

「嫌いですね。疲れますしダルいだけです」

「その割に毎日エライ距離歩いとるやないか」

「歩きならそんなに疲れません」

 小学一年の時から家とTSUDAYA(当時は菅波駅前店)の間を歩いていた。今より全然近いがそれでも片道三キロはあった。好きな場所へ行くためならまるで苦じゃない。むしろ心地良い時間ですらあった。

 そうや。この十年ずっと歩き続けてきた。歩きはわたしのアイデンティティなのかもしれない。

「歩くだけでええ陸上競技もあるんやけどな」

「競歩ですか?」

「そや。ウチに競歩の選手はおらんけどな……お前がその気なら競歩やってもええけどな?」

「体育会系は無理です。失礼します」

 もういい加減家に帰らなければ。ただでさえTSUDAYAに居られる時間が今この瞬間もどんどん減っているというのに。

「早見に会ってかんのか?」

「友達ではないので」

 嫌いではない。本来わたしに対して言う必要もない夢を泣きながら叫んだ早見。ただの陽の者やない。熱い陽の者や。熱いキャラは嫌いやない。わたしにない要素だから。

 それでも体育会系は無理だ。

 でもそうか。競歩なぁ……。

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