クラスメイトの双子から代わる代わる催眠術を掛けられています

吹井賢@『ソーシャルワーカー・二ノ瀬丞の

「誰のことが好きなのかな」 前編



「クールキャラになりたいの」


 僕は教科書から顔を上げる。

 正面に座るクラスメイト、野里ヒヨは、真っ直ぐにこちらを見ていた。


「へー、そう」


 僕は視線を教科書に戻す。


「ヒヨ、『うつくし』の意味は分かる?」

「綺麗、ってことでしょ?」

「古文の意味だよ」

「だから、綺麗、ってことだよね?」

「ダメだコイツ」


 なんだよ、その、「え、なんでそんなこと訊くの?」って顔は。

 せめて、「えーっと、どんな意味だっけ?」的リアクションをしてくれよ。

 この間のテストにも出たじゃん。


「そんなことよりも!」

「話を変えないでくれ」

「コーヘイ君。つまりね、あたし、クールキャラになりたいの!」

「へー、そう。『うつくし』の意味はね、」

「話変えないでよ!」

「変えた、というより、戻したんだよ」


 五月。

 その下旬。

 最後の授業が終わり、もう三十分近くが経過していた。

 それは、この勉強会が始まって、三十分経ったことを意味している。


 ……勉強に飽きてきても、仕方ないかな。


「でね、あたし、クールキャラになりたいの」

「……クールキャラになりたいんですか」

「うん」


 野里ヒヨはクラスの人気者だ。

 大きな瞳が特徴的な小柄なセミロングの女子で、彼女を見た大半の人間は、可愛いらしい、と評するだろう。

 ……僕もその例に漏れないので、油断をすると、教室で二人きりというこのシチュエーションにドキドキしてしまう。

 勉強を教えてるだけだ、って言うのに。


 そう、勉強だ。


 ヒヨは、見た目は可愛いし、性格は明るいし、友達も多い。

 運動だって得意だ。

 けれども、残念なことに勉強ができない。

 そのできなさと言えば、現在、高一の五月の段階で既に落ちこぼれつつあるくらいだ。


 僕は、そんな彼女から「勉強を教えてほしいの!」と頼まれた。

 つい先週のことだ。

 中間テストが酷い出来で、母親から、「次もあんな点数だったらお小遣いを減らす」と言われてしまったらしい。


 そこでヒヨが目を付けたのが僕だった。


『きみは成績がいいって聞いたの。あと、同じ中学だし!』


 そんなわけで、僕は彼女に勉強を教えることになった。

 まあ、今日の勉強の時間は終わったらしいけど……。


「どうしてクールキャラになりたいの?」

「だって、可愛いし、カッコいいでしょ! 質問されても、小さな声で、『……そう』って答えちゃってさ! ミステリアス! そういう子に萌えるって男子も多いし!」

「うーん、分からなくもないけど……」

「でしょ! だからあたしは、クールキャラになりたいの!」

「分からなくもないんだけど……」

「分かってくれる!?」

「……でも、ヒヨには無理じゃない?」


 クールキャラでしょ?

 ……無理だと思うけどなあ。


「無理じゃない! どうしてそんなこと言うの!?」

「ヒヨの性格と真逆だからだよ」


 明るくて社交的なクールキャラなんて、見たことないよ。


「つまり、あたしの夢を応援してくれないってこと?」

「まるで僕が悪いことをしてるみたいな言い回しだ」

「夢へ向かって頑張るあたしを邪魔しようってこと?」

「語弊がある」


 酷い偏向報道だ。


「とりあえず、今からクールキャラをやってみるから、話し掛けてきてよ」

「話し掛ければいいんだね? 分かった」


 ヒヨは表情を物憂げなものへと変え、視線を窓の外へと遣った。

 ……結構、様になってる。

 というよりも、絵になってる、かな。

 やっぱり、可愛いよなあ……。


 だからと言って、ずっと見蕩れてるわけにもいかない。

 話し掛けないと。


「ねえ、ヒヨ」

「…………」

「あー……。えっと、元気?」

「……普通」

「ふ、普通か。普通が一番だよね」

「……そう」

「…………」

「…………」

「……今日、天気、いいよね」

「……いい」


 待ってくれ。


「ごめん、ちょっと待って、ヒヨ」

「……何?」

「そのクールキャラは一旦オフにして。お願いだから」


 ヒヨはスッと表情を普段通りのものへと戻した。


「どうしたの? いい感じだったのに」

「いい感じじゃなかったよ」

「クールキャラ、できてたでしょ?」

「その代償として会話ができてなかったよ」


 クールキャラのロールプレイとしてはいい感じでも、クラスメイトの会話として考えると最悪の部類だったよ。


「コーヘイ君の話題の振り方も悪いよ! 何なの、『元気?』って! その次の『天気、いいよね』も変だし!」

「そのことについては僕が全面的に悪かった」


 話題が思い浮かばなかったんだよ。


「とにかく、もう一度、クールキャラになるから、話し掛けてきて!」

「分かったよ」


 即座に無表情になるヒヨ。

 凄い演技力だ。


 ……でも、何を話せばいいだろう?


「ヒヨ」

「……何?」

「毎日、どれくらい勉強してる?」

「……してない」

「全然?」

「全然」

「してないんだ」

「そう」

「……勉強しないと、成績は良くならないよ?」

「って、待ったーっ!!」


 突然、ヒヨはクールキャラを演じることをやめ、ばん、と机を叩く。


「なんで勉強の話をするの!」

「なんで、って言われても、今ここにいるのは勉強の為なわけだし、話題としてはちょうどいいかなって」

「思い返してみてよ! 『勉強してない?』『してない』『全然?』『全然』って、こんなのクールキャラじゃないよ!ただのバカじゃん! クールぶってるだけに、余計に面白くなっちゃってるよ!」

「クールなバカだね」

「バカはクールじゃない!!」


 それはそうかもしれない。


「コーヘイ君は分かってないよ! つまりね、勉強をできない相手に勉強の話題を振るのは、深刻な暴力なの! DV! ドラスティック・バイオレンスだよ!!」

「……もしかして、『ドメスティック・バイオレンス』と間違えてる?」


 DVは「家庭内暴力」のことだからこの場には該当しないし、DVは「ドメスティック・バイオレンス」の略だから「ドラスティック」は間違えてるし、でも「深刻な暴力」を「ドラスティック・バイオレンス」と英訳してるなら正しいし、ツッコミが難しい発言だ。


「もう……! 折角、サービスしてあげようと思ってたのに……!」

「へー、そう」


 ……ん?

 サービス?


「何かしてくれるの?」

「うん。……あ、今、えっちなこと考えたでしょ」


 ヒヨはにやりと笑った。


「考えてない、考えてない!」

「本当~?」

「本当、本当。で、サービスってどういうこと?」

「ふふん。実は、クールキャラになろうとしてたのは、この伏線でもあったの!」


 彼女はたっぷりと間を置いてから言った。


「勉強を教えてくれたお礼に、あたしがきみを癒してあげます!」

「それが、サービス?」

「うん。具体的には、きみに催眠術を掛けます!」

「疲れが取れるような催眠術を掛けてくれる、ってこと?」

「うん!」


 ……なんだろう、途轍もなく怪しい。

 たまたま催眠術のやり方を知って試してみたくなって、適当な理由をでっち上げた、とかじゃないよね……?

 指摘すると怒りそうだから言わないけど……。


「でも、それとクールキャラになんの関係があるの?」

「催眠術を掛けるコツは落ち着いた声で行うことらしいの。つまり、クールに」

「分かったような、分からないような……」


 そもそも僕は催眠術なんて信じていないんだけど。


「あー、信じてなさそうな顔してるー」

「してないよ。思ってるだけで」

「思ってはいるんじゃん! 見ててね、バッチリ掛けてみせるから!」

「あ、催眠術をすることは確定なんだ」


 僕の意向は関係ないんだ。

 別にいいけど。

 そんなもの、あるわけないし。


「じゃ、早速始めるね。まず、身体の力を抜いて、楽な姿勢になって」

「うん」

「そうしたら、目を閉じる」


 瞼を下ろす。

 視界が暗闇に覆われる。


「大きく息をしてみよっか。

 深呼吸。五秒掛けて息を吸って、五秒掛けて、息を吐く。

 ……いくよ?

 吸います。

 いーち、にー、さーん、しー、ごー……。

 吐きます。

 いーち、にー、さーん、しー、ごー……。

 繰り返すよ。

 吸うよ。

 いーち、にー、さーん、しー、ごー……。

 吐くよ。

 いーち、にー、さーん、しー、ごー……。

 ……どう? リラックスできた?

 あ、声は出さなくていいよ。

 目は閉じたままだよ」


 椅子の脚が床に擦れる音。

 ヒヨは立ち上がったらしい。


「……落ち着いた?

 それとも、ちょっと怖い?

 どんな音が聞こえる?

 頬や手に風が当たってるよね。どんな感じ?」


 声が近付いてくる。

 僕の真後ろの、頭の上から、彼女の声が聞こえる。


「指先に意識を集中して。

 ……そう、上手だね。

 次は腕……。

 肩……。

 今度はつま先。

 脚……。

 お腹……。

 胸……。

 分かる?

 全身を血が巡ってるんだよ。

 心臓の音、聞こえる?」


 耳元で、囁かれる。

 心臓がどくりと跳ねたのが分かった。


「……どう? 手の平が、ぽかぽかしてこない?

 全身があったかくなってきたよね?

 また深呼吸をしてみよっか。

 数えるよ?

 いーち、にー、さーん、しー、ごー……」


 ヒヨは僕をリラックスさせて、催眠を掛けようとしているみたいだ。

 だけど、こんな状況で力が抜けるはずがない。


 声が聞こえる。

 彼女の声が。

 目を閉じている分、普段よりもはっきりと。

 耳元で囁かれるから、余計に。


 ……指示は続く。

 頭の中を空っぽにして、階段を下りていく想像をして、その先の扉を開けて……。

 従うように努力はしてみるけど、催眠に掛かった感じはない。


「……もう、声は出せない。

 目も開かない。

 頭はぼーっとして、何も考えられない……」


 ……うーん……。

 でも、こんなに熱心にやってるわけだし……。

 ちょっとだけ、掛かったフリをしてみようか。


「……掛かったかな? 掛かったよね?

 ねえ、返事してみて?」


 ……返事?

 催眠術に掛かってるなら、返事をした方がいいのかな?

 それとも、催眠状態だから返事はできない、ってことなのかな。


 悩んでいる内にヒヨは都合良く解釈したらしく、


「……掛かったみたい」


 と、満足げに呟いた。

 楽しそうで何より。


 じゃあ、しばらく催眠術に掛かったフリをしよう。


「……きみの意識は今、心の奥深くに沈んでいます……。

 だから、嘘を吐くことはできません……。

 嘘を吐く必要自体がありません……。

 ……ねえ。

 好きな人はいますか?」


 え?


「きみは、誰のことが好きなのかな?」


 ……どうしよう、これ。

 答えないと変、か?


 でも、好きって、それは……。


「……答えられない?

 じゃあ、まだ好きな人はいない、ってことかな。

 そっか……」


 なんかまた、都合良く解釈してるし……。


「……今日はこれぐらいにしておこう、っと」


 ぱん、と手の平を叩いた音が鼓膜を揺らした。

 驚きのあまり、うっかり目を開いてしまう。

 しまった……!


 が、ヒヨは笑っていた。


「あ、ちゃんと解けた。

 おはよう」

「お、おはよう……」


 また都合良く考えてる……。

 まあ、いいか。


「どうだった? リラックスできた?」

「え、あ、うーん……。そうだね」

「だよね! 何も覚えてないよね!」


 そんなことは一言も言ってないし、実際は全部覚えてるんだけど……。

 やっぱり「癒してあげます」云々は嘘で、催眠術を掛けたかっただけだったんだろう。


「コーヘイ君、今日はありがとうね」

「うん」

「また今度の勉強会の後も催眠術を掛けてあげるからね!」

「うん」


 ……うん?

 なんだか、嫌な予感がしてきたんだけど……。


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