その高慢な鼻っ柱、へし折って差し上げますわ

@hiragi0331

第1話

リリィはオルタンシア男爵家の庶子である。

 元は使用人であった母の死を聞きつけた男爵が事情を話した上で「君さえ良ければ家に来るかい?」と言ってくれた。「貴族教育を受けてもらう事になるが」と付け加えられたが、リリィは「お願いします」と頭を下げた。誰も身よりがない状態で心細いという気持ちが勝ったからだ。

 男爵の正妻であるエミリアは『家のため』という名目で、リリィに自ら貴族教育を施した。それは厳しいものだったが、所々に愛を感じられる教育だったため、リリィは挫けることなく必死に食らいついていくことができた。

 するとその姿勢が良かったのか、『あなたさえ良ければ、お母様、と呼んでくれないかしら?』とほんの少しの気まずさと大きな暖かさが混じった言葉をもらうことができた。その時は嬉しさの余り泣いてしまい、『貴族がそのようなことで泣いてはいけませんよ』とお叱りを受けてしまったが。……でも、エミリアの目元にも光るものがあったから、おあいこだろう。

 そうして時が経ち、貴族に連なる者であれば誰もが通うことになるアークライト学院の入学式の日に。

「リリィ、まずは入学おめでとう。学問はもちろんだが、交友を結ぶこと。これらをしっかり学んできなさい」

「あなたは立派なオルタンシア男爵家の一員。家の名に恥じぬ行いを心がけるのよ」

 両親から暖かな言葉を貰い、胸が暖かくなりつつリリィは口を開いた。

「行ってまいります」

 ぐらつくことなくカーテシーをしてみせれば、両親は目を細めて微笑んでくれた。

 そうして期待と不安を胸にアークライト学院の門をくぐり……



 そう、リリィはただただ純粋に学院で勉学に励むつもりであった。

 交友も……気心知れた友達が出来れば良いとも思っていた。

 恋愛に憧れが無かった訳ではない。だけど貴族になったからには、そういうことは慎重に。


 そう、オルタンシア男爵家の令嬢として、アークライト学院の生徒の一員として、当たり前の日常を送る。


 リリィはただそれだけを望んでいた。


 なのに。



「おはよう、リリィ。今日も可愛いね、教室まで一緒に行こう」

 朝、校門の前で此処エルディリア国第一王子カイレル・ルミナードに爽やかな笑顔で挨拶をされ。


「おや、リリィさん。こちらの冒険譚シリーズ、お好きでしょう? あちらで一緒に読みましょう」

 図書館では宰相子息のナイロス・エヴァリオンに本を片手に微笑みかけられ。


「おう、リリィ! 放課後、鍛錬所に来いよ! 俺のカッコいいとこ見せてやるからさ!」

 廊下では騎士団長子息キアス・ライゲルに快活な笑みを向けられ。


「こんにちは、リリィさん。薔薇の花が見ごろですよ。一緒に中庭を散歩しませんか?」

 教室でこの国有数の公爵子息クリストファー・ダルバートに読めない笑みで誘われて。



 この状況は決して望んでいない!!

 リリィはそう絶叫したいのを必死に堪えていた。

 入学式の時、この面々から気さくに挨拶され、呑気に「高位貴族の方々は私のような者にも平等に接してくださるのですね。直々に挨拶に来てくれたのですよ」と夕食の席で両親に話したところ、目を見開かれ、そして難しい顔をされた。

「いや、それは妙だな。我が家と繋がりを得てもそんな利もないだろう」

 自分で言っておいて何だが、とオルタンシア男爵……父は口元に拳を当てて眉を寄せた。

 治める領地は極僅か。紡績業を主としているが、それも膨大な量を手掛けている訳でもない。

「お父様の言う通りよ。それにその方々は既に婚約者がいらっしゃるわ」

 念を押すように母に言われ、リリィは気を引き締めて「分かっております」と頷いた。彼らの婚約者の令嬢たちもお見掛けしたが、自分などは足元にも及ばないような素晴らしい方々ばかり。

「……まあ、初日だからな。リリィの言う通りに挨拶をしてくださっただけかもしれん」

「そうかもしれないわね。……ですが、油断は禁物です。節度ある態度を心がけなさい」

 両親の言葉に「はい」と力強く頷き、それから会話は話すことが出来た令嬢たちや先生、学校内の様子などに移っていった。

 そう、初日だけ。

 の筈だったのだが、半年ほど経った今でもこの面々に話しかけられては誘われる、という状況が続き、リリィは内心で頭を抱えていた。

 将来的にエルディリア国を担う王族及び高位貴族たちに囲まれる日々は、心安らげないどころの騒ぎではない。


「高貴な方に擦り寄る見境のない女」

「身の程知らずにも程がある」

「愛に飢えたかわいそうな庶子」


 挙句の果てにこんな陰口まで叩かれる始末。特にオルタンシア家を悪く言われたものには腸が煮えくり返る思いをした。

 そしてそれぞれの婚約者たちはといえば、リリィに対して何も言ってこない。

(普通こういう時って、『殿方にみだりに近づいてはいけませんよ』とか言うものじゃないの!?)

 そうすれば己の窮状を訴えて何とかしてもらうことも出来るのに、と歯噛みする。下位貴族が上位貴族に気軽に声などかけてはいけない。それは学園内でも一緒だ。

 姿をお見掛けしない訳ではない。しかし、こちらの姿を認めると悲し気な顔をして周りの令嬢たちと立ち去ってしまうのだ。

 何を言っても無駄だと思われているのか、憐れまれているのか。言葉を交わそうともしないクセに何を勝手に想像しているのか。

 それもまたリリィをイラつかせる一因で。

 断言するが、リリィは自分から一度も声をかけたことはない。向こうが勝手にリリィを見つけて、勝手に声をかけてくるのだ。

 学園内はもちろん、学園外に至るまで。 

 ……まるで来るのを知っていたかのように。

「……っ!」

 それに気が付いた瞬間、リリィは恐怖で心臓が凍り付くかと思った。指先が震え、がちがちと歯の根が合わない。

 どうして、なんで。

 自問自答しても答えは返ってこない。

 どこに行くのかを知っているということは、誰かが知らせているに違いない。

 一体誰が? 何のために?

 がたがたと震える身体と心を叱咤して、それでも必死に考える。

 平等に教育を施してくれる先生や、数少ないけれど庇ってくれる友人たちを、疑いたくないし失いたくない。

 考えて考えて考えて……リリィは一つの結論にたどり着いた。


 もしかして、趣味の悪い遊戯ゲーム標的ターゲットにされたのでは? と。


 何も知らない男爵令嬢を煽てて持ち上げて夢を見させ、誰が落とせるかを賭けているのでは? それに婚約者たちも加わっているのでは?

 そんな子どもじみた……いや子どもでもやらないようなことを、王族がやるだろうか……と考えもしたが、一度芽生えた疑惑を払拭することは出来ず。

 さらに標的にされた理不尽さに、ふつふつと怒りがこみあげて来た。

 もうこれはアレだ。

 本気にして答えたら最後、「あっはっはっは! 本気にしてやーんの。ぷっぷー、だっせー、みっともねー、はずかちー!!」(要約)などと返されて笑い者にされるに違いない。さらには「愛しているのは君だけだよ」「まあ、嬉しいですわ」などという茶番劇を見せつけられ、2人の愛を深めるスパイス()にされるに違いない。

(冗談じゃないわ。人の学院生活をぶち壊しておいて、自分たちはのうのうと愛を育もうなんて許されると思ってんの!?)


(私はアンタらのオモチャじゃないのよ!)


 かといって何も行動を起こさないままでいると、次の犠牲者が出るに違いない。それは何としても防がなければいけない。

 そう思ったリリィは、まず両親に頼ることにした。

 入学式からこれまで、第一王子を始めとした高位貴族に付きまとわれていること。行くところ行くところに必ず彼らの内の誰かがいて、監視されているようで怖くて仕方がないこと。婚約者の令嬢たちからは何故か何も言われないこと、それが逆に恐怖に拍車をかけること。そのせいで悪い噂を立てられていること、それはリリィだけではなくオルタンシア家のことも含まれていること。

 自分では怒りのままにぶちまけたつもりだったが、心は限界だったのだろう。リリィの瞳からは自然と涙が零れ、頬を伝い落ちていった。最後の方はしゃくり上げてしまって言葉になっていなかったが、まず母が立ち上がってぎゅっ、と優しく抱きしめてくれた。

「立場が遥かに上の方では強く出られないわね。……よく耐えたわ、リリィ」

「ああ、辛かっただろう。話してくれてありがとう」

 父はそっと肩を押さえてくれた。そのぬくもりが優しくて嬉しくて、リリィはやっと力を抜くことが出来た。

 ハンカチで涙を拭い、顔を上げて精一杯微笑んでみせる。

「お話を聞いてくださって、ありがとうございます」

 そして呼吸を落ち着けて、表情を引き締めて言葉を続ける。

「これは私の考えに過ぎませんが……」

 自分なりの『結論』を話すと、両親は難しい顔をしてしまった。無理もないが。

「それは……俄かには信じられないな」

「分かっております。ですが『可能性』の一つとしてあげられる以上、見過ごすことも出来ないかと」

「ふむ……」

 父は口元に拳を当てて、何事か思案しているようだ。母はそれを気づかわしげに見つめている。

 ここが勝負どころだ、とリリィはさらに口を開いた。

「不敬は百も承知です。調査していただくことは可能でしょうか?」

「あなた、リリィがこのように怯えては学院生活もままならないでしょう。私からもお願いします」

 母の言葉に胸が熱くなる。血の繋がりが無いのにも関わらず、『我が子』として自分のことを見てくれる、それを改めて知ることが出来たのが嬉しい。

「……分かった」

 父が覚悟を決めた顔で、重々しく頷いた。

「我が家の布製品を気に入ってくれた公爵様がいらしゃってな。王家にも影響力がある御方だから、進言してみよう」

「……ありがとうございます!」

 また涙が出そうになるのを、リリィは必死に堪えた。



 そして。


『いやあ、リリィ嬢はガードが固いな』

『男爵家の庶子だから簡単だと思いましたが、意外にもちますね』

『俺たちがこんなに構ってやってるってのに、断りやがって。むしろ光栄に思うべきだよな!』

『全くですよ。ひと時の夢を見せてあげるというのですから、甘受すれば良いものを』

『まあ、簡単に落とせたらつまらない。 高みに昇らせてこそ、落とした時の達成感は計り知れないものだろう?』

 カイレルのその言葉に、一同は『違いない』とげらげらと聞くに堪えない笑い声をあげた。



『リリィ様もお気の毒にね。カイレル様たちの遊戯ゲームに巻き込まれるなんて』

『だからこそ、よ。私たちへの愛も深まるというものでしょう?』

『ええ、このままでは退屈ですもの。燃え上がるには多少のスパイスも必要よ』

『それが長く愛し愛される秘訣、よねぇ?』

『ふふ、私たちのためにリリィ様には尊い犠牲になっていただきましょう。 それにひと時の夢を見せて貰えるのだから、光栄に思って欲しいものよねぇ?』

 カイレルの婚約者、リヴィア・ノクターンの言葉に令嬢たちは『その通りよ』とくすくすと嘲笑した。



「……もう一度ご覧になられますか?」

「いや、もういい! 分かった、分かったから!」

 カイレルの悲痛な叫びに、リリィは「分かりました」と淡々と答え、記録水晶に手を翳して映像を消してみせた。

「現実は幾ら訴えても変わらないということを、5回目にしてやっとお分かりいただけて何よりですわ」

 リリィの言葉に、面々は顔を青ざめさせながらも悔しそうな顔でこちらを睨みつけて来た。ちなみに彼ら彼女らの身体は椅子に座ったまま拘束されているため、危害を加えるどころか逃げることも出来ない状態だ。ちなみに拘束したのは、王家専属の騎士たち。さすがに隊長クラスではないが、実戦経験も無い貴族たちを拘束するのには充分すぎる程だ。

「このようなことをして、無事で済むと思っているのか!?」

「それはこちらの台詞ですわ、ルミナード殿下。それにこの映像をお見せする前に、私言いましたよね?」


「ただ今よりこの部屋で行われることに関しましては、『どのようなことでも』不敬罪に問われることはないと」


「それは即ち、この映像があなた方の御家に届いているから許可が得られた、ということに他なりません」

 ご理解いただけましたか? とワザとらしく首を傾げてみせれば、カイレルは唇を噛みしめた。悔しさを滲ませたその顔に、何時までそんな表情が出来るか見ものだ、とリリィは内心で思うだけに留めておく。

「私、この映像を観て本当に驚いてしまいましたの。王族並びに高位貴族の方々がこのようにくだらな……いえ、私のような貴族の末席に身を置かせていただいている者にとっては理解の及ばない、独創的な発想の『お遊び』をなさっているとは。高貴な方のお考えになることは、時としてついていけない事もありますのね」

 勉強になりますわ、とリリィは目を細めてみせる。

「……何が望みだ?」

「あら、何故それを聞きますの? 『加害者』であるあなた方が?」

 カイレルの問いに、リリィは再び首を傾げてみせてから言葉を続けた。

「この数ヵ月というもの、訳も分からず高位貴族の方々に付きまとわれ、私は大変な恐怖を味わいました」

「付きまとってなど!」

「私の行く先々に知っていたかのように現れ、逢瀬デートを強要するのは立派な付きまといですわ。それに先程の映像でそれが『計画的』に行われたものだと判明したではありませんか。まだお認めにならないのなら、もう一度」

「そ、それはもういい! だがお前も良い夢を」

「は?」

 一際低い声、しかも無表情で聞き返され、カイレルは目を見開いた。そんな彼の反応を他所に、リリィは改めて口を開く。

「私の言っていたこと、聞いていましたの? 私は大変な『恐怖』を味わった、と言っているのですよ。身分の違う、しかも好意も何も抱いていない異性からの付きまといなど、恐怖と迷惑以外の何ものでもありませんわ。夢は夢でも『悪夢』を強制的に見せられるなんて、私がどのような悪いことをしたのでしょうか?」

 高熱の時に見る悪夢の方が何倍もマシでしたわ、とリリィは目を伏せて溜息を吐いてみせた。そしてその視線が動き、今度は令嬢たちを捉える。

「それに……婚約者が他の女性に言い寄っておられるのを良しとするどころか共謀するなんて。高位貴族の方が受けている筈の淑女教育は本当に理解不能ですわ。愛を深める方法に第三者を巻き込んで利用するなど、考えも及びませんもの」

 ふっ、と鼻で笑ってやれば、令嬢たちの顔も僅かに歪んだ。それは屈辱からくるものだと分かったリリィは、攻撃の手を緩める必要はなさそうだ、と判断する。

「先ほど、私がこの部屋で行うことに関しては不敬罪に問われることはない、と説明しましたが覚えていらっしゃいますよね?」

 リリィの目が細められ、唇が弧を描いた。

「それに加え」


「あなた方の処遇も、私の一存で決めても良い、という許可も得ています」


 証拠はこちらに、と額縁に入った書類を掲げてみせる。王命の時にしか使えない紋章の透かしが入った紙に、この国の陛下であるセラフィムの署名と印章、内容は先程リリィが説明したことがハッキリと書かれていた。

 それを認めた一同の顔から、ざあっと血の気が引く。

「そ、そんな……父上、が……」

「ですから既に知っていると先程から何度も申し上げましたでしょう? 陛下と王妃様、そしてそれぞれの御家のご両親たちは大層嘆いていらっしゃいましたよ」


『何故このような馬鹿な真似を……』

『私たちの教育が間違っていたというの?』

『他人を平然と見下すような真似をするとは、何と無様なことを!』

『家の名に恥じぬ行いをするようにと散々言い聞かせていたのに、どうして……』


「他人を侮辱し、嘲笑しか出来ない舌など、切り落とした方がよろしいかしら?」

 騎士たちに目配せをしてみせると、彼らは頷いて剣の束に手をかけた。キンッ、と冷たい金属音が妙に響き渡る。

「ひっ……」

 誰かが発した小さな悲鳴を皮切りに、恐怖が破裂した。

「す、すまなかった! 君の気持ちを考えもせず、勝手なことを……!」

「申し訳ありませんでした! で、ですが私はこのようなことを本当はやりたくなかったんです!」

「そ、そうよ! そもそもカイレル様が提案したことで、私たちは……!」

「ごめんなさい! ルミナード殿下には逆らえなかったのよ!」

「貴様ら、私一人に責を負わせるつもりか!?」

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ一同に、リリィは呆れるしかなかった。

(命の危機に陥ってやっと謝罪したと思ったら、今度は責任の擦り付け合い……腐ってるわね)

 パンッ!!

 手を打ち鳴らしてやれば、一同はとりあえず騒ぐのをやめた。が、おどおどとこちらを伺う目が鬱陶しい。

「……私はあなた方の命などで償って欲しくはありません。そして廃嫡や追放、慰謝料も求めておりません」

 一同を真っすぐ見据え、リリィは言う。

「私が求めているのは、私とオルタンシア家にたてられた悪い噂の払拭です」

 どのような噂なのかはご存知ですよね? と付け加えてやれば、一同は気まずげに視線を逸らした。

「なので、この事件……というべきか分かりませんが……を事細かに分かりやすく書いたものと、首謀者としてあなた方の写し絵を学院の至るところに掲示させていただきます」

「ま、待て、それでは私の立場が」

「この状態で立場があるとお思いですか。あなた方が気軽にやったことで、私は散々精神的な被害を被ったのですよ? それにほとぼりが冷めたら、また次の標的を定めて同じことを繰り返す気なのでしょう? そうならないためにも、負の連鎖はここできっちりと断ち切らせていただきます」

 それともやはり舌を切られる方が? と再び脅しをかけてやれば、一同の顔がさらに青ざめた。

「わ、分かった。それで君の気が済むのなら……」

「気など済みませんよ」

 え? と目を見開くカイレルに、リリィはにっこりと笑ってみせる。


「されたことは忘れませんよ? ……一生」


 その囁きは酷く重く、ざわり、と空気を揺らした。

 リリィは足を踏み出した。

 こつ、こつ、こつ……

 革靴の音が、鼓膜をざわつかせる。ほんの少ししか離れていない筈なのに、それは妙にゆっくりと感じられて。

 こつん……

 音が止まった。

 息がかかる程近くに、リリィが立っている。

 カイレルは反射的に、息を止めた。喉がひりついて、言葉が紡げない。

 たかが男爵家の庶子、良い夢を見せてやったのに筋違いの恨みをぶつけてこの私に屈辱的な言葉を浴びせて来た無礼な娘、いずれこの報復は必ず……! などという思考を吹き飛ばすように、酷く覚めた目で見下ろされた。

 

 そのような考えを見通せないと思ったか、お前は本当に愚かだな、と。


 その目が、語っている。


「……!」

 かたかたと震え出したカイレルの様子を気にもとめず、リリィは腰を折ってその顔を覗き込んだ。翠の目が、ぎょろり、とこちらを見据える。

「随分高いお鼻ですこと」


「その高慢な鼻っ柱、へし折って差し上げますわ」


「な、殴るつもりか!?」

「そのようなこといたしませんわ。私の手が痛くなりますもの」

 叫ぶようなカイレルの問いに、リリィは穏やかに返しつつ騎士たちに合図を送った。彼らは一同の後ろに素早く位置し。

「なに……んごぉっ!」

 冷たい金属が鼻先に触れたのも束の間、穴にそれが引っ掛けられた。ぐっと力が加えられ、鼻が上へと強制的に引き上げられる。顔の筋肉が不自然に引っ張られ、目元が歪んだ。

「ふ、ふふふっ……! 良いお顔ですねっ……あっ、はははっ! 王族がする顔じゃないでしょ、これっ……、あはははっ!」

 カシャッ カシャッ

 リリィは一同の無様な顔を、容赦なく写映機カメラにおさめた。けらけらと無邪気に笑いながら。

「や、め、やめ、てぇ……んがぁっ!」

「みな、いでぇっ……ふごぉっ」

「動くと痛いだけですよ。ちゃんとこちらを見てくださいねー」

 滑稽に鼻を吊り上げられ、無様に口を開いた令嬢たちの顔も、写映機カメラにおさめていく。余りの屈辱と苦痛に涙が伝うのが見えたが、リリィはおかまいなしだ。

 そうしてたっぷりと瞬光シャッターを切り終わたリリィは、「もういいですよ」と騎士たちに言った。鼻フックが淡々と取り外される。

 荒い息遣いと令嬢たちのすすり泣きが響き渡る中、リリィは出来上がった写し絵をよく見えるように広げてみせた。

「ほら、良いお顔でしょう? お約束通り、こちらを使わせていただきますね」

「やめてぇー!!」

「お願いだから、それだけはやめてぇ!!」

「何でもするからぁ!!」

「お金でも宝石でも貴方の欲しいもの何でもあげるから!!」

「嫌です」

 令嬢たちの涙ながらの訴えをバッサリと切り捨てる。

「軽い気持ちで他人を踏みにじっておいて、軽い処遇で済ませるとでもお思いですか? 泣く程後悔なさるのなら、最初から愚かなことをやらなければ良かったのに」

 リリィは写し絵を小箱に丁寧にしまい、微笑んだ。

「ああ、私に報復をしようなどとは考えない方がよろしいかと。このお部屋でのことは、天井の四隅に備え付けた記録機であなた方の家にリアルタイムで届けられております。さらに」

 すう、とリリィの目が冷たく狭められた。

「私は庶子……逆に言えばそれだけに過ぎません。よってオルタンシア家はいつでも私を切り捨てられるのです。そうなれば私は、失うものがなくなるのですよ。……この意味、お分かりですよね?」

 ゾッと戦慄が走った。

 失うものが何もない人間程、恐ろしいものはない。それが自分の弱みを握っているものなら尚更だ。

「ご安心を。言葉の火もやがて灰となります。男爵令嬢の庶子である私ですら半年も耐えたのですから、皆さまならきっと大丈夫でしょう」


「では、ごきげんよう」


 優雅にカーテシーをして、ドアへと歩いていく。騎士たちには自分がドアから出て30分経ったら拘束を解いて欲しい、と頼んでおいたから、急ぐ必要はない。

 口々に引き止める声やら椅子が倒れる固い音が背中から響いたが、リリィは一切振り返ることなく、部屋を後にしていった。



 その後。

 映像を観ていた両親から。

「私たちはお前を切り捨てようだなどと思っていない。いざとなったら爵位を返上すれば良いのだから」

「そうよ、冗談でもそんなことを言わないでちょうだい。貴方は私たちの子よ」

 と抱きしめられながら言われ、緊張の糸が切れたリリィは声をあげて泣いてしまった。

 そして今回のことを事細かに分かりやすく書いた掲示と、鼻フック写し絵は大いに学院中を騒がせる結果となり。

「ねえ、あの方。ほら趣味の悪い遊戯ゲームを主導した……」

「あら、本当。私たちも標的ターゲットにされるのかしら? こわーい」

「美人もあんな顔になると台無しだな」

「あんな遊戯ゲームに便乗するような令嬢だろ? 案外あの顔が素顔なんじゃないのか?」

 カイレル達はそれぞれの両親に叱責、さらに下位貴族だけではなく上位貴族にまで遠巻きされるようになり、肩身の狭い学院生活を送るハメになった。中には耐えかねて転校や留学を願った者もいたが、それが許されることはなく、卒業までアークライト学院生であることを義務付けられた。

 そしてリリィは平和な学院生活を取り戻したかと思えばそうでもなく。


「王族に鼻フックをした令嬢」


 と大変不名誉な二つ名を得ることとなってしまった。

 が、それは覚悟していたことだから仕方ない、とリリィは半ば開き直ることにし、それでも付き合ってくれる友人たちを大事にしようと心がけることにした。

 後に何故かその噂が隣国カリシアまで届き、留学生としてやってきたセリオン・ダルファルに「おもしれー女」と目を付けられて猛烈にアプローチされるのは、また別のお話。


(終)

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