番外編「氷霜騎士団のとある一
俺、レオン・シュナイダーは、アストリア王国騎士団の副団長を務めている。そして、我らが団長、アレクシス・フォン・ヴァイス様の右腕……だと、自分では思っている。
団長は、それはもう、すごい人だ。剣を持てば敵なし、頭も切れる、おまけに彫刻みたいな美形。まさに完璧超人。ただ一つ、欠点があったとすれば、人間らしい感情というものが、すっぽり抜け落ちていたことだ。
三年前の戦争以来、団長は笑うことも、怒ることも、ほとんどなくなった。「氷霜の騎士」なんて二つ名がつくくらい、いつも凍てついた無表情を顔に貼り付けていた。
俺たち部下は、そんな団長を尊敬し、畏れていた。
そう、あの日、ミオちゃんが現れるまでは。
「おはようございます、レオン副団長」
「お、ミオちゃん、おはよう!今日も団長の監視、ご苦労さん!」
騎士団の詰め所に、朝食の入ったバスケットを持って現れたミオちゃんに、俺はいつものように軽口を叩いた。
ミオちゃん。本名、月島美桜。
最初は、団長がどこからか拾ってきた記憶喪失の娘、としか思っていなかった。けれど、彼女が来てから、あの氷のように固かった団長が、少しずつ、本当に少しずつだけど、変わり始めたのだ。
そして、あのゾルダート魔導皇国とのいざこざを経て、団長は完全に変わった。
いや、あれは「変わった」なんて生易しいものじゃない。「生まれ変わった」と言った方が正しい。
「団長、ミオ様がお見えです」
部下の一人が、団長室のドアをノックして告げる。すると、中から聞こえてきたのは、以前では考えられないほど、穏やかな声だった。
「ああ、入ってくれ」
ミオちゃんがにっこり笑って部屋に入っていく。俺も、報告書を渡すついでに、こっそり後からついていった。
「アレクシス様、朝食をお持ちしました。今日は卵サンドですよ」
「そうか。いつもすまないな」
団長は、山積みの書類から顔を上げると、ミオちゃんに向かって、ふわりと、笑ったのだ。
ふわり、と!
あの!氷霜の騎士が!
俺と、ドアの隙間から覗いていた他の部下たちは、声にならない悲鳴を上げた。なんだあの甘い笑顔は!俺たちには一度だって見せたことないくせに!
「淹れたてのハーブティーもありますから、少し休憩してくださいね」
「ああ、そうさせてもらうか」
団長は、素直にペンを置くと、ミオちゃんが用意したサンドイッチを一口食べた。
その瞬間である。
団長の周りの空気が、ぽわん、と春の陽だまりみたいに温かくなったのだ。俺には色なんて見えないけど、雰囲気で分かる。ああ、今、団長、ものすごく「幸せ」って思ってるな、って。
「……美味い」
「ふふ、よかったです」
見つめ合う二人。そこには、俺たちが割り込む隙間なんて、一ミリもない。ピンク色の甘い空気が、部屋中に充満している。うげえ、朝から胸やけしそうだぜ。
「あ、そうだ。アレクシス様、今日のお帰りは遅くなりますか?」
「いや、今日は定時で上がれるはずだ。何かあったか?」
「実は、新しいシチューのレシピを思いついたんです。だから、今夜は一緒に……」
「帰る」
ミオちゃんの言葉を遮るように、団長が即答した。
「何があっても、定時で帰る。いや、半休を取ろう。今から取る」
「だ、団長!?執務が溜まってますよ!」
俺が慌てて口を挟むと、団長は氷点下の視線で俺を睨みつけた。ひぃっ!
「……レオン。お前、俺の『妻との夕食』より、大切な仕事があるとでも言うのか?」
「め、滅相もございません!どうぞどうぞ、お帰りください!残りは我々が死ぬ気で片付けておきますので!」
「よろしい」
満足げにうなずく団長。おい、その切り替えの速さはなんだ。さっきまでのデレデレ顔はどこへ行った。
ミオちゃんは、そんな俺たちのやり取りを見て、くすくす笑っている。
「もう、アレクシス様。レオンさんをいじめないでください」
「いじめてなどいない。事実を述べたまでだ」
「はいはい。じゃあ、夕食、楽しみに待ってますね」
「ああ、楽しみにしている」
ミオちゃんが部屋を出ていくと、団長はまた、あのとろけるような笑顔で彼女の背中を見送っていた。そして、彼女の姿が見えなくなると、一瞬で真顔に戻り、俺に向き直る。
「……で?何の用だ」
「は、はい!こちらの報告書に、ご裁可を……」
俺はビシッと背筋を伸ばして書類を差し出した。
ああ、もう。本当に、人が変われば変わるもんだ。
でも、正直に言おう。俺たちは、今の団長の方が、ずっと好きだ。
あの人が、凍てついた心を溶かし、誰かを愛し、幸せそうに笑っている。その姿を見られるだけで、俺たち部下も、なんだか幸せな気分になるのだ。
まあ、俺たちに向けられる視線は、相変わらず氷点下だけどな!
「……レオン」
「はっ!」
「今日の仕事、倍にする」
「な、なぜですか!?」
「さっき、俺の妻をニヤニヤしながら見ていただろう」
……勘弁してくれ。
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