王宮-後編
暖かな朝日が、ゆっくりと寝台に差し込み、揺れるレースのカーテン越しに柔らかな光を届ける。
ニルファールは、静かに目を開いていた。黄金の髪が朝日に照らされ、まるで光そのものを宿したように煌めいている。
ユグリットとラーレは、彼の腕の中で穏やかな寝息を立てていた。しかし、瞼がゆっくりと震え、やがて二人は目を覚ます。
「……朝か」
ユグリットが静かに呟く。
ふと、目の前にいるニルファールの姿に息をのんだ。昨夜の情熱の余韻を残しながらも、彼は既に白の軽やかな衣に身を包んでいた。その姿は、まるで朝の光そのもの。
「……きれいだ」
ラーレが寝ぼけまなこでぽつりと呟く。
ニルファールは、二人の視線を受けて微笑んだ。
「おはよう、愛しい人達。……夕べは、素晴らしかった……」
その言葉に、ユグリットは少し頬を染めつつも、穏やかに微笑む。
「ええ……とても」
ラーレは大きく伸びをして、満足げに笑った。
「素敵だった」
ニルファールは、ふわりと優しくラーレの頬にキスを落とす。
そして、今度はユグリットの唇へと向かい――
「――殿下、お目覚めでしょうか?」
扉の向こうから、侍従の礼儀正しい声が響いた。
「っ!!?」
ユグリットとラーレは反射的に飛び起き、散らばった衣服を掻き集めようとする。しかし、混乱のあまりまともに着ることすらままならない。
「ま、まずい……!」
「どうしよう…!?」
しかし、ニルファールは余裕の笑みを浮かべ、指をひとつ振るだけだった。
瞬間、ユグリットとラーレの衣服は一瞬にして整えられ、まるで何事もなかったかのように身なりが整う。
「助かった……!」
ホッとする二人を見て、ニルファールは小さくクスクスと笑った。
次の瞬間、彼の身体が柔らかな光に包まれる。
気がつけば、そこには一羽の黄金の小鳥がいた。
扉が開かれる寸前、小鳥となったニルファールは、ユグリットの肩に軽やかに舞い降り、涼しげな鳴き声を響かせる。
まるで、何もなかったかのように――。
王宮の朝は、穏やかだった。
金色の陽光が差し込み、窓の装飾に反射しながら輝いている。
小鳥の姿となったニルファールは、宮廷の回廊を軽やかに舞っていた。
青い天井画をかすめ、柱の間を抜ける。
時折、床の上で働く侍女たちが「まあ、なんて美しい鳥……!」と感嘆の声を上げるのを楽しげに聞きながら、彼は王宮の中を飛び回っていた。
ニルファールは王宮のあちこちを飛び回りながら、初めて訪れる場所や、かつての記憶が残る場所を見つけては、小さな羽を震わせていた。
ユグリットとラーレは、それぞれの時間を過ごしていた。
ユグリットは書庫に籠り、歴史や法典の書物を読みながら勉学に励み、ラーレは王宮の訓練場で剣の鍛錬に勤しんでいる。
(一羽で過ごすニルファールは寂しくないだろうか……)
勉学の合間に、ユグリットはそんなことを考え、窓の外を見やった。
しかし、ニルファールはまるで楽しんでいるかのように、王宮のあちこちを飛びながら、時折、小さく囀っていた。
王宮の内装は、新たに改装された部分もあれば、かつてのまま残されている部分もある。
ニルファールにとって、懐かしさと新しさが入り混じった場所だった。
(500年……)
この王宮の姿が変わっても、自分は変わらずここにいる。
それが嬉しいようで、どこか寂しくも感じる。
小さな羽を震わせながら、ニルファールはゆっくりと飛び続けた。
そんな時、中庭から美しい詩の暗誦が聞こえてきた。
「偉大なるエルドよ。
万物は流れ、そして還る。
我々は大地と一体である。
光は空の彼方に降り注ぎ、
風は生命の息吹を揺り動かす。
あなたの手のひらには、
永遠の真実、私達はそれを近くに感じる。」
透き通った声が、優雅に中庭に響く。
黄金の小鳥は、そっと声の方へと舞い降りた。
そこには、詩を朗誦しているコーネリアの姿があった。
彼女の傍らには、侍女のアイーシャが控えている。
カトゥス王国に伝わる、自然神エルドを讃える詩だった。
コーネリアは、肩までの赤髪を軽く揺らしながら、静かに詩の続きを紡いでいた。
アイーシャは、彼女の言葉に耳を傾け、静かに寄り添っている。
「芽吹く葉は生命の証、
大河は時の流れを映す。
星は私たちが求める道を明らかにする、
天と地は一つに結ばれている。」
コーネリアの声が途切れると同時に、小さな囀りが響いた。
「チチッ!」
コーネリアは、その声に気づき、ふと視線を上げた。
「まあ……!」
黄金の小鳥が、彼女の肩にふわりと舞い降りる。
「ニルファール……!」
晩餐の席でラーレからその名を聞いた彼女は、驚きと喜びの入り混じった表情を浮かべながら、名を呼びそっと指先を差し出した。
小鳥のニルファールは、可愛らしく首を傾げ、彼女の指先をくちばしで軽くついばむ。
「なんて可愛らしいのかしら!」
コーネリアは嬉しそうに微笑んだ。
その様子を見て、アイーシャも少し驚いたように目を細める。
「……コーネリア様に、すっかり懐いているようですね。」
「ええ、とても嬉しいわ。」
コーネリアは、ニルファールをそっと撫でながら、優しく囁いた。
「あなたも詩が好きなのかしら? それとも、ユグリット達が忙しくしているから、少し退屈だったの?」
小鳥のニルファールは、コーネリアの言葉に答えるように、小さく囀った。
「ふふ……では、この詩を読んであげましょうか。」
コーネリアは微笑み、そっと詩集を開いた。
「時は巡り 全てを変えても
愛しき想いは 空に宿る」
黄金の小鳥は、そっと目を細める。
その詩はルキウスがよく好んで読んだものだった。
隣で聴いていた頃が懐かしい……
500年の時を超えても、変わらないものがある。
それが、こんなに愛おしいものだったなんて――
ニルファールは、小さな羽を震わせながら、穏やかにその詩を聞き続けた。
——密かに蠢く影があった。
王宮の奥深くにある宝物庫——それは、カトゥス王国に伝わる歴代の王が遺した宝を収める神聖な場所である。
幾重にも施された封印と、近衛騎士の厳重な警備により、滅多に誰も立ち入ることができない。
だが、その静寂を破るかのように異変が起こった。
微かに響く、不吉な金属音。
それは、封印のかかった一振りの剣が、徐々に目覚めようとしている兆しだった。
その剣の名は——アラゴスの剣。
かつてカトゥス王国の初代国王であり、ルキウスの兄であったアラゴスが振るった剣。
その刃には、歴史に刻まれた王の執念と、500年前に繰り広げられた戦いの記憶が焼き付いている。
だが、この剣が持つのはただの王の遺品としての価値ではなかった。
——それは、未だにアラゴスの執念を宿し続ける呪われた剣だった。
剣は脈動するかのように鈍く妖しく光った。
王宮の中庭では、詩の朗誦を終えたコーネリアの指に小鳥のニルファールが穏やかに羽を休めていた。
コーネリアの指先で、優雅に嘴を整えながら、心地よい風を感じている。
「本当にあなたは可愛らしいわ。小さな羽がこんなにも柔らかくて……」
コーネリアは、優しく小鳥を撫でながら微笑んでいた。
だが——
「……チチッ……」
小鳥のさえずりが、急に掠れた。
黄金の羽が小さく震え、ニルファールの瞳に、一瞬、強い動揺が走る。
「どうしたの、ニルファール?」
コーネリアが心配そうに覗き込むが、小鳥はそれに応えず、はっとしたように空へと飛び立った。
まるで、何かを察知したかのように——
驚いたコーネリアは必死に呼びかけたが、声は届かなかった。
ニルファールの心臓が、わずかに痛む。
(この気配は……何……? どこかで、感じたことが……)
彼の脳裏を、一瞬だけ、冷たい刃が煌めく光景がよぎった。
——それは、500年前の記憶。
——そして、ルキウスを奪ったあの剣の気配。
(まさか……)
ニルファールの黄金の羽が、大きく揺れる。
彼の中で、微かな不安が膨れ上がる。
「……!」
ニルファールは大きく羽ばたいた。
(間違いない……この気配……アラゴス……)
黄金の閃光が王宮の回廊を駆け抜けた。
ニルファールは、焦るように羽ばたきながら、ユグリットとラーレを探していた。
500年前の記憶が、胸の奥を鋭く抉るように疼く。
長い封印の間、静かに沈んでいたはずの“あの剣”が、今、目を覚まそうとしている——。
大理石の廊下を駆ける二人の足音が響く。
勉学と鍛錬を終えたユグリットとラーレは、不安げなコーネリアから話を聞き中庭から飛び立った黄金の小鳥を追っていた。
「ニルファール!?」
ラーレが呼びかけた瞬間、黄金の閃光が彼らの胸元へと飛び込んできた。
ユグリットはとっさに腕を伸ばし、小鳥を優しく受け止める。
「いかがされたのですか?そんなに慌てて……」
しかし、ニルファールの身体は微かに震えていた。
「……チチッ……」
小さな羽が、落ち着きなく揺れる。
(何かが起こっている……)
ユグリットは、小鳥の異変にただならぬものを感じ、静かに頷いた。
「自室に戻りましょう。落ち着いて話ができる場所で……」
広々とした自室は、月の光が差し込み、静寂に包まれていた。
ユグリットは、優しくニルファールを寝台に乗せた。
ラーレもその傍に腰を下ろし、心配そうに小鳥を見つめる。
「ニルファール、落ち着いたら、魔法を解いて話してもらえますか?」
ユグリットが静かに言うと、ニルファールは羽を震わせ、ゆっくりと目を閉じた。
——淡い金の光が部屋に満ちる。
黄金の羽が煌めきながら宙に溶け、その中から、美しい青年が姿を現した。
長い金髪が、柔らかく揺れ、スミレ色の瞳が不安げに揺れている。
彼の肌には、微かに冷や汗が滲んでいた。
「……アラゴスの気配が……目覚めようとしている……」
その言葉に、ユグリットとラーレの表情が強張った。
「アラゴスの……?」
ラーレが眉をひそめる。
「まさか、何かが蘇ろうとしているのですか?」
ユグリットが鋭く問いかけると、ニルファールは深く頷いた。
「……宝物庫に、アラゴスが遺した剣があるはずです。それが……500年の時を経て、目を覚まそうとしている……」
ユグリットの青い瞳が鋭く光る。
「それは、どういう意味ですか?」
ニルファールは、言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。
「……あの剣は、ただの武具ではありません。アラゴスの執念が宿り、彼の強すぎる想いが、剣自体を歪めてしまった……」
「執念……?」
ラーレがごくりと唾を飲む。
「アラゴスは、ただ王国を守るためだけに剣を振るったわけではない……。ルキウスへの彼の愛は、歪んでいた。支配するような愛、奪うような愛……そして……私を憎んだ想い……それが、あの剣に刻まれているのです。」
ユグリットとラーレは、静かに言葉を噛み締めた。
「つまり、剣自体が……まだアラゴスの怨念を宿しているということですね。」
ユグリットの声は低く、慎重だった。
「……ええ。もし剣の封印が解ければ、王宮に何が起こるか分かりません。」
ニルファールの指先が、わずかに震えた。
「それに……」
彼は唇をかすかに噛み、ためらいがちに言葉を続けた。
「……もし、剣が完全に目覚めたら……アラゴスの魂が、今の時代に影を落とすかもしれません……」
その言葉に、ユグリットの手が、強く拳を握りしめられた。
——アラゴスの魂が……この時代に蘇る……?
ラーレは身震いしながら、唇を噛んだ。
「それって……まさか……アラゴスが、生き返るってこと?」
ニルファールは、ゆっくりと首を振った。
「それは分かりません……けれど、アラゴスの強い想いが剣に残っているのなら、何かしらの形で影響を及ぼすはず……」
彼は、スミレ色の瞳をユグリットに向けた。
「ユグリット、ラーレ……あの剣が完全に目覚める前に、何か手を打たなければなりません。」
「……ええ。」
ユグリットは静かに頷き、考えを巡らせる。
「まずは宝物庫を調査しましょう。父上に報告すべきかもしれませんが……」
「いや、それはまだ早いかもしれない。」
ラーレがユグリットの言葉を遮った。
「僕達が直接確かめたほうがいい。もし剣が完全に目覚める前なら、まだ何か対処できるかもしれない……!」
ニルファールも頷いた。
「……今夜、宝物庫へ向かいましょう。」
ユグリットとラーレは、互いに頷き合い、静かに決意を固めた。
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