第29話
決戦の夜明けは、重く冷たい沈黙と共に訪れた。
燃える王都から立ち上る黒い煙が、空を覆って朝日を隠している。
私達は、それぞれの覚悟を胸に最後の準備を整えていた。
天幕の中は、かすかな灯りだけで照らされている。
兵士達が、武具の音を立てていた。
作戦は、三つの部隊に分かれて同時に開始される。
それは、複雑で危険な計画だった。
一つは、ダリウスさんが率いる陽動部隊だ。
彼らは王都の正門に、とても派手な攻撃を仕掛ける。
そして、敵の注意を自分達に引きつける役目を持つ。
もう一つは、アシュトン様が率いる奇聞部隊である。
アルフォンスの案内で、秘密の地下水路を通るのだ。
教団の本拠地である遺跡を、直接叩くための部隊だった。
そして最後が、私とアルフォンスの部隊だ。
護衛のレオさんと、三人だけの使節団だった。
私達は、第二王子クリストフの陣営へ向かう。
この内乱を止めるための、説得を試みるためだった。
「リリアーナ。」
出発の直前、アシュトン様が私の元へ来た。
その顔には、指揮官としての厳しい表情があった。
それだけでなく、私を案じる優しい色も浮かんでいる。
「レオをつけたが、それでも心配だ。」
彼は、私の目をまっすぐに見て言った。
「決して、無理はするな。」
「はい、分かっています。」
私は、力強く頷いた。
「あなたこそ、ご無事でいてください。」
「ああ、必ず君の元へ帰る。」
彼の声には、強い決意がこもっていた。
「そして、全てが終わったら話したいことがあるんだ。」
彼の言葉には、特別な響きがあった。
それは、未来を約束するような温かい響きだった。
私達は、もう多くの言葉を交わす必要はなかった。
ただ、互いの手を固く握り合う。
それだけで、全ての想いが伝わってくるようだった。
彼の大きな手が、私を励ましてくれる。
「兄上も、頼むぞ。」
アシュトン様は、緊張した面持ちのアルフォンスにも声をかけた。
アルフォンスは、これから弟と会うことを前にして固くなっている。
彼の心の中は、不安でいっぱいだろう。
だが、その目にはもう以前のような迷いはなかった。
「ああ、分かっている。」
彼は、アシュトン様に向かって言った。
「これは、俺が果たすべき責務だ。」
彼は、力強く頷いた。
その姿には、王族としての確かな覚悟が宿っている。
辺境での日々が、彼を大きく変えたのだ。
私達は、三つの部隊に分かれて行動を開始した。
辺りはまだ、夜明け前の薄暗闇に包まれている。
ダリウスさん達の部隊が、森を駆け下りていく。
彼らの足音が、静かな森に響いた。
やがて王都の城門の方角から、大きな声が聞こえてきた。
剣と剣がぶつかる音も、響き渡ってくる。
陽動作戦が、ついに始まったのだ。
それと同時に、アシュトン様たちも動き出す。
彼らは、地下水路の入り口へと姿を消していった。
残された私達もまた、目的地を目指す。
第二王子派の陣地へ向かって、慎重に歩みを進めた。
王都の街は、地獄のような有り様だった。
私が知っていた、美しい都の面影はない。
美しい石畳の道は、たくさんの瓦礫で埋まっている。
由緒ある建物の多くが、黒く焼け落ちていた。
道端には、身を寄せ合って震える市民の姿があった。
彼らは、私達の姿を見ると怯えたように物陰へと隠れてしまう。
すれ違う兵士たちの目も、殺気立っていた。
誰もが、他人を信じられずに疑っているのだ。
この街を、深い疑心暗鬼が支配していた。
「ひどい、これが私の知る王都だとは信じられない。」
アルフォンスが、唇を噛み締めながら呟いた。
その声は、深い悲しみに震えている。
彼は、この光景に心を痛めていた。
「レオさん、道は分かりますか。」
私は、先頭を歩くレオさんに尋ねた。
「はい、リリアーナ様。」
レオさんは、頼もしく答える。
「斥候の報告によれば、第二王子殿下の本陣は西の貴族街にあります。」
「侯爵様の屋敷を、本陣にしているとのことです。」
「この混乱の中を、まっすぐに進むのは危険です。」
私は、周囲の様子を見て判断した。
「少し、回り道をしましょう。」
レオさんは、斥候として非常に優秀だった。
彼は、私の言葉に静かに頷く。
「承知いたしました。」
彼は、建物の影や裏路地を巧みに使っていく。
そして、敵の目を避けながら私達を導いてくれた。
それでも、何度か危ない場面があった。
曲がり角を曲がった時、見張りの兵士達と鉢合わせになったのだ。
第二王子派の兵士たちが、私達の姿を見つけてしまった。
彼らは、アルフォンスの顔を見るなり、殺気立って剣を抜いた。
その目は、憎しみで燃えている。
「アルフォンス様、なぜあなたがここに。」
兵士の一人が、驚きの声を上げた。
「国王陛下を殺害した逆賊め、神妙にしろ。」
別の兵士が、怒鳴り声を上げる。
彼らは、完全にアルフォンスを犯人だと信じ込んでいる。
アルフォンスの顔が、悔しさと無力感で歪んだ。
彼は、何も言い返すことができない。
「待ってください。」
一触即発の空気の中、私が静かに一歩前に進み出た。
レオさんが、私を止めようと手を伸ばす。
私は、その手を優しく制した。
「私達は、戦いに来たのではありません。」
私は、兵士達に語りかける。
「あなた方の主君、クリストフ殿下にお会いしに来ました。」
「この国を救うための、大切なお話をしに参りました。」
私の穏やかな、しかし凛とした声に兵士たちは戸惑う。
彼らは、一瞬表情を緩めた。
彼らは、私が辺境伯の代理だと知っている。
アルフォンスの妹でもあるという、複雑な立場も理解していた。
だからこそ、どう対応していいか分からないようだった。
「私は、グレイウォール辺境伯が名代、リリアーナと申します。」
私は、改めて自分の身分を名乗った。
「この内乱の裏には、真の敵がいます。」
「この国そのものを、滅ぼそうと企む者たちです。」
「私達は、その証拠を持っています。」
「どうか、私達の言葉をクリストフ殿下へお伝えください。」
私は、相手の警戒心を解くために、ゆっくりと話した。
そして、誠実な言葉を選んで語りかけた。
決して、威圧的な態度は取らない。
相手の立場を尊重し、対等な立場で対話を求める。
それは、私が前世で培った技術そのものだった。
心を閉ざした人に、語りかけるための技術だ。
兵士たちは、私の真剣な眼差しに何かを感じ取ったようだった。
私の言葉の重みに、彼らは押し黙る。
彼らは顔を見合わせ、しばらく小声で話し合っている。
やがて、隊長らしき男が決心した。
彼は、渋々といった様子で口を開いた。
「分かった。」
彼は、私達を睨みつけたまま言う。
「だが、武器は預からせてもらう。」
「クリストフ殿下にお会いできるかどうかは、保証できんぞ。」
「はい、それで結構です。」
私は、にこやかに頷いた。
私達は、素直に武器を差し出した。
こうして私達は、兵士たちに連れられて屋敷へと向かう。
第二王子派の本陣である、侯爵の屋敷だった。
案内された屋敷は、壮麗な貴族の館だった。
高い塀に囲まれ、美しい庭園が広がっている。
だが、その庭には臨時の天幕が張られていた。
負傷した兵士たちが、次々と運び込まれている。
あちこちから、苦しそうなうめき声が聞こえてきた。
この内乱が、いかに激しいものであるかを物語っていた。
屋敷の中も、臨戦態勢の兵士たちでごった返している。
彼らは皆、私達に敵意の視線を向けていた。
特にアルフォンスに対しては、あからさまな憎しみを向けている。
私達は、大きな広間へと通された。
そこには、豪華な調度品が並んでいた。
「ここで待て。」
兵士は、そう言い残して部屋を出て行った。
しばらくして、部屋に一人の男が入ってきた。
いかにも切れ者といった風情の、壮年の騎士だった。
その鎧には、第二王子家に仕える者の紋章が輝いている。
彼は、私達を値踏みするように見つめた。
その鋭い目が、アルフォンスを捉える。
「私が、クリストフ殿下の側近、将軍のダグラスだ。」
彼は、低い声で名乗った。
「アルフォンス殿、兄殺しの汚名を着せられる前に来たのか。」
「自ら投降しに来たというわけか。」
その侮辱に満ちた言葉に、アルフォンスの肩が怒りで震える。
だが、彼はぐっとその感情をこらえた。
辺境での経験が、彼を変えていたのだ。
短気なだけの王子から、忍耐を知る男へと変えていた。
私が、再びアルフォンスの前に進み出た。
「ダグラス将軍、私達は投降しに来たのではありません。」
私は、将軍の目をまっすぐに見つめた。
「この国を救うための、協力をお願いしに参りました。」
「協力だと。」
ダグラス将軍は、鼻で笑った。
その顔には、深い侮蔑の色が浮かんでいる。
「国王陛下を暗殺した逆賊と、協力することなど何もない。」
彼の言葉は、冷たくて固い。
「その件については、誤解があります。」
私は、落ち着いて反論した。
「陛下を手にかけたのは、アルフォンス様ではありません。」
「この内乱そのものが、罠なのです。」
「『古き蛇の教団』という者たちが、仕組んだ卑劣な罠なのです。」
私は、単刀直入に本題を切り出した。
そして、私達が辺境で経験したことを話す。
教団の本当の目的や、アルフォンスが操られていた証拠のこと。
蛇の指輪のことを、簡潔に、しかし力強く説明した。
ダグラス将軍は、腕を組んで黙って私の話を聞いていた。
その表情は、依然として険しいままだ。
だが、その瞳の奥に、わずかな動揺が走った。
私は、その変化を見逃さなかった。
彼もまた、この内乱の裏に何かいると、感じていたのかもしれない。
得体の知れない存在がいることを、薄々気づいていたのだろう。
「証拠はあるのか。」
将軍は、低い声で尋ねた。
「はい。アルフォンス様自身が、何よりの証人です。」
私は、きっぱりと答えた。
「そして、教団の本拠地へと続く、秘密の鍵も持っています。」
私がそう答えた、まさにその時だった。
屋敷の外が、急に騒がしくなったのだ。
遠くから、人々の怒号や悲鳴が聞こえてくる。
地響きのような、不穏な音が次第に大きくなってきた。
それは、大勢の足音だった。
「何事だ。」
ダグラス将軍が、窓の外へ視線を向けた。
その顔が、驚きと焦りで凍りつく。
私も、窓から外の様子を窺った。
信じられない光景が、そこに広がっていた。
屋敷の周りを、おびただしい数の市民たちが取り囲んでいる。
その目はうつろで、手には農具や石を握りしめていた。
彼らは、まるで操られた人形のようだ。
屋敷に向かって、ただ押し寄せてくる。
教団の魔術師たちが、新たな混乱を引き起こしたのだ。
屋敷の守りは、決して手薄ではない。
だが、相手は武器を持たない市民たちだ。
兵士たちも、むやみに攻撃することはできないだろう。
彼らは、板挟みになって苦しむはずだ。
「くそっ、奴らめ、こんな時に。」
ダグラス将軍が、悔しそうに歯噛みする。
私達が、部屋の中で立ち往生している間にも事態は悪化する。
状況は、刻一刻と悪くなっていく。
屋敷の門が、暴徒たちの力で破られようとしていた。
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