第26話

アシュトン様の意識が戻ったことで、辺境領は再び歓喜に包まれた。

だが、私達には勝利の喜びに浸っている時間などなかった。

本当の戦いは、まだ終わっていないのだから。

彼の体力が、完全に回復するのを待ってすぐに軍議が開かれた。


城の大会議室には、いつもの顔ぶれが集まっている。

だが、その中には意外な人物の姿もあった。

兄のアルフォンスだった。

彼は、末席で小さくなり騎士たちの厳しい視線を一身に浴びていた。

その顔には、かつての傲慢さはかけらもなかった。

ただ罪を償おうとする者の、覚悟だけが浮かんでいた。


軍議の冒頭、アシュトン様が力強い声で口を開いた。


「皆、聞いてくれ。」

「我々の本当の敵の正体が、ようやく見えてきた。」

「奴らは、『古き蛇の教団』と名乗る邪悪な魔術師集団だ。」

「その目的は、この国をいやこの世界そのものを混乱に陥れることにある。」

彼の言葉に、騎士たちの顔に緊張が走る。


次に、アルフォンスが立ち上がった。

彼は、皆の前に進み出ると深く頭を下げる。


「全ての原因は、私の愚かさにあります。」

「本当に、申し訳ありませんでした。」

「だが、このまま罪人として裁かれるつもりはありません。」

「私も、戦わせてほしい。」

「この命に代えても、奴らの野望を打ち砕く手伝いをさせてくれ。」

彼の魂からの叫びに、あれほど彼を憎んでいたダリウスさんでさえ何も言えなかった。

誰もが、彼の変化を認めていたのだ。


アルフォンスは、自分が知る教団の情報を全て包み隠さず話した。

王都の地下に広がる、古代遺跡のこと。

そこで、恐ろしい儀式が行われているらしいこと。

そして王家の秘密の宝物庫に、その遺跡へ通じる何らかの手がかりが隠されていること。

彼は、私から受け取った黒い蛇の鍵を再び皆の前に差し出した。


「これが、その宝物庫を開ける鍵だ。」

「だが宝物庫の場所は、代々の王太子にしか口伝えで知らされていない。」

「俺が、王都へ戻り皆さんを案内する。」

それは、あまりにも危険な提案だった。

彼が、一人で王都へ戻れば教団に再び捕らえられるかもしれない。

あるいは父である国王に、今回の失敗を厳しく罰せられる可能性もあった。


「危険すぎる、あなた一人を行かせるわけにはいかない。」

アシュトン様が、静かに反対した。


「ですが、他に方法が。」

「いや、ある。」

アシュトン様は、ゆっくりと立ち上がった。

そして、そこにいる全員に向かって驚くべき宣言をする。


「我々が、王都へ行くのだ。」

「辺境領の、全軍を率いて。」

その言葉に、会議室は水を打ったように静まり返った。

辺境から、王都へ攻め上る。

それは、エルミート王家に対する完全な反逆を意味していた。


ギデオンさんが、慎重に口を開いた。

「アシュトン様、それは本気でございますか。」

「我々は、逆賊となる覚悟をしなければなりませぬぞ。」

「分かっている。」

アシュトン様は、力強く頷いた。


「だが、もはや国王陛下や王都の貴族たちにこの国を任せてはおけん。」

「教団の存在に気づきながら、いやあるいは手を結んでいながら見て見ぬふりをしているのだ。」

「このままでは、国が滅びるのを待つだけだ。」


「ならば、我々が新しい時代を作る。」

「この腐りきった国を、一度清めるのだ。」

「これは、反逆ではない。」

「国を救うための、聖戦だ。」

彼の言葉には、領主としての一人の人間としての揺るぎない覚悟が込められていた。

その熱い想いは、騎士たちの心に瞬く間に燃え移っていく。


「面白い、やってやろうじゃねえか。」

ダリウスさんが、にやりと笑った。


「王都の弱い騎士どもに、俺たちの本当の力を見せてやる。」

「俺も、賛成です。」

「この辺境で培った絆の力があれば、何も怖いものはありません。」

レオさんも、力強く続いた。

騎士団の意見は、一つにまとまった。


だが、問題はそれだけではなかった。

私達が王都へ向かえば、この辺境領の守りが手薄になる。

その隙を突かれて、再び魔物の襲撃がないとは限らない。


その不安を口にしたのは、ハンスさんだった。

「わしらはどうなる、あんた達がいなくなったら誰がこの土地を守るんじゃ。」

その問いに、アシュトン様は答えた。


「心配は、いらない。」

「この土地には、もう騎士団だけに頼る弱い民はいない。」

「皆が、自分の故郷を自分の手で守るという強い意志を持っているはずだ。」


彼は、街の有力者たちに向き直った。

「皆の力を、貸してほしい。」

「我々が留守の間、この土地を守るための義勇軍を組織してほしいのだ。」

「武器の扱い方は、ギデオンが残って指導する。」

「食料は、ハンス殿が完成させた温室とスノー・ウィートの畑が支えてくれるだろう。」

その言葉に、領民たちは顔を見合わせた。

そして、一人の老人がゆっくりと立ち上がった。


「お任せください、辺境伯様。」

「我々は、もう二度とただ守られるだけの存在ではありませぬ。」

「この土地は、我々の魂そのもの。」

「命に代えても、守り抜いてご覧にいれます。」

その言葉に、他の領民たちも次々と力強く頷いた。

辺境の地は、もはや一枚岩の強固な要塞と化していた。


こうして、王都へ向けた遠征の準備が急いで進められていく。

アシュトン様は、騎士団の精鋭八十名を率いて王都へ向かう。

アルフォンスが、道案内役を務めることになった。

そして私も、その遠征に同行することを自ら申し出た。


「君は、ここに残るべきだ。」

アシュトン様は、最初強く反対した。


「王都は、戦場になる。」

「危険すぎる。」

「分かっています、ですが私も戦いたいのです。」

「私の武器は、剣でも魔法でもありません。」

「言葉と、心です。」

「敵が、人の心を操るのなら私の力が必ず役に立つはずです。」

「それに、あなたのそばにいたいのです。」

「あなたの盾と、なりたいのです。」


私の真剣な瞳に、彼はついに折れた。

「分かった、だが決して無茶はしないと約束してくれ。」

「はい、約束します。」

私達は、固い握手を交わした。


出発の前日、私は辺境領に残る人々のために走り回っていた。

ギデオンさんと共に、義勇軍の訓練計画を立てる。

ハンスさんと、冬を越すための食料の貯蓄計画を練った。

そして寺子屋の子供たちには、留守の間年長者が年少者の面倒を見るようにと約束させた。

トムは、すっかり元気になり今では子供たちの中心的な存在になっている。

彼なら、きっと大丈夫だろう。


全てを終え、私は自分の部屋で旅の支度をしていた。

そこへ、エマがお茶を運んできてくれた。

彼女は、私に同行できないことをとても残念がっていた。


「リリアーナ様、どうかご無事で。」

「ええ、大丈夫よ。」

「エマも、皆のことをお願いね。」

「はい、この城は私達が必ずお守りします。」

私達は、互いの手を固く握り合った。

彼女の瞳には、確かな成長と自信が満ちあふれている。

もう、心配はいらないだろう。


夜、私は一人でアシュトン様との思い出の丘へ向かった。

月明かりに照らされた領地が、眼下に広がっている。

この美しい景色を守るために、私達は旅立つのだ。

そう思うと、不思議と恐怖はなかった。

ただ、決意だけが胸に満ちていく。


しばらく、景色を眺めていると後ろから足音が聞こえた。

アシュトン様だった。

彼は、何も言わずに私の隣に立つと同じように領地を眺めた。


「いよいよ、明日だな。」

「はい。」

「不安か。」

「いいえ、少しだけ武者震いがするだけです。」

私の答えに、彼は小さく笑った。


彼は、懐から小さな包みを取り出した。

そして、それを私に差し出す。


「これを、君に。」

包みを開けると、中には銀細工の美しい髪飾りが入っていた。

雪の結晶をかたどった、繊細な作りだ。


「これは。」

「俺の母親の、形見だ。」

「君に、持っていてほしい。」

「お守りだと、思って。」

そのあまりにも大切な贈り物に、私は言葉を失った。

彼の母親は、彼が幼い頃に亡くなったと聞いている。

これは、彼にとって何よりもかけがえのない宝物のはずだ。


「ですが、こんな大切なもの。」

「君の方が、ふさわしい。」

彼は、そう言うと私の髪にその髪飾りをそっと挿してくれた。

ひんやりとした金属の感触が、私の心を温かくする。


「ありがとう、ございます。」

「大切に、します。」


私達は、しばらくの間何も言わずに寄り添っていた。

夜空には、満天の星が輝いている。

明日から、私達の運命は大きく動き出す。

だが、この人と一緒ならどんな困難も乗り越えていける。

私は、そう確信していた。


出発の朝、城門の前には領地の全ての民が集まっていた。

私達、遠征軍を見送るために。

その中には、トムやエマとハンスさんの姿もあった。

彼らは、涙を見せずただ力強い眼差しで私達を見つめている。

「必ず、ご無事で。」

「私達は、ここで待っています。」

その声なき声が、私達の背中を押してくれた。


アシュトン様が、馬上で剣を掲げた。

「出陣だ。」

その号令と共に、私達は王都へと向けて力強く第一歩を踏み出した。

辺境の地で生まれた小さな希望の光が、今国全体を覆う巨大な闇へと戦いを挑もうとしていた。

その時だった、後方から一人の伝令兵が馬を飛ばして駆け寄ってきたのは。

その顔は、血の気が引いている。


「申し上げます、王都より緊急の早馬が。」

「国王陛下が、何者かに暗殺された、との報せにございます。」

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