第三十四帖 方解「妻が目前で寝取られる?!」

なるほど……

この男が方解ですか。

どこにでもおりそうな、風采の上がらない男です。

御召し物だけは御立派ですが、資金源はどなたなのやら。

となると、熱意だけで虎目君を射止めたのでしょうに、新婚の時分から、わたくしにもそれとわかる香をつけて夜中に帰ってくるのでは、まったく彼女には釣り合いません。

ここまでくると、女人の方が鼻が利くからといった範疇ではなく、此奴の鼻が悪いだけの話です。

このような男に、伽羅きゃらの薫りを漂わせる虎目君の真価がわかるのでしょうか。

わからないから、彼女を差し置いて、このような品のない甘ったるい香をつけるような女の許に、夜な夜なゆくのでしょう。


「あら、このような野分のわきの夜なのに、律儀にお帰りになられたのですね、

 てっきり、いつものように、遅くなるからお友達かお仕事仲間のお家に御泊りになったのかと」

虎目君が氷柱つららのような声を放ちました。

「なんだ御前!

 野分の中を夫が帰ってきたというのに心配もせず可愛げのない女だ、だから帰ってくる気が失せるのだ!」

「あなたさまが朝帰りをなさるようになった方が先にございましょう?

 今晩も、お泊まりになる予定だった御宅が激しい野分で崩壊しそうになりました故に、慌てて帰ってこられたのでは?」

「……ええい、うるさい!」

この反応は図星ですか

……なんと身勝手で、薄情な男でしょう。

「今まさに、夫の目の前で他の男と懇ろになろうとしていた御前のふしだらさには及ばぬわ!」

「なにを莫迦ばかなことを申されますか。

 よく見てくださいまし、この方は灰廉様ですよ。

 お隣には珊瑚君と檸檬君もお休みになっておられるのに、そのような行為に及ぶわけがないでしょう」

「な、なにっ……

 い、いや、皇太子だからなんだというのか?

 寧ろ、御偉いからこそ横暴も許されるとつけ上がって、妃が横にいようとなんだろうと、ひとの妻に手を出そうとしたんだろ?!」


「はーあっ!」

虎目君は心底うんざりしたような溜息を、全身から大きく吐き出しました。


「御自分が息を吐くように不貞をなさるから、他人のことも、顔を近づけていたぐらいのことで、不貞をしただのとお疑いになられるのでしょう。

 そのように、わたくしが何を言っても、はなから疑うおつもりなら、これ以上言い繕うのも莫迦莫迦しい。

 ならば最早、いっそのこと、本当に灰廉様とそのような関係を持ってしまった方が得でございますねえ!」


「えっ」

我、方解は、虎目の言葉に耳を疑った。

「そ、そのようにあっさりと

 ……我の貞淑な妻であることを捨てると申すのか?!」

「先にわたくしへの貞淑さを捨てた張本人が、なにを抜かしておられるのですか?」

「し、しかし、眼前で堂々と捨てるのはまた違うだろう、」

「あなたさまは裏切りの回数が違うではありませんか。

 ですが、今回のこれで、今までのことは全て水に流してさしあげますよ?」

「莫迦なことを言うなっ!

 貴様は良くとも、灰廉様側が、我に見られている状態で御前を抱くわけがないだろう!」

「わたくしは構いませんが?

 寧ろ、方解様への制裁と優越感で、えもいわれぬ快感が得られるかもしれませんしねえ」

「そ、そんなわけがないだろう、

 お、脅しだろう、」

「何故そう言い切れるのですか?

 わたくしは、一年間で五人の妃を六度懐妊させた男ですよ。

 相手の夫に見られている、ぐらいの理由で怯むような軟弱な男に、そんなことができると御思いですか?」

「す、好き者め……

 そ、それこそそんなことをして、万が一にも子ができたらどうするおつもりなのですか、」

「もちろん、虎目君も含めて後宮に迎え入れます。

 わたくし、本日をもって虎目君を、皇族お墨付きの目利きに認定いたしましたので、そのような人材相手なら大歓迎です」

「この野郎!」

思わず灰廉様

……には体躯からして敵いそうもないので、虎目に飛びかかろうとした


……が、身体は左右から阻まれて動かなかった。

驚いて見遣ると、左から珊瑚君、右から檸檬君が我を押さえ込んでいた。

な、なぜ、よりにもよって

……最重量と思しき妃と、最高身長の妃を伴っておるのだ!

「あっ……あなたがた、正気ですか?!

 寝惚けていて状況が理解できておられないのですよね?!

 あなたがたの夫が、目の前でうちの妻を抱こうとしておられるのですよ?!」

「わかっておりますよ。

 しかし、こんなにも素晴らしい奥様を蔑ろにするあなたのような男が、しっぺ返しを受けて泣き崩れる姿を見たい気持ちの方が、強うございます」

恐ろしいほどの長身痩躯で、やたらと黒々とした前髪で瞳を隠し、本の蟲といった趣を醸し出している檸檬君に言われると、呪われそうな恐怖しかない。

彼女は右手で手燭てしょくを持ち、これ見よがしに灰廉様と虎目を照らしている。


「なんですか、あなたがたは……

 若いくせに夫が目の前で他の女を抱くのを応援するなど、とんだすれっからしですね!」

「若いくせに、更に若い奥様を新婚早々放り出して他の女の家に泊まる方が、よほど擦れきっていると思いますが?

 擦れて擦れて擦り切れまくって、もう人としての真っ当な中身なんて、一欠片もないのではございませんか?

 おーっほっほっ。

 同行した妻が、わたくしと檸檬君だったのが、運の尽きでございましたね。

 特に、瑠璃君や紅玉君ならば、止めすらなさいませんでしたのにねえ」

珊瑚君が高笑いすると、灰廉様もつられて吹き出しました。

くっ、くそっ……

此奴こやつらの後宮、どうかしておるぞ……


「さてと……

 お二人の許可も得ましたし、じっくりといたぶるといたしましょうか……」

灰廉様は虎目の顎に右手の指先を添え、彼女の瞳をじっくりと見つめた。

虎目も彼の瞳を、うっとりと見つめ返した。

ふたりの間に、甘く熱い空気が流れた。

な、なんだ……

そんな瞳で見つめられるのは、結婚当初の我の特権だったはずなのに


……し、しかし……

このふたりの横顔は

……悔しいほどに、絵画のようだ。

お墨付きをいただいたというだけあり、どう見ても虎目には、我よりも灰廉様の隣が似合っている。


そんな女人が、我の熱意に絆され、妻になってくれたというのに、

ひょっとしたら本当に、何もなかったのかもしれないのに、

このまま目前で、みすみす虎目に手を出されてしまっても

……い、いいのか……?

こうも高貴で美しく、一年間で妃を六度も懐妊させるなど、甘美な寝技を持っているのかもしれない男だぞ?!

そんな技を全身に浴びてしまったら、虎目は、我なんぞにはもう二度と指一本触れられたくなってもおかしくないのだぞ?!

それどころか、今後永劫滅却、つまらぬものを見るような視線しか送られなくなるかもしれんぞ?!

本当に一発で懐妊させられてしまい、母子ともども後宮に連れ去られるかもしれないのだぞ?!


い、いや、それで良いではないか

……もともと財産目当ての結婚なのだし

……だからこそ新婚の虎目を放置して、夜な夜な放蕩していたのだろう……

虎目も、我が他の女とまぐわう所を直接見てはいなくとも、このような心持ちで、毎晩、我の帰りを待っていたのならば、自分のやってきたことが帰ってきただけなのだから、

受け止めきれないなど、情けないだろう……

歯と拳を食いしばれ……


雄としての優越感と愉悦に満ちた瞳で、灰廉様がちらりと我を見遣る。

なぜ。

なぜこうも高貴で美しく、生命力に満ち溢れ、女人に不自由しない男が、よりにもよって我の妻を。

いや、灰廉様が虎目に魅力を認めるのはわかる。

だが、平時なら、まず袖を振り合うような縁すら持てないようなお相手だろうに、どんな運命の悪戯があれば、屋敷にまで泊まり、そんな日に限って我は帰ってきたのだ。

罰だ。

天罰が当たったのだ。


しん、と静まり返った部屋に、

野分の風と雨音が邸宅にぶつかる音が、いやに激しく脳裏に刺さった。


虎目の、色白に映える紅く艶やかな唇に、灰廉様のそれが、彼女の吐息の温度を感じているであろう距離まで吸い寄せられて……

今にも……


このままでは……

我だけのものだと思っていた花が

……圧倒的に艶やかな蝶に吸い尽くされ

……奪われる……


な、なんだ……

泣き崩れる姿が見たい、などと言われて、まんまと泣き崩れるなど恥にもほどがあり、絶対にそうなってやるものか、と、強く念じているのに

……視界が、滲む……

崩壊、する……

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