対峙-前編
ユグリットは、ゆっくりと目を閉じ、息を整えた。
ラーレとニルファールの温もりに包まれながら、少しずつ傷ついた心が癒されていくのを感じていた。
けれど、それだけでは足りない。
(……私は、決着をつけなければならない。)
午後の陽が傾き始めた頃、ユグリットは決意を固めるように寝台から身を起こした。
勢いよく立ち上がり、深く息を吸い込む。
「ラーレ、私はエリオットと決着をつけてくる。」
そう言うなり、ユグリットは手早く服を身にまとった。
青の宮廷服に袖を通し、髪を後ろに束ねると、迷いのない足取りで扉へと向かう。
「待って、ユグリット! 一人で行くなんて——」
ラーレが止めようとするが、ユグリットは振り返らない。
「……一人で行かせてほしい。」
短く、それだけを告げると、ユグリットは部屋を出て行った。
ラーレはニルファールと目を合わせる。
彼の瞳には、深い不安が滲んでいた。
「……大丈夫なのか……?」
「……今のユグリットでは……。」
ニルファールは眉を寄せ、ラーレの肩にそっと手を添えた。
ユグリットはまだ完全に回復したわけではない。
「やはり、後を追うべきでしょう。」
ラーレは頷き、ユグリットの後を追うことを決めた。
中庭には、エリオットがいた。
長い黒髪を風に揺らし、優雅な佇まいのまま、ユグリットが来るのを待っていたかのように振り返る。
その端正な顔に浮かぶのは、まるでユグリットとの再会を心から楽しんでいるかのような微笑だった。
「……ユグリット、お加減はいかがですか?」
穏やかな声。
けれど、その奥底には、どこか狡猾な計算が透けて見える。
ユグリットは唇を引き結び、一歩、足を踏み出した。
蒼い瞳に揺るぎない決意を宿し、エリオットを真正面から見据える。
「エリオット……私はあなたに奪われ、傷つけられた。」
その言葉に、エリオットの微笑が僅かに揺らいだ。
「私はあなたのことを愛していません。私はあなたのものにならない。」
ユグリットの声は震えてはいなかった。
けれど、エリオットの表情が僅かに陰る。
「私を本当に愛しているのなら、私を手放してほしい。」
エリオットの眉が僅かに動く。
ユグリットは目を逸らさず、さらに続けた。
「エリオット……アラゴスの記憶だけでなく、あなたの心の孤独がそうさせたってことはわかっている。だから、私はあなたを憎まない。」
その瞬間、エリオットの瞳に、確かな動揺が走った。
けれど、それもほんの一瞬。
次の瞬間には、彼の口元に再び余裕の微笑が戻る。
まるでユグリットの言葉など「取るに足らないもの」だと言わんばかりに。
「なぜ、愛しているのに手放さなければならないのですか?」
静かに、しかし確信を持った声。
「貴方は私のもの。……あの夜に、貴方は確かに私のものになったのですよ。」
ユグリットの胸がざわめく。
「貴方が自ら私を兄上と呼び、淫らに求めた……そうでしょう?」
——息が止まった。
視界がじんわりと揺らぐ。
(……そんなはずは……。)
けれど、記憶の奥底に埋もれていた真実が、呼び起こされる。
——錯乱し、眠っていたルキウスの記憶が溢れたあの夜。
——エリオットに重なるアラゴスの幻影。
——求めてしまった自分自身。
(……違う……。)
認めたくない。
けれど、確かに。
(私の方からも……)
ユグリットは唇を噛み締める。
けれど、その動揺をエリオットは見逃さない。
「きっと心が揺れて、不安でいっぱいになったのでしょう?」
優しく、囁くように。
まるで、ユグリットの全てを見透かしているかのように。
「大丈夫ですよ。さぁ、泣かないで……。」
その手が、そっとユグリットの頬に触れた。
その瞬間——
ユグリットは、決別するはずだったのに、いつの間にか エリオットの肩に抱かれていた。
(……どうして……?)
自分は、エリオットと決別するためにここへ来たのに。
なのに、彼の言葉に誘導され、丸め込まれてしまう。
エリオットの腕の中にいる自分に、ユグリットは絶望しそうになった。
——だが、その時。
「もうやめてくれ、エリオット!!」
鋭い声が、ユグリットの意識を引き戻した。
振り向くと、ラーレと小鳥のニルファールがいた。
「ユグリットは本当に嫌がっているんだ……!」
ラーレの瞳は怒りに燃えていた。
ユグリットを取り戻すために、まっすぐにエリオットを睨みつける。
けれど、エリオットは余裕の笑みを崩さない。
「……さぁ、どうだか。」
彼は軽く肩をすくめると、ユグリットをそっと抱き寄せ、ゆっくりと囁いた。
「本当に嫌なら、こうはしていないでしょう?」
「……っ!」
ラーレの拳が震える。
エリオットの腕に囚われたユグリットの姿が、ラーレの怒りを煽る。
——だからこそ、彼は迷わなかった。
ラーレは手を伸ばし、強引にユグリットの腕を引いた。
「ユグリットはお前のものじゃない!!」
エリオットの腕から ユグリットを取り戻す。
力強く引き寄せると、ユグリットはぐったりと彼の胸に倒れ込んだ。
(……やはり完全には回復していなかったんだ。)
ラーレは、悔しさに奥歯を噛みしめた。
—— 一人で行かせてはいけなかった。
それを痛感しながら、ラーレはユグリットの身体をしっかりと抱きしめた。
「……お前には、もうユグリットに触れさせない。」
静かに、しかし強い意志を込めて、エリオットを睨みつけた。
「良いでしょう……。ラーレ王子、あなたの愛がどれほどのものか見ものですね……。」
エリオットは余裕を見せるように微笑み、優雅に身を翻した。
黒い長髪がふわりと揺れる。
まるですべてを掌握しているかのような態度で、静かに歩み去っていった。
その背中が王宮の中へと消えていくのを見届けると、ラーレはそっと腕の中のユグリットに目を落とした。
「ユグリット……?」
ユグリットは目を閉じ、力なくラーレに寄りかかっていた。
戦い抜いた後のように、彼の身体はぐったりとしていた。
微かに震える睫毛が彼の動揺を物語っている。
ラーレは、そっとその頬に手を添えた。
冷たい。
胸の奥が痛む。
怒りと悔しさが込み上げたが、今はそれを押し殺した。
ユグリットを抱きしめ、囁くように言う。
「大丈夫だ、ユグリット。僕達がついてる。」
強く、優しく、その身体を抱きしめた。
「もう一人で立ち向かわないでくれ……。」
ラーレの声は震えていた。
ユグリットを守れなかった悔しさが、彼の胸を締め付ける。
ラーレは、ユグリットの身体をしっかりと支えながら、
決して離さぬように——
彼を、抱きしめ続けた。
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