社畜だった俺が和風異世界に転生して、理想の社会を造り直す。
七刻眞
プロローグ
「あなた、このままだと、一年以内に死にますね」
「それより、彼女は出来ますか? それがあればもっと頑張れそうなんですけど」
「そのような時間など、ないのはご存じでしょう」
目の前の女は笑ってはいなかった。むしろ、彼女の瞳にはぞっとするほどの真剣さが宿っていた。
僕は
特に優秀でもない普通高校を出て、まぁ普通の出来で入れる大学へ進学し、平凡な成績で卒業、誰も知らない三流企業に就職した。
特に夢があった訳でもない。
ただ親を安心させるために、社会がそう決めたから、そのように生きたのだ。
会社は社宅を用意すると言って転勤させたが、実際は自分で借りた賃貸に住んだ。それでも彼女を作って同棲したりと妄想は膨らんだが、仕事は怒涛のように忙しく、
目の回る程だった。僕は無駄な雑務と理不尽な要求で日中を埋め尽くされた。
出来るだけ無駄な雑用をてきぱきと熟し、理不尽な要求は下手を打たないように先回りして処理した。相手がいる件では、先方に無理が届くようにご飯に誘って仲良くなったりと手回ししたりした。ただでさえ多い仕事量に、色々と気が回る性格のせいで駆けずりまわった。結果、残業は当たり前、休日出勤も珍しくなく、気づけばサービス残業が増え、あっという間に五年が過ぎた。
「そろそろ、車竹に、リーダーを任せてもいい頃だな」
上司にそう言われた時、なぜか、喜びよりも絶望が胸に広がった。これからは自分の仕事に加えて、部下の管理、無駄な雑務の山と理不尽な要求に対する『責任』を押し付けられそうな気がしたからだ。
案の定、それは現実になった。
元々、入社時にはふっくらした体形だった僕は、げっそり痩せてしまい、街で高校や大学の友人にあっても気づかれない。
「おまえにそっくりの名前の奴が、昔いたんだ。何も出来ない能無しだったけどな」
と悪口を言われても笑うしかない状況だった。
七年目になると、今度は、新人研修の責任者に任命された。
自分の受け持つ仕事が減るわけではなかった。追加されただけ。
出世した訳ではなく、給料が増えた訳でもなく、更に余分に仕事が増え、自分の時間を削ることになる。直属の上司は僕に仕事を押し付け、同じ部署の若い愛人と出張に行く始末である。何のために仕事をしているのだろう。彼のために仕事をしている訳じゃない。それでも、見た目スマートな男前の上司は、若い女性社員には憧れの的なのだ。僕なんか文句を言っても誰も聞いてくれない。
七年前には僕もその一員だった。彼ら彼女ら新入社員に会社のルールや御法度を教える。
サービス残業はするな、他人の悪口は言うな、自分の金で取引先を接待するな。
心のどこかで
「その御法度は、僕がやっていることだよ」
と口に出せずにいる自分がいる。
色々と気づいていることは見ない聞かないことにして、ただ、歯車であろうと、ただ兵隊として従順に従おう、そうすればいずれ良いこもがあるはずだ。
そう考え働こうとしていた。
気づけば三十歳まであと一年、彼女は出来ない。恋をする暇もなく、夢を持つ暇もなく、ただ年を取る日々だった。
「車竹は、まだ、この仕事終わってねぇのか、早くしろよ。俺はこの後、デートがあるんだよ。頼んだ仕事出来ていないと俺が迷惑すんだよ」
誰よりも、この会社で社畜のように働いた経験則だけが積み重なる。不平は言わない自分は、さげすまれても笑うことだけが上手くなった。
いずれ、良い事が起こるはず。きっと――。
自分を冷静に眺めているもう一人の自分がいる。
「もう、十分だろう。そろそろ辞めろ」
「まだ、やれる。お前は必要とされている。普通の人間が他でやれると思っているのか」
頭の中でせめぎ合う。
そして運命の日を迎える。
その日、残業を終えたのは終電間際だった。書類を抱えて駅へ急いだが、ほんの数分の差で、高架下から最終電車が発車して行くのが見えた。
「……はぁ」
溜息を吐く力もない。
仕方なくタクシーを拾うことも考えたが、財布の中身は
残業代もろくに出してくれない会社である。いや、サービスしてる自分が悪い。
今日も上司から、
「仕事の遅いお前に払う金があると思うのか、場所を貸しているだけでもありがたく思え」
そう言われたばかりである。
当然、無駄な出費は生活を苦しくさせる。どこか夜風を凌げる場所はないか、ビルの透き間にでも体を預ける場所があれば、一晩ぐらいなら何とかなるだろう。
街を歩きながら、夜風に身を晒した。
ここなら風もしのげると都合の良いビルの透き間を覗くと、凄い悪臭を放つぼろ布を纏った男が段ボールに
良い場所はどこも空いていなかった。僕は行く当てもなく歩き回り、とうとう繁華街の灯りが遠ざかる薄暗い裏通りに入った。
ふと、年期の入った古いビルの前に小さな机が一脚置かれているのに気づいた。老婆だろうか、一人女性がローブのような布を羽織って座っている。
頭上に
占い師みたいだな。
彼女の場所は、一夜を明かすには都合が良さそうであった。近くに座り、彼女がいなくなるのを待つことにした。流石に一晩、占いをつづけることはないだろう。
二十分ほど座って待った。一向に動く気配はなく、既に日は跨いだ。
彼女が、チラリと僕を見た気がしたが気のせいだろう。しばらく数メートルの距離で共に、都会の空を見上げていた。
「占いをされるのですか?」
声をかけたのは僕のほうからだった。
なぜ、声をかけたのかは分からない。
彼女をまじまじと見つめ、視線が合った瞬間、驚いた。
顔をあげた老婆の素顔は、息を呑むほどに美しい女神のような若い女性であった。
長い黒髪を背に垂らし、大きな目を瞬かせ、ロープの下には白い肌が映えるほどの白装束が見え隠れしていた。年齢は見た目には三十歳未満に見える。僕と同い年かそれ以下だろう。その表情と身に纏う空気は、凛とした普通の人とは思えない圧があった。
「こんなに寒いのに、続けるのですか?」
もう一度声をかけた。
「占い……、なるほど、確かにそのようなものです。ですが、もう店じまいするところです。今日は誰も見つけられなかったから……」
―― 誰もみつけられない? ――
不思議な返答である。
もしかしたら、お金に困っているのだろうか、僕はなんだか他人ごとに想えなくなってきた。
「お客が見つけられないのですか、それなら、もっと人の多い場所でされたらいいのに……、占い、高いんですか……」
「いえ、いいんです」
「僕、生憎、お金が無くて……」
彼女は、僕の言葉を聞いて不思議な表情を見せている。そう、彼女が、そこをどいてくれれば、風が凌げそうな場所が空くのだ。僕の目的は、その場を手に入れ、そこで寝ようと思っていること、そう口にしそうになった。
「無料です。お金はいりません」
座っていた僕は飛び起きた。
「それはいけない。仕事で金を貰わずにやってはいけない。そんなことをしたら、僕みたいになるだけ、タダはイケない」
女神の顔が崩れ、目を細めてクスリと笑った。
「面白い方、それに、お優しいのですね」
そんな言葉を掛けてくれた女性など、ここ数年一度もなかった。
「もしかしたら、わたしは貴方の様な人を探していたのかもしれません。どうぞ、こちらへお座りになってください」
僕はそれだけで彼女に好感をもち、我を失ったように席に座った。
「占い、これでいいですか」
そう言ってナケナシの財布から、なけなしの最後の一万円札を取り出し机に置いた。ここの場所代金が一万と思えばいい。彼女の笑顔はそれに値する。
彼女は目を細め、わずかに微笑んだようだった。
「僕の将来を見てもらえますか。できれば、会社で出世できるのか、この先……未来があるのか……、もしくは……会社で良いことが……」息を飲む。
「会社? 良いことですか?」
ここまでくれば、恥はかき捨てである。
「いや、僕に彼女が出来るか、貴女のような彼女ができるか……占ってください」
少し驚いた顔をしたが、女は握手をするように手を伸ばし、半信半疑で差し出した僕の右手を掴んだ。女性に手を握られたのは小学生の運動会以来だ。並んで行進する時に、皆男女隣通しで手を繋ぎなさいと言われた時が最後だったかもしれない。あの頃は何も感じなかった。でも、今は彼女の手が触れただけで僕の心は熱くなっていくのがわかる。
すると、突然に苦しくなってきた。いや、頭がぐるぐると、今までの人生が走馬灯のように頭を巡り始めた。 何だこれは! 一瞬の出来事だった。苦しくて吐気がするほどの生活が、ほんの僅かの間、刹那の瞬間に全てを頭で体験した。思わず涙が溢れ、自分を客観視して嗚咽していた。
彼女も同じ走馬灯を見たようだ。憐れむような目で、吐息を吐くと、はっきりとこう言った。
「あなた、このままだと、一年以内に死にますね。もう手遅れです」
愕然とした。こんな綺麗な人が残酷な事を言う。
「死ぬ……、そんな酷い言い方しなくても……、言ったじゃないですか、それより、彼女が出来ますか? それがあればもっと頑張れそうなんですけど」
さらに憐れむ目を伏せる。
「そのような時間など、ないのはご存じでしょう」
「はは、そうですけど、そんな酷い言い方、会社が悪いみたいじゃないですか……」
「原因は会社ではありません。全てを受け入れた貴方にあるのです」
原因は自分? その言葉に、背筋が寒くなった。
誰かが悪いのでなく、原因は自分。
「そうです。手遅れです。一年以内に、あなたは死にます」
死ぬ予感はあった。最近、血を吐くことが多い。
仕事中、突然意識が無くなり、よく怒鳴られる。
そうか、僕は過労死でもするのか……。
手がしっかりと握られると、僕の前の古いビルの景色が途端に、ぐにゃりと歪んで見えた。
「な……っ」
突然に昼間のような明るい世界が視界全体に広がった。
目の前には、真っ白な白亜の神殿が建っているのだ。
巨大な柱が空高く連なり、天井は果てしなく高い。神殿の周囲にはたっぷりな水を湛えた大きな大きな堀がキラキラと輝いていた。僕はどこかのゲームのVR映像を見せられているのかと錯覚した。
「こちらへ」
彼女はいつの間にか黒いローブを脱ぎ捨てており、白装束が絹のドレスであったことが分かる。
彼女が導くままに、歩き出した。
僕の足は勝手に前へ進んだ。周りに広がる美しい景色が夢のようである。堀を越え、神殿の内部へと侵入した。そこには、同じような白衣をまとった男女の僧侶たちが彼女が来るのを待ち望んでいたように並んで立っていた。
彼らは一斉に頭を垂れる。
「マカラ様、マカラ様。その男なのですか」
「一興じゃ。まだ、本人の意思は聞いておらぬ、連れてきただけじゃ。でもしっかりと見てやってくれ」
「見る……よろしいのですか、そのような男を」
「あと一人、枠が空いておったろう。この男、このままで、良いわけがない。一年以内に死ぬのだからな」
僧侶たちは重々しくうなずいた。
「運命の糸は細く、命の炎は、すぐに断ち切れてしまう。己の弱さで魂をすり減らし、心を蝕まれ、この男は間もなく息絶える」
僕は笑おうとしたが、喉が震えて声にならなかった。人々の中央に連れて行かれ、白い装束の男女七人が周りを囲んだ。
「素直に応えなさい。貴方の今を、魂はどう感じているのですか、素直に応えなさい。貴方の望みを、魂は何を望んでいるか」
涙が流れた。
「日々の生活は死んでいるようなものです。眠る時間だけが幸せで、何のために生きているのかすらわからない。彼女が欲しい。報われないのは嫌だ。感謝すらもらえないのは嫌だ。そんな当り前を欲しては、僕はいけないのでしょうか」
「選びなさい」
女――マカラは言った。
「そのまま一年以内に死ぬか。それともやり直すか」
「やり直す……?」
「肉体はこの世界で朽ち果てるが、魂は新たな日本で目を覚ます。そこで新しい人生を得られる。簡単なことだ。私が魂を預かるだけだ」
僕は唇を噛んだ。友人が話してくれたゲームやアニメに、そんな話があったようななかったような、けれど、目の前の光景が幻影でないことは、直感が告げている。
「……僕が死んだら、会社はどうなります?」
「悪い癖だ。自分より他人、それも貴方を駒のようにしか考えておらぬ者の事を考える。まず何よりも自分の魂が何を欲しているかを考えるべきだ。他人が悲しむことを気にする前に、おまえの魂は泣き叫んでいる。死を選ぶか、生を選ぶか、ただ、それだけだ」
―― 死ぬか、生きるか。――
会社に残っても、待っているのは絶望だけ、生きているだけで、死んでいるのと同じ毎日。
魂の叫びは決まっている――。
「……やり直したいです」
自分でも驚くほど、声は震えていなかった。
「そう僕の魂が言っています」
マカラは微笑んだ。
「よいな、七賢者よ、彼を最後の枠に入れても」
「よかろう。マカラが選ぶなら、この男に枠を与えよう」
神殿の奥から、白い光が差し込んだ。眩しさに目を閉じた瞬間、足元がふわりと浮かんだ気配がした。重力が消える感覚がして体が宙に浮かんだ。
最後に聞こえたのは、マカラの声だった。
「現世の記憶を忘れるな。それが、貴方が二度と間違わぬ楔となる。そして新しい人生でも多いに力となることだろう」
意識が暗転した。
つづく
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