初めての街、初めてのクエスト
リリアナと共に森を抜けた俺たちは、数日かけて目的の街にたどり着いた。
「ここが……冒険者の街、アストリア……!」
リリアナが、感嘆の声を漏らす。
目の前に広がるのは、活気に満ち溢れた、まさしくファンタジー世界の街並みだった。石畳の道を様々な人種が行き交い、露店の威勢のいい声が響き渡っている。
俺たちの胸は、新たな冒険への期待で高鳴っていた。
目指すは、街で最も大きな建物――冒険者ギルドだ。
重厚な木の扉を開けると、そこは冒険者たちの熱気で満ちていた。
酒を酌み交わす者、武具の手入れをする者、仲間と談笑する者。その誰もが、俺たちのような新参者とは違う、歴戦の強者の空気をまとっている。
俺たちは少しだけ気圧されながらも、受付カウンターで登録を済ませた。
実績も何もない俺たちが、最低のFランクとして登録されたのは、言うまでもない。
その時だった。
背後から、下卑た笑い声が聞こえてきたのは。
「おいおい見ろよ、Fランクのお成りだぜ」
「なんだあの嬢ちゃん、貴族のお遊びか? あんなボロい装備で何ができるってんだ」
侮りと嘲笑が、ナイフのように突き刺さる。
リリアナは悔しさに顔を伏せ、ぎゅっと拳を握りしめていた。
だが、俺は違った。
この状況、最高のプロローグじゃないか。
俺は聞こえよがしに笑ってやった。
「見てなよ、リリアナ。最高の逆転劇の、始まりだ」
ギルドのホールに設置された、巨大な依頼掲示板(クエストボード)。
俺たちはその前に立つが、すぐに厳しい現実に直面することになった。
「……依頼が、ほとんどありませんね」
リリアナが、絶望に染まった顔で呟く。
彼女の言う通り、巨大なボードに貼り出された依頼書のほとんどには、既に『達成済み』の印が押されていた。Fランクの俺たちが受けられる依頼なんて、ほとんど残っていない。
唯一、誰にも見向きもされずに残っている依頼書が、一枚だけあった。
【依頼内容:下水道のスライム清掃】
【ランク:F】
【報酬:銀貨5枚】
【備考:汚れる。臭い。とにかく汚れる】
「うっ……」
依頼内容を見たリリアナが、思わず顔をしかめる。
その反応は、俺の視界に流れる神々のコメントも同じだった。
《名もなき神A》うわ、地味なクエだな
《名もなき神C》これは寝るわw 誰が見るんだよこんなの
《名もなき神E》まあFランクなんてこんなもんだろ
――誰が見るんだよ、こんなの。
そのコメントを見た瞬間、俺の頭の中で、バラバラだったパズルのピースが、カチリと音を立ててはまった。
そうだ。その通りだ。
誰も見向きもしない、地味で、汚くて、退屈な仕事。
だからこそ、だ。
これを最高のエンターテイメントに昇華させることができれば――絶対にバズる!
「決めた。俺たちの初仕事はこれだ」
俺がスライム清掃の依頼書をひっぺがすと、リリアナが「正気ですか!?」と悲鳴のような声を上げた。
「ですが、こんな仕事……!」
「リリアナ」
俺は彼女の肩を掴み、真剣な目で見つめる。
「これはただの清掃じゃない」
俺は、ニヤリと口角を吊り上げた。
「この世界で成り上がるための、俺と君の、記念すべき『初ダンジョン攻略配信』だ!」
アストリアの地下に広がる、石造りの下水道。
鼻を突き、目に染みるほどの強烈な悪臭が、俺たちの覚悟を鈍らせようと襲いかかってくる。
「うっ……これは……」
リリアナが思わず口元を覆う。無理もない。貴族の家系で育った彼女には、あまりにも過酷な環境だろう。
だが、俺は不敵に笑っていた。
薄暗く、じめじめとしたこの場所は、最高のステージだ。
「いいか、リリアナ。このダンジョンでは、俺は一切戦わない」
「えっ……?」
松明の光を頼りに進みながら、俺はきっぱりと宣言した。
「俺は司令塔。そして、君がメインアタッカーだ」
「わ、私が……ですか?」
戸惑うリリアナの視界の端で、《神々のインターフェイス》が淡い光を放ち、無数のコメントが流れ始める。
――きたきた!
――攻略配信はじまた!
その時だった。前方の汚水の中から、緑色の半透明な物体――スライムが、ぬるりと姿を現した。
「リリアナ、右! 壁からもう一体来るぞ!」
俺は戦闘経験ゼロだ。だが、神々の視点は、このダンジョンの全てを俯瞰している。
インターフェイスに流れる『右の壁にいるぞ』というコメントを、俺はそのまま叫んだ。
「えっ!?」
リリアナは一瞬戸惑いながらも、俺の言葉を信じて右手の剣を振るう。
ガヂュッ!という鈍い音と共に、壁に擬態していたスライムが真っ二つになった。
ほぼ同時に、正面のスライムも一刀両断する。
「すごい……! 本当にいた……!」
驚きに目を見開くリリアナに、俺は間髪入れずに次の指示を飛ばす。
「油断するな! 天井だ! 真上!」
「はいっ!」
今度は、リリアナに一切の迷いはなかった。
真上を見上げることなく、感覚を研ぎ澄ませて剣を突き上げる。
べちゃり、と。粘液質な飛沫を上げて、天井から奇襲を狙っていたスライムが床に落ちて絶命した。
もはや、俺たちの間に言葉は不要だった。
「――左を突き、右を薙げ!」
「――後ろ! 飛び退いて!」
俺の指示は、神々のコメントという最高のチート情報を元にした、完璧な未来予知だ。
リリアナは、その指示に応える天性の剣技を持っていた。
最初は戸惑いがちだった彼女の動きは、数分後には洗練された舞のように変化していた。
俺という「脳」を得て、彼女の剣は初めてその真価を発揮し始めたのだ。
これは、ただのスライム清掃じゃない。
俺とリリアナという、二人の「落ちこぼれ」が初めてお互いを信頼し、一つの力になるための、最高のセッションだった。
半刻後。
俺とリリアナは、スライムの粘液と汚物にまみれた姿のまま、再び冒険者ギルドの扉を開いた。
その瞬間、あれだけ騒がしかったホールが、水を打ったように静まり返る。
俺たちを侮蔑の目で見ていた冒険者たちが、今度は信じられないものを見るような目で、俺たちの姿を捉えていた。
俺はまっすぐに受付カウンターへ向かう。
「Fランクのユウキだ。依頼番号7番、下水道のスライム清掃、完了した」
俺の報告に、受付嬢は一瞬、何を言われたのかわからないという顔をした。
だが、すぐにプロの顔つきに戻り、一枚の羊皮紙を取り出す。
「……信じられません。報告によれば、通常は半日かかる作業です。ですが……確認したところ、確かに……完璧、です」
受付嬢の震える声が、静寂に包まれたギルドに響き渡る。
その言葉を合図にしたかのように、冒険者たちの間にどよめきが広がった。
「マジかよ……あのFランクが?」
「しかもたった半刻で……どんな手を使ったんだ?」
侮りと嘲笑の色は、もうどこにもない。
彼らの視線は、畏敬と、強い好奇の色に変わっていた。
隣を見ると、リリアナが俯いている。
だが、その顔は先ほどとは違う。唇をきゅっと結び、喜びを噛み締めているのがわかった。
「よくやったな、リリアナ」
俺が声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げた。
その顔に浮かんでいたのは、誇らしげな、それでいて、少しだけはにかんだような、最高の笑顔だった。
そして、俺の視界の端では、《神々のインターフェイス》が、これまでにないほどの熱狂を伝えていた。
――同接数が、爆上がりしている。
画面は、「神回!」「これは面白くなってきた!」「新人やるじゃん!」といった称賛のコメント弾幕で埋め尽くされていた。
俺は、静かに勝利を確信した。
ただのスライム清掃は、最高のエンターテイメントになったのだ。
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