第9話 気仙沼へ――そしてその先にある未来へ
気仙沼へ――そしてその先にある未来へ-1
痛み止めのお陰か司紗はよく眠れた。
ここがどこなのか、目を覚ましてすぐに思い出す。ここは仙台手前のラブホテル。台風と自分の生理痛のために緊急避難したのだ。
自分は大きなベッドの上にいるが、すぐ近くで呼吸音が聞こえる。
昨夜、何度もキスをした岸川の寝息だ。
好きな人との
幸せな気持ちが、具体的な形になったかのように体の中を巡っていった。
キングサイズのベッドから降り、手伝いで室内を進み、冷蔵庫を探り当てる。お茶のペットボトルを見つけ、テーブルの上のコップに注意して注ぐ。買ったペットボトルはお茶とスポーツドリンクだったが、形が違うので間違えることはない。
言葉にするのがイヤだったはずなのに、今は岸川のことが好きだと自然に思える。いつ、好きになることを怖がるのをやめようと思ったのか、司紗は考える。
それはきっと、岸川が視覚障害者と晴眼者の夫婦の話をしてくれた時だ。岸川は自分が考えないようにしようと思っていた未来を考えてくれていた。それがどうしようもなく嬉しかった。この先、放射線治療を含めていろいろなことがあると思う。それでも、1つ1つクリアしていけば、岸川と歩める未来があるのではと思うし、そう強く願う。だとすると岸川に呆れられないようにわがままはほどほどにして、どうすれば彼と一緒にいられるのか、真剣に考えなければ――と自分に言い聞かせ、お茶を飲みほした。
岸川が起きて、司紗に声をかけた。
「おはよう」
「おはよう」
司紗はキングベッドまで行き、岸川に手を伸ばす。岸川はその手をとり、司紗を引き寄せて軽くキスをした。
「台風はどうかな」
「調べて?」
テレビをつけてお天気チャンネルを見ると、台風は日本海側に抜けていた。天気は急速に回復するが、強風は続くとのことだった。
「無事やり過ごせたようでよかった」
「あと何時間くらいここにいられるの?」
「まだ4時だから8時間くらい」
「もう1回余裕でお風呂入れるね」
「想像しちゃうからやめてくれ」
「体洗ってあげようか」
岸川は言葉を失った。そんなに強烈なセリフだっただろうかと司紗は自分の発言を振り返るがよくわからなかった。
今のうちに今日の計画を立てようと岸川が言い、大型液晶テレビのインターネット画面でいろいろ検索し、岸川は声を上げた。
「うお……ショックだ。ここの斜め向かいのブロックにネカフェあった……てっきり仙台市内までないものだと思い込んでた。土地勘ないから店の支店名でピンとこなかった……」
「いいじゃん。別に損したわけじゃないし。お風呂に入れて大きなベッドで眠れたんだから、その分、英気を養えたよ。それに自転車も屋根のあるところに置けたから、それほど濡らさずに済んだし」
「そういう意味じゃなくて……」
「ネカフェならキスする展開にはならなかった?」
「うん」
岸川の返事はためらいがちだった。
「ウチとキスする関係になったの、後悔してる?」
その質問については返事をする代わりに、岸川は司紗の唇に自分の唇を重ねた。初心者同士のキスは、何度しても気持ちがよかった。
買い込んだ食料を消費して荷物を減らす。パン類より先にカップ麺を食べるのは、道中でお湯が手に入らないからだ。
検討した結果、今日は石巻市のネカフェまで行くことにした。石巻市までは60キロほどで、石巻市から気仙沼は80キロ程度の距離だ。生理痛がまだ残る司紗でもなんとか走れそうな距離だと考えられた。
「けど石巻のネカフェにはツインブースがないな」
「じゃあまたラブホテルにしようよ」
一度ラブホテルを経験してしまうとハードルが下がるのであった。実際、ネカフェより気を使わなくていいし、広いのである。いいことだらけだ。
「ダメ。ご両親に申し開きが立たないから。連結ブースがあるからそこでいいだろ」
「むう。キシカワ、固いな」
確かに再びラブホテルに泊まると両親に連絡を入れるのはためらわれるものがある。今回、きちんと報告しているが、事情を顧みてのことだと両親には断っている。断ってはいるが、きっと両親は一線を越えたであろうことを理解しているだろう。それでも、いや、だからこそ、これ以上ラブホテルに泊まるのはよくないとも司紗は思う。
浴室に干していた洗濯物は無事乾いたので取り込んで、たたんでしまい、せっかくなのでもう1度お風呂に入った。手足を伸ばして湯船の中で浮かぶのは実は贅沢なのだと司紗は思った。
身支度を整えて時間ギリギリに外に出ると、台風一過で晴れ渡っていた。司紗の視力でも夏の明るさでそれが分かる。足元も乾いているのもわかる。
風も強いし、気温が上がっているが、前に進まないという選択肢はない。石巻市まで早く着いて、明日の朝は早く出て、まだ涼しいうちに気仙沼に到着したいところだ。
生理は2日目なので腹痛は落ち着いており、走れそうだ。再び岸川がパイロットに、司紗がストーカーになって、T-20号は気仙沼に向かって再び走り出す。
買い置きしたパンを食べつくしてからラブホテルを出たので、お腹は満たされている。適宜休憩しつつ、国道4号線を走る。すぐに仙台市内に入り、そしてついに国道4号線を離れると岸川が言い、司紗は歓声を上げた。
「すごい。気仙沼はもうすぐなんだね」
「今までの旅を思えば、確かにもうすぐだ」
岸川は朗らかな声で言った。
国道45号線に入り、塩釜11キロの道路案内標識が出たと岸川が教えてくれる。塩釜の先がリアス式海岸の景勝で有名な松島だ。
「海岸線だからアップダウンが激しくなるかもだけど、距離は短いし、せっかくだからこっちルートを通ろうと思って」
「疲労は抜けているからね。どんとこいだ」
1時間かからないで塩釜を抜け、陸前浜田に向かう。列車の通過音が聞こえる。左手にJR仙石線と並走しながら、海岸線を進んでいるらしい。
「空と海がとてもきれい。風が強いから内湾なのに波が立ってる。湾の中にいっぱい小さな島が見える。こんなところ関東にはないな!」
「海の匂い! 海の風を感じる! 海の音も聞こえる!」
「ここまで無事来られてよかった」
「この辺は東日本大震災の時は大きな被害を受けたんだろうね」
「うん。きっとそうだと思う」
そんな会話をしながら2人呼吸を合わせてペダルに体重を落とす。
リアス式の海岸線を走るとやはりアップダウンがあり、速度は落ちる。しかし海岸線を走る楽しみがある。
無事、松島に到着し、昼食をとる。お昼時間からずれているので開いているお店を探すのに苦労したが、無事、海鮮丼を食べることができた。
海鮮丼を食べて、足も休めて、数キロほど山の中を通り、東松島まで抜ける。東松島から石巻市まではほんの数キロで、無事18時にはネカフェに到着した。足を休めていたので平均速度が上がっていた。
ネカフェでは時間を惜しみ、昼にお風呂に入っているので体を拭くだけにして早速寝てしまう。もうここに入ったのは寝て体を休めるだけの目的だ。リクライニングブースを連結して別々に寝ることを考えていたが、司紗は狭くてもフラットブースで岸川と寝たいと言い、彼は承諾した。
本当に狭く、なかなか眠れなかったが、岸川と一緒に眠るのは幸せだった。
「ここではキスできないね」
肌が触れ合う距離にいる彼に司紗は言った。
「気仙沼に着くまでに好きなところでできるよ」
岸川は明るい声で答えた。
午前1時に起きると、心配した気仙沼の祖父母から連絡が来ていたことに気が付いた。そろそろ到着だろうと考えていたのだろう。司紗はすぐに返事をしたが、夜中なので既読がつくのは朝だろうと思われた。
午前2時にネカフェを出て、いよいよ気仙沼に向けて走り出す。
祖父母の家はもうすぐだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます