月夜に会いましょう
陽炎
Mean
湖のほとりで、ただその水面に映る月を見ていた。その森には光がなく、月のみが唯一の光源だった。湖に映るとそれは、朧気になり幻想的な空間を創り出す。
僕はそんな、少し衝撃を加えただけで壊れる繊細なガラスのような儚い月と夜が好きだった。
そこまで深く専門的に学ぼうとも思ったことはないけれど、星月夜が好きだった僕は、そんな浅はかな理由で天文学部に入学した。当然そんな理由では周りと意識の差や根性の差を見せつけられて気を落としていた。
そんな時は今日みたいに決まって湖へ足を運ぶ。月と星、それから湖だけが僕を肯定してくれて、再びやる気を起こしてくれていた。
幼子のように「あの月には誰かが住んでいるのだろうか」なんて非現実的なことを考えてはゆっくりと腰を石垣に降ろす。空気が美味しい上に人気はない。耳に入ってくる音は全て自然音。まるで自分が人間を辞めた気にもなれる。せせらぎを横にカサカサと足元を這う虫も居たが、気にも止めずにただ傍観していた。目を閉じて時間の流れに身を任せる。生きている心地がひしひしと身に染みて大きく深呼吸をした。
「こんばんは、どなた?」
無意識のうちに横たわっていた体を驚いた拍子で飛び起こす。つい一秒前まで感じなかった気配に恐怖を感じて、しばらく振り返れなかった俺に、何者かは再び声をかけた。
「あのう、貴方です。そもそも此処には貴方しかいません、こっち向いて?」
見なくてもわかる敵意の無さと、細々とした女性の声を信頼して僕は肩をわずかに震わせながら振り返った。そこには全身を白い衣装で飾った身さえも細い女性が少しだけ口角を上げて僕を見つめていた。心做しかその女性は輝いて見えた。きっと僕の顔には状況把握が出来ていないと書いてあったのだろう。困惑した僕のことを微笑み彼女は、何の不信感も抱かずに隣へと腰掛けた。僕は未だに信用しきれなくて、自然と距離を開けてしまって、ムスッとした表情を彼女は浮かべた。
「何ですか?」
「声をかけただけですよ」
「そんなことは知ってます、もしかしてテリトリーだったりしますか?だったら出てきます」
「テリトリー?何それ、分かんないけどきっと違うよ」
「まあその反応なら違うか。何の用ですか?」
「質問ばっかり。私にも質問させてよ。ねえ、月好きなの?」
「ええ、まあそれなりに」
「いいよねえ、分かる」
彼女は文句を言いに来たわけでもなく、ただ話しかけたらしい。友達を作りたいならば、学校にでも行けば女の子は作れるだろう。一度ばかりしか見ていないけれど、彼女の顔は整っているし、そんな女の子が僕に話しかけるのはおかしいと感じた。闇バイトの手口なのだろうか。森の中に男を見つけたら美人局をしろと。でもこんな深夜に一人男性がいるのは肝試しでもない限りありえないし、少なくてもここの森ではそんな情報は見かけたことがない。ますます不信感は高まりや疑心暗鬼になる。それは防衛本能からであった。警戒心は高まり、顔が自然と強ばる。
分かると言われたきり会話は途絶え、二人の間に沈黙が流れた。質問をするなと言われたような気がして口を開くにも開けなかった。
彼女はそんな僕を見て呆れたようにため息をついて、口を開いた。
「ねえさあ、月の中に見えるのってなんだと思う?」
「うーん、カニですかね」
知恵を持っているフリをして見栄を張った。日本人ならば皆うさぎだとか言うのだろうけれど、ヨーロッパの方ではカニや女性の横顔に見えるという意見の方が多い。月好きならではのマウントをわざとらしく取って鼻を高くしかけていた。そんな僕の脳内と心を見透かして、彼女は口をつついた。
「嘘つき、知識ひけらかしたかった?」
「ん?え?ああいや、そんな」
「バレてるよ、改めて聞くけど何だと思う?」
「うさぎです」
「だよね、正解」
僕は月のように輝くことは出来なかった。理想ではカッコイイなんて言われてチヤホヤされていたが現実は虚しく事実と本音を見透かしては殴ってきた。そのせいか、心が痛かった。自分で自分を慰めていて、会話を思い出していると彼女の言葉に引っかかった。
「正解って何ですか?」
「あ、言うの忘れてた。私月から来たの、それで、私はうさぎ。」
「え、人間の姿してますよ?」
「だってここは地球でしょ?」
「化けてるの?」
「自由に解釈して」
そう、彼女はうさぎだったのだ。
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