『馬鹿だなあ、俺(笑)』

志乃原七海

第1話三億円と撮影クルー



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### 「三億円事件、再来


「あ〜……働きたくないなぁ」


雲ひとつない青空が、逆に俺の心を曇らせる。銀行の預金残高はとっくに底をつき、月末の家賃が重くのしかかるというのに、体は鉛のように動かない。惰性で開いた求人サイトをそっと閉じ、ため息まじりに外へ出た。


「現金でも落ちてないかな。一万円くらいでいいからさ……」


そんな都合のいいことが起こるはずもない。分かっている。分かってはいるが、言わずにはいられない。アスファルトの染みを見つめながら、トボトボと裏路地を歩いていた、その時だった。


「ん?」


視線の先に、何かがある。黒いアタッシェケースがパカリと口を開け、その中から、まるでテレビでしか見たことのない光景が広がっていた。


「……は?」


レンガだ。いや、違う。これは、一万円札でできた、レンガだ。寸分の狂いもなく積まれた札束の山が、そこにはあった。俺は恐る恐る近づき、一枚つまみ上げる。福沢諭吉が「やあ」とでも言うように、こちらを見ている。本物だ。


脳が沸騰する。どうしよう。まず、警察に……いや、待て。これは神が俺に与えたもうたチャンスではないのか?「働きたくない」という俺の切なる願いが、天に届いたのではないか?


天使の俺が「届けよう」と囁く横で、悪魔の俺が「持ち帰ろう」と叫んでいる。勝負は一瞬だった。


「よし、持ち帰ろう」


俺はケースの蓋をそっと閉め、ずしりと重いそれを持ち上げた。推定、三億円。この重みは、俺の未来そのものだ。


何に使おうか。まず、仕事を辞める……いや、そもそもしていない。タワーマンションの最上階を買って、毎日出前の寿司を食べる。飽きたら世界一周旅行だ。フェラーリを買って、隣に美女を乗せて……いや、免許がなかった。まあいい、まずは教習所にでも通うか。金があれば何でもできる!


口元がだらしなく緩み、笑いがこみ上げてくる。俺の人生、今日この瞬間から、イージーモードだ!


そんな輝かしい未来に胸を躍らせていた、まさにその時だった。


「はい、カット!OKでーす!」


背後から、メガホンを通した野太い声が響いた。


「え?」


振り返ると、いつの間にか周りには大勢の人間がいた。カメラを担いだ男、照明を抱えた女、台本を片手にした監督らしき男。あっという間に、群衆が俺を取り囲んでいた。


「あ、すみません、それ撮影用の小道具なんで!」


ADらしき若者が、俺の手からひょいとアタッ(シェケースを取り上げる。


「え……小道具?」


「はい!『三億円事件、再来』っていうドラマの撮影でして。いやー、リアルにできてますよね、この偽札!」


若者は屈託なく笑うと、俺の夢だったアタッシェケースを軽々と運んでいってしまった。

呆然と立ち尽くす俺。群衆は俺のことなど気にも留めず、慌ただしく機材の撤収を始めている。


俺の三億円は、ただの紙切れだった。俺のタワマンも、寿司も、フェラーリも、泡のように消えていった。


静まり返った路地に一人、俺は天を仰いだ。

そして、乾いた笑いがこぼれた。


「……馬鹿だなあ、俺(笑)」


さて、明日から真面目にバイト探すか。

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