第11話
戦いの翌日、グレイウォール辺境領には、穏やかで、しかし力強い朝が訪れた。
空はどこまでも高く澄み渡り、まるでこの地の新たな門出を祝福しているかのようだ。
昨夜の祝宴の熱気はまだ城のあちこちに残っていたが、人々はすぐに現実へと向き合い始めていた。
城門の外では、亡くなった兵士たちのための合同葬儀が、厳かに執り行われていた。
犠牲者の数は、数年前の戦いと比べれば、奇跡的と言っていいほど少ない。
それでも、失われた命の重さは、決して軽くはなかった。
並べられた簡素な棺の前で、遺族たちの嗚咽が漏れる。
その悲しみに満ちた光景を、私はアシュトン様の隣で、ただ黙って見つめていた。
私にできることは、彼らの悲しみに、そっと寄り添うことだけだ。
アシュトン様が、領主として弔辞を述べた。
その言葉は、決して流暢ではなかったかもしれない。
だが、そこには故人への心からの追悼と、残された者たちへの深い思いやりに満ちていた。
「彼らの勇気と犠牲を、我々は決して忘れない。」
「彼らが命を懸けて守ったこの故郷を、我々は必ず、豊かで平和な地にすることを誓う。」
彼の力強い言葉に、すすり泣いていた遺族たちも、顔を上げる。
その目には、悲しみだけでなく、未来への決意の光が宿っていた。
葬儀が終わった後、私は一人ひとりの遺族の元を訪れた。
夫を亡くした若い妻や、息子を失った老いた母親。
彼女たちは、私の前で、堰を切ったように想いを語り始めた。
「あんなに、優しい人だったんです。」
「虫も殺せないような人だったのに、どうして。」
「自慢の息子でした。この土地を守る騎士になるんだと、いつも誇らしげに話していました。」
私は、彼女たちの言葉を、ただひたすらに聞いた。
相槌を打ち、時にその手を握り、涙を拭う。
安易な慰めの言葉は、ここでは無力だ。
大切なのは、悲しみを無理に忘れさせようとしないこと。
悲しみを抱えたまま、前を向いて生きていく手助けをすることだ。
心理学で言う、グリーフケアというもの。
「辛かったですね。今は、無理に笑う必要なんてありませんよ。」
「たくさん泣いていいんです。あなたの悲しみは、決して間違っていませんから。」
私は、彼女たちの感情を、ありのままに肯定した。
それだけで、彼女たちの表情が、少しだけ和らいでいくのが分かった。
悲しみという感情の嵐の中で、溺れそうになっていた彼女たち。
私の言葉は、ほんのささやかな救命浮輪になったのかもしれない。
その日の午後、私の提案した心の相談室が、城の一室で正式に始まった。
日当たりの良い、こぢんまりとした部屋だ。
そこには、簡素な机と、二脚の椅子だけが置かれている。
ここが、これから騎士たちの心を癒やす、大切な場所になるのだ。
最初の相談者としてやってきたのは、レオさんだった。
彼は、部屋に入るなり、深々と私に頭を下げた。
「リリアーナ様。先日は、本当にありがとうございました。」
「あなた様の言葉がなければ、俺は、幻術に心を食い殺されていたと思います。」
「いいえ、レオさん。あなたは、ご自身の力で幻を打ち破ったのですよ。」
「さあ、こちらへ座ってください。」
私は彼を椅子に促し、向かい合って座った。
彼は、どこか緊張した面持ちで、自分の膝の上で固く拳を握りしめている。
「何か、お話したいことがあるのではないですか。」
「どんな些細なことでも構いませんよ。」
私の穏やかな問いかけに、彼はしばらくためらっていた。
やがて、意を決したように、ぽつりぽつりと語り始める。
幻術で見た、親友の姿のこと。
彼を救えなかったという、ずっと胸の奥に抱え続けてきた罪悪感について。
「あいつは、俺のせいで死んだんです。俺が、もっと強ければ。」
「俺が、もっと早く気づいていれば。」
彼の声は、震えていた。
自分を責める言葉が、次から次へと溢れ出してくる。
これは、戦争を生き延びた兵士が陥りやすい、サバイバーズ・ギルトと呼ばれる心理状態だ。
私は、彼の話を遮ることなく、最後まで聞いた。
彼が、全ての感情を吐き出し終えるのを、辛抱強く待つ。
やがて、彼は言葉に詰まり、俯いてしまった。
肩が、小さく震えている。
「そうだったのですね。あなたは、ずっと、そんな重い荷物を一人で背負ってこられたのですね。」
私は、彼の苦しみを、そのまま言葉にして返した。
「あなたは、ご友人を救えなかった、と感じていらっしゃる。」
「そして、そのことで、ご自身を責め続けているのですね。」
「ですが、レオさん。あなたのご友人は、本当に、あなたのことを責めているでしょうか。」
「彼が、今ここにいたとしたら、あなたに何と言うと思いますか。」
私の問いに、レオさんははっとしたように顔を上げた。
彼の瞳が、激しく揺れる。
「あいつなら、きっと、言うでしょうね。」
「『お前のせいじゃない。俺の分まで、生き抜け』って。」
「そうですね。私も、そう思います。」
「あなたは、生き残ってしまったのではなく、彼から『生きる』ことを託されたのではないでしょうか。」
「彼の死を無駄にしないためにも、あなたは、幸せに生きる義務がある。そうは、考えられませんか。」
私の言葉は、彼の心に深く染み渡っていったようだ。
彼の固く握りしめられていた拳が、ゆっくりと解かれていく。
「俺は、生きていて、いいんでしょうか。」
「もちろんです。あなたは、生きるべき人です。」
「そして、あなたには、あなたにしか救えない人が、これからたくさん現れるはずです。」
私は、彼の存在そのものを、力強く肯定した。
レオさんの目から、大粒の涙が、止めどなく溢れ出した。
それは、長年彼を縛り付けてきた、罪悪感という名の氷が、ようやく溶け始めた証だった。
その日を境に、相談室には、多くの兵士たちが訪れるようになった。
ダリウスさんは、意外にも、自分の強すぎる力に対する恐怖を打ち明けてくれた。
戦場で高揚すると、自分でも力の制御が効かなくなる。
仲間まで傷つけてしまうのではないかと、常に怯えているのだという。
ボルツさんは、腕の怪我で、もう二度と剣を握れないかもしれないという不安を語った。
騎士として役に立てなくなった自分は、家族を養うこともできない。
無価値な人間なのではないかと、彼は思い詰めていた。
私は、彼ら一人ひとりの声に、真摯に耳を傾けた。
そして、彼らが自分自身の中に、新たな価値や役割を見つけ出す手助けをした。
ダリウスさんには、その力を守るために使う訓練を提案した。
ただ敵を倒すだけでなく、仲間を守るための盾となる動きを身につける。
そうすれば、力の新たな使い道を見出せるのではないかと考えた。
ボルツさんには、剣を握ることだけが騎士の役目ではないと伝えた。
彼の豊富な実戦経験は、若い兵士たちを育てるための、何よりの財産になる。
これからは、教官として、騎士団を支えてほしいと。
私のカウンセリングは、兵士たちの間に、確かな変化をもたらしていった。
彼らの表情から、以前のような自暴自棄な雰囲気は消える。
代わりに、自分の役割に対する誇りと、未来への希望が生まれ始めていた。
心のケアを受けることは、弱さの証明ではない。
真の強さを手に入れるために不可欠なことなのだと、誰もが理解し始めたのだ。
一方、アシュトン様は、領地の本格的な復興計画に着手していた。
まずは、喫緊の課題である、食糧問題の解決だ。
今回の戦いで、街の食料庫はほとんど空になってしまった。
冬が来る前に、十分な食料を確保しなければ、多くの領民が飢えることになる。
しかし、この辺境の痩せた土地では、作物の収穫量はたかが知れている。
王都からの支援など、最初から期待できない。
その夜、私はアシュトン様の執務室で、二人きりで話し合っていた。
テーブルの上には、領地の地図が広げられている。
「やはり、厳しいな。この土地の土壌そのものを改良しない限り、抜本的な解決にはならない。」
アシュトン様が、疲れた顔で呟く。
「何か、この土地の気候や土壌に適した、特別な作物などはないのでしょうか。」
「あるいは、作物の育て方そのものに、何か工夫ができるとか。」
私がそう尋ねると、彼は首を横に振った。
「先代も、色々と試してはいたようだ。だが、どれも上手くいかなかったらしい。」
「結局、北の土地は、呪われているのだと、皆が諦めてしまっている。」
諦め。
それが、この土地の人々の心を、最も深く蝕んでいる病なのかもしれない。
私は、前世の知識を必死に手繰り寄せた。
臨床心理士だった私に、農業の専門知識などあるはずもない。
だが、何か、ヒントになるようなことはないだろうか。
温室栽培や、水耕栽培、品種改良。
様々な単語が頭をよぎるが、この世界で実現可能かどうかは分からない。
やはり、この土地のことを、もっと深く知る必要がある。
書物だけでなく、ここに長く暮らしてきた人々の、生きた知識が。
「アシュトン様。領民の方々の中に、農業や、この土地の植物に、特に詳しい方はいらっしゃらないのでしょうか。」
「うぅむ。皆、代々伝わるやり方で、細々と畑を耕しているだけだからな。」
「特別な知識を持つ者など、いるだろうか。」
彼は、腕を組んで考え込んでしまった。
その時、執務室の扉が控えめにノックされた。
お茶を運んできた、エマだった。
彼女は、私達の会話を耳にしたのか、おずおずと口を開いた。
「あの、もし、お役に立てるか分かりませんが。」
「どうした、エマ。」
「はい。私の村の、その、森の奥に、一人で暮らしているお爺さんがいます。」
「村の皆は、『偏屈じいさん』と呼んで、誰も近づかないのですが。」
「そのお爺さん、昔は、先代の辺境伯様と一緒に、畑仕事の研究をしていた、と聞いたことがあります。」
「薬草や、珍しい植物にも、とても詳しいって。」
エマの情報に、私とアシュトン様は、顔を見合わせた。
それは、まさに、私達が求めていた人物像だった。
「その方は、今もそこに。」
「はい、おそらくは。ですが、あの方は、人をとても嫌っていて。」
「特に、お貴族様は。」
エマは、不安そうな顔で付け加えた。
おそらく、何か過去にあったのだろう。
しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
アシュトン様が、決意を込めた顔で言った。
「会いに行こう。リリアーナ、君も付き合ってくれるか。」
「はい、もちろんです。」
一条の光が、差し込んできたような気がした。
この凍てついた大地に、緑の恵みをもたらすための、最初の鍵。
私達は、その鍵を持つ人物に、会いに行くことを決めた。
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