メサイアコンプレックスの竜の娘、霧の学苑で恋をする

巳明 狐白

第1話 アルマディア校長の養子

Mist era3156.05.28、校長の記憶


霧の庭園奥の森。

霧に溶けたアストラたちの力に影響された、摩訶不思議な動植物たちが異様に騒がしかった。

風も無いのに木々はざわめき、深夜になるというのに数多の動物が駆け巡っていた。

窓からふと、森を見下ろした時。

森の奥部が、強く光った。

アストラの能力の発動光と見定め、侵入者か、はたまた深夜外出の生徒か。

森へと様子を見に行くことにした。


発生源近くへテレポートをすると、まだ微かに光は残っていた。

そちらへ歩を進めると、発生源を確認できた。

月光が木漏れ日のように射し込む場所、霧に反射して柔らかく光っている。

その中に、能力光を淡く纏う、幼子が倒れていた。

見たところ、四、五歳ほど。

ピクリとも動かず、おそらく意識が無いその子を保護すべく近寄ると、周りの草や木が揺れ、陰から動物たちの目が光る。

この獰猛なはずの、森の動物たちが、格好の獲物であるはずのこの子に手を出さないのはなぜだろうか。

そもそも、先ほどの光は、数百メートル離れた校舎からもはっきりと見えるほど強かった。この年齢の子供が、単独であれほどの能力を発動したとは信じがたい。

が、怪我や病気の可能性もあるので、一刻も早く治療をしなければならない。

持ち上げる前に、まずは見える範囲の外傷を確認する。

と、驚いた。

幼子は女児のようで、頭部や胴体は人のそれだが、腕と脚には白っぽく硬い鱗が生えていた。

手足は小さな体に不釣り合いなほど大きく、青黒い鋭い爪までついている。

身に着けた衣服は、上等な物に見えるが、あちこち擦り切れて土も付着している。

出血は無さそうだ。

アストラの中でも、一部の者……ヴェリディア族ではないだろうか。

ほとんど今では伝説となった、竜と交わったアストラの種族。

なれば、能力が高いのも頷ける。


ピクリ、と爪、いやおそらく指が微かに動き、淡い光が彼女を包んだ。

それが消えると、爪も鱗も無く、見た目相応の人間の子供の手足がそこにあった。


初めての事象におよそ戸惑いはしたものの、ともかく意識は依然として無い。

校医のルフェリアに診てもらわねばならない。

小さな体をそっと抱き上げ、医務室へ急いだ。



夜中の訪問にも関わらず、ルフェリアは快く治療を引き受けてくれた。

目が覚めたらお呼びしますよ、と言われたものの、なんとなく、本当になんとなく医務室に残った。

ルフェリアが調合した薬を投与して少し経った頃、閉じられていた瞼が薄く開いた。


目覚めたか、と声をかけると、布団を握りしめ目を見開く。


「あぁ。怖がらずとも良い。ここはアストラの学校、セレフォグ学苑の医務室じゃ。私はセノリス・アルマディア。この学校の校長をしておる。

君が、本校の敷地内に倒れておったのでな、保護した。

さて。君は、どこから、どうして来たのかな。名前は言えるかの?」

「ah……ぇ、ありがとう、ございます…………わたしは、ニアリス・フィルディア

、で……

…えっと、逃げ、て……?」

戸惑った様子を見せたが、たどたどしくも名乗ってくれた。

が、どこから、なぜ、の質問については、”必死で逃げていた”ということ以外はわからない、覚えていないと繰り返した。

噓をついているような様子ではない。自分でも何もわからず、おびえているようだ。

ルフェリア曰く、精神的ショック等で記憶が混濁したり、消えたりすることがあるからそうではないか、と。

幼い故、防衛本能が強く働いてしまったのかもしれない。


その後さまざまな質問を試みたが、ニアリスは自分の生まれも育ちも、種族すら覚えてはいなかった。

名前と、染み付いているであろう挨拶などの少しの常識。彼女の記憶には、それだけだった。


医務室から隔離室に移し、食事を与え、体調に問題の無いことを確認して、学苑に一番近い町へ連れ出した。ここはアストラだけの町だから、通報の心配もない。

ここの人間は、皆私のことをよく知っている。


風呂に入れてやりたいが、彼女に合う着替えは我がセレフォグには無い。

それに、アストラ協会と彼女の今後を詮議しなければならない。協会に行くならば、それなりにきちんとした服が要る。


ニアリスの手を引いて、町の服屋へ入り、店員の女性に服を見繕ってもらう。

ついでに、と、本当は服は協会に行く時の物だけのつもりだったのだが、なんとなく着替え用として七着ほど買ってしまった。

彼女はこんなに、と申し訳なさそうな顔をしたが、頭を撫でてごまかしておいた。


学苑に戻ると、副校長のヴェルナが待っていた。

三日後に、協会の理事との面会を取り付けた旨を伝えられる。

見つけた時のボロボロの服のままニアリスを外に連れ出したことを軽く注意され、ニアリスの風呂と着替えの世話を申し出てくれた。

いくら幼子でも、ジジィとはいえ異性にそういった世話をされるのは嫌だろうと思っていたので、助かった。


「あなたが、ニアリス・フィルディアですね。私はエルシア・ヴェルナ、セレフォグ学苑の副校長をしています。専門は共鳴系です。そう怯えずとも、ここにあなたを傷つける不届きなものはおりませんから、ご安心なさい。まず、私と一緒にお風呂に入りましょう。」

ヴェルナに連れられていくニアリスを見送って、校長室に戻った。


きれいに洗われ、新しい服を着て髪まで整えられたニアリスは、それはそれは可愛らしく。

協会の監視下に置かれる可能性も、マッドな学者たちに研究対象にされる可能性もある、希少な人と人智を超越する者の混血種。

一部ではヴェリディア族の鱗やら爪やらの小片が、家が建つほどの高値で取引されると聞く。

この、可愛らしい小さい命を、そのような目に合わせてたまるか。

自分の近くにいさせれば、誰も手出しはできまい。

本当の親がこの子を探しに来るなら返すが、来ないのならばここでずっと育てよう。


差し当たって、ヴェルナともう一人、女子のエルネアクラスの担任のアマリクスを呼び、ニアリスの記憶と種族のこと、そして私が引き取り出来る限り学苑で育てることを伝えた。


ヴェリディア族の存在については驚かれたが、礼儀正しく、年齢の割に賢く、怯えている幼子を見捨てられるほど、ここの教員は薄情ではない。

協会さえうまいこといなせたら、と決着した。



三日経ち、アストラ協会へ行く日になった。

昨日までの二日間、霧技の基礎をヴェルナに教わっていたり、アマリクスから霧についての子供向けの本を教材に授業を受けたり、図書館で本を静かに読んでいたり、ついこないだまで赤子だった幼児とは思えぬほどに静かで、勉強熱心だった。

気を張って無理をしているのかと思ったが、そんなことは無さそうで、何を勉強したのか聞くと目を輝かせて一生懸命説明をしてくれた。

あれは、知識を蓄えるのが好きな者の目だ。

やはり、学苑で育てるべきだ。

協会の受付嬢に声をかけると、すぐに理事のもとへ案内された。

部屋には理事一人で、それ以外は秘書すらいなかった。

「その子が例の子かね。こちらから一般の役所にも問い合わせたが、この国の中にフィルディアという姓の者はいないそうだ。」

「ふむ。では、この子を戸籍の無い孤児として、私の養子にしようかと思うのだが、よろしいかな?」


思ったよりあっけなく、話も手続きも済んだ。

養子縁組、また住民登録の書類を記入している時、生年月日を書くところには困った。

ニアリスに尋ねてもわからないのだ。

ルフェリアが発育的に四歳だと言っていたので、生年は四年前、誕生日は森で見つけたあの日付にした。




セレフォグ学苑で、ニアリス……ニアはすくすくと育った。

優秀な教師陣に数多の知識を与えられ、聡明な少女へ変わっていった。

初めのうちは生徒に見えないところで過ごさせていたが、生徒というのはどこの学校でも目敏いものだろう。

全寮制の為もあるのか、いつの間にか見つかって、いつの間にか打ち解けていた。

学苑の入学年齢は最低でも七歳。年上の生徒ばかりだが、仲良く遊ぶようになっていた。


学苑に来た時からわかっていたことだが、アストラの能力があるので、七歳になる年にはこのセレフォグ学苑への入学が許された。

正式な生徒として、授業を受けられることを彼女は喜んだ。

次の入学時の入学者が決まった翌日、ニアを連れて一人のアストラ持ちの少年を訪ねた。


幼いながらに、差別対象である黒霧症に罹ってしまった少年、リセル・アリスノ。

本来ならば、忌避されるこの病の子供は学校に通うことはできず、通信教育となるが、私が校長となったからには、全てのアストラの子供たちに同等の教育を与えたい。

今回が初の例となるので、特例だが。


自身が、月に一度人を害する化け物に変わってしまうために人との関わりを恐れるリセルに、ニアは彼に対して、ヴェリディア族であることを伝えた。

初めてのことだった。学苑の生徒には、どれだけ打ち解けても自分の種族は話さなかったのに。

人間が鱗や爪が無いことに気づいた時、自分が何か恐ろしいものだと解釈してしまって数日間学苑の全員と距離を取った、この子が。


黒霧症――月の無い夜に、真っ黒な煙のように変貌し、人の記憶を喰らう化け物になる、感染症。アストラにのみ発症する、霧の中の”記憶汚染因子”が原因の病だ。月にたった一日、それも空が暗い間だけ。変貌中は記憶を求めて、人を見れば記憶を求めて理性を失い、誰彼構わず襲い掛かる。


リセルの親は、彼を見捨てなかった。

父親はアストラ、母親はそうではないが、彼らは病気になった息子を変わらず愛していた。


誰も傷つけたくないと、恐れるばかりのリセルに、ニアは、ヒトじゃないから移ることもないし、黒霧症ではヴェリディア族の記憶を喰らえないことを説明した。

アマリクスか。そんなことを教えたのは。


ニアはリセルの手を握り、

「私を、あなたのはじめてのお友達にしてくれる?」

と言った。

安堵の表情を見せたリセルは笑って頷いた。

波長が合うのか、私が親御さんと話す間、ずっと二人で遊び、おしゃべりに興じていた。

お暇をしようと言ったら、少し泣かれてしまって困ったものだった。



「ニアリス、私の可愛い、可愛い義娘よ。君の力はきっと強大で、世界の闇を払い、英雄にもなれるだろう。世界がそれを求めたとしても、私だけは君にそれを求めない。どうか、君の望む者達と、平和に、幸せに、ただ生きていて欲しいと希う。


そのためならば、ただ長く生きてきたこの老体、如何様にも捧げよう」

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