25.5

 光が弾けた次の瞬間には、二人は目的地に到達していた。リヒャルトは自分の立っている場所を素早く確認してから、抱えていた部下を乱暴に手放した。

 体が浮いて身動きが取れなかったヴァルターは、だが無様に転ぶなどということはなく、しっかりと両足で着地した。数歩よろけたが、リヒャルトの空間転移の後だと思えば、奇跡に近い。


「どうだった」

「……いつもこれくらいの精度でお願いしたいのですが」

「お前たちがさっさと転移装置を完成させてりゃこんな無駄なことはしないんだよ」


 リヒャルトは舌打ちをしながら、視界の端でヴァルターの反応を一応だけ確認した。相手が本当にさくやならもっと繊細に調節しなければならない。苦手だからと放っておいたことを悔いながら、まだふらつく部下を尻目にリヒャルトは目的地──神殿の前に立つ。


「なぜ神殿なのですか」

「虚が増えてるって話、今朝お前と話したろ」

「はい。ここ二年で劇的に虚の発生率が高まり、発現場所も拡大しています」

「それが気になる。虚に関しちゃ、神殿の専門家に聞くのが確実だ」

「しかし、そんな話ならばわざわざ私を呼ばずとも、隊長がこちらにいらして下されば済んだのではないですか」

「こっちに来て長々話なんざしてたら要らん連中にも捕まるだろうが」


 まあ、結局こっちに来る羽目になったが。

 リヒャルトにはひとつの仮説があった。もしかしたらアウルも同じ疑問を持っているかもしれないが、二人の意見は衝突し、互いに譲らず膠着状態へ入ってしまった。

 本来ならアウルに聞くのが一番早いのだが、仕方なくリヒャルトは次善の策を取る事にした。


「俺だって本当は来たくねえよ、こんな所」

「では何故? あの娘のためですか?」


 独り言のつもりだったぼやきが、ヴァルターに拾われた。

 リヒャルトは返事もせず、髪をかき上げて神殿の門を潜る。無言で後ろに付いてくる部下の存在を、背中越しに感じた。


「お前、今日はまだ本部に顔出してないだろ。俺はいいから行ってこいよ」

「いいえ。私が昨日、隊長に拉致されたのは多くの者が見ています。このまま貴方に随行致します」

「言い方ァ」


 “拉致”という物騒な言葉にリヒャルトは眉をひそめたが、ヴァルターの表情は微動だにしない。

 わざわざ命令してまで追い払うほどではない、と判断してリヒャルトは諦め混じりの溜息をひとつ落とし、そのまま神殿の庭をまっすぐ突っ切った。白い石の回廊が、二人の影を長く引き伸ばす。

 正門まで来ると、建物の脇から慌てたようにシスターが出てきた。


「お待ちください、神殿はまだ開放されておりま……リヒャルト・ウェーバー団長閣下!?」

「おはようございます、シスター。こんな朝早くに申し訳ありません。巫女殿にお取次ぎをお願いしたいのですが」


 リヒャルトの声は落ち着いていて、柔らかく、それでいて威厳がある。

 その整った顔立ち、真っ直ぐに見つめる灰銀の瞳、そして背筋の伸びた立ち姿──。シスターは顔を真っ赤に染めて固まってしまう。


「い、いえ。団長閣下がいらしたのなら……ですが巫女様は現在、朝のお祈りの時間でございます」

「お祈り中ですか。そうですか……」


 リヒャルトは軽く唇を噛み、少し眉を下げて穏やかに微笑む。その笑みに、対面した彼女の顔はみるみる赤く染まる。

 それを横で見ているヴァルターは、辛うじて溜息を飲み込む。

 この人のこのやり方を久々に見た──感心と同時に頭を抱えたくなる。こんなに容易くて大丈夫か、と思わず憂いてしまう。

 しかし祈りの最中となると一時間以上待たなければならないが、とリヒャルトを伺う。


「承知しました。しかしどうしてもお時間をいただきたいのです。ほんの少し、巫女殿にお話を伺うだけで結構です」

「そ、それは、ですが……」

「ご無理を申し上げているのは承知しています。お叱りを受ける様ならば、私に脅されたと申し上げて構いません」


 リヒャルトの声は低く柔らかく、聴く者を自然に納得させる説得力があった。

 真正面からそれを浴びてしまった彼女はもはや虜となっている。


「そのような心配はなさらないでください! どうぞお入りください」

「ありがとうございます。巫女殿が早々にお祈りに戻れるよう努めます」


 こうして案内され、二人は無事に応接室へ通された。「ここでお待ちください」と残されて、それぞれに息を吐くり


「相変わらず見事なやり口で」

「だから言い方」


 それきり会話は無く、リヒャルトは勧められた椅子にも座らず窓枠に寄り掛かって外を眺めていた。

 これから、一番会いたくない人間と会う事になるが、確認しなければならない。

 目を瞑ると、数日前のアウルとの会話が鮮明に蘇った。



『リヒャルト、さくやの様態が良くない』


 隣町の魔獣討伐からの帰り、真夜中の帰宅にアウルは家の前で待ち構えていた。


『何が、悪い……?』

『強いて言うならすべて』


 すべて、という言葉に打ちのめされる。遠くに光る魔道灯に薄らと照らされながら、リヒャルトは頭を抱えた。苛立ちを隠そうともせず、前髪を掻きむしり『クソっ』と毒付く。


『どうすりゃ良いんだよ……! アウル、何とかならないのか!?』

『対処療法としてもうひとつ薬を作った。明日から飲ませる』

『呪いを消し去る方法だよ!!』


 自分よりも頭一つ分以上背の低いアウルの胸ぐらを掴みながら吼えるが、欲していた言葉は出てこない。


『前から言っているが、記憶を取り戻させろ。なぜ今のような状況になったのか、呪いが体を蝕むことになった原因が分かれば対処が可能かもしれない』


 リヒャルトは視線を地面に落とす。言葉は出ない。


『ショック療法の一つだ。試す価値はある』

『他に手はないのか』

『いい加減にしろよ、何をそんなに怖がっている』


 アウルの言葉には怒りと苛立ちが混ざっていた。両手を握りそれを隠そうとしているが、声に滲み出ている。


『怖がってる……? 俺は、』


 言葉が止まる。言い訳すら口から出ない。自分でも分かっている、怖いのだ——さくやの記憶が戻ることが、失うことが、全てを壊すかもしれないことが。


 言葉を飲み込む。胸が締め付けられる。焦る気持ちと、もどかしさと、自己嫌悪が絡み合い、リヒャルトはただ立ち尽くした。

 アウルはリヒャルトの手を払って、今度は自分がその胸ぐらを掴み上げる。


『最優先すべきは何か、考えろ』

『……わかってる』

『神殿に見つかれば確かにあれの立場は難しくなる。だが、死んでしまうよりはマシだ』


 アウルは乱暴にリヒャルトを突き放すと、背中を向けた。


『薬は明日、渡しておく』


 もう用はない、とばかりに振り向きもせずにアウルは消えた。

 リヒャルトは、玄関の前でただ立ち尽くしていた。何がいちばん大切か、なんて分かってる。分かりきっているのに。

 怖くて、さくやの手を離せない。


『……クソ』


 欠けた月が、肩を落とす男を照らしていた。








「隊長?」

「ん」

「大丈夫ですか」


 何が、とは聞かなかった。窓に反射して映る自分の顔が見えるから。

 部屋の外では、パタパタと忙しい足音が行き来するばかりで、一向に待ち人は来ない。


「聞いてもよろしいでしょうか」

「なんだ」


 リヒャルトに付き従って三歩後ろに控えるヴァルターは、落ち着いた声音で問い掛けた。


「何故、あの娘に何も話さないのですか」

「……別に。過去なんて関係ないだろ」

「そうでしょうか。お互いを知るに必要なことかと思いますが」

「今があれば充分だ」

「あの娘はそうは思っていないようです。貴方を知りたがっている」

「今日はやけに食いつくな」


 リヒャルトは笑ったが、ヴァルターは笑わない。昨日さくやと話をして随分と打ち解けたようだ。早速絆されたのか、或いはリヒャルトの事を不審に思っているのか。後者ではないか、とリヒャルトは思った。

 窓に映し出された自分と目が合う。まるで己と対峙しているかのような錯覚に陥いって、目を閉じた。


「ただ、穏やかに暮らしたい。心から大切だと思える娘と、同じことを繰り返す日々で良い」

「それには過去が邪魔だ、ということですか」

「何のしがらみもない、ただのリヒャルト・ウェーバーになりたい。ひとりの人間になりたい、それがそんなにいけないことか」


 繰り返す日々で、些細な幸せを分かち合い、平凡な毎日に尊さを見出すような、そういう日常を望んでいた。

 そうなるように、努力した。けれど──


「リヒャルト・ウェーバーに限っていえば、それ望むことは罪です」

「容赦がないな、お前は」

「貴方は、背負ってしまったものが大きすぎる。多すぎるんです。今更、投げ出せない」


 町を火の海にした竜の首を払い落とした日か。それとも、特級魔道具として災害指定されたあの日か。或いは──。

 思い起こせばキリがない程、自分は間違えた。ただ、人を救いたかっただけだった。こんな事になるなら、凡庸な兵士として適当に過ごしていれば良かったとさえ思う。


「私は、貴方と同じ場所には立てない。同じ視点で物を見れません」

「そうだな」

「それでも、後ろで支えることは出来ます。だから──」


 誰か来た。扉がノックされて、女の声で「入ります」と声が掛かる。途中になってしまった話を宙ぶらりんにして、ヴァルターは「どうぞ」と答えた。

 入ってきたのは、リヒャルト達の待ち人。この国の巫女その人だった。


「君が私を尋ねてくるなんて珍しいね」

「ご挨拶だな、トーカ」

「朝の祈りを邪魔してしまい、申し訳ありません」

「気にしなくていい。私は目を開けて寝てる」


 巫女──トーカと呼ばれた女性に椅子を勧められて二人は素直に従う。コの字型の椅子に、トーカを中央に、リヒャルトはその横、ヴァルターはリヒャルトの隣に腰掛けた。


「それで、話ってなに。私の尋ね人が見つかった?」

「最近増えてる虚の話だ。正確に、いつからだ」

「なんだ、団長の職を辞したと聞いていたけど復職するの?」


 胸の辺りで揺れる黒い髪を後ろに払って、肘掛に寄りかかるトーカは、リヒャルトとは違った威厳がある。

 細い指に填めた白いリングが、窓からの光を浴びて光った。巫女の証であるそれは、神との間に交わされた婚礼の指輪とも言われている。

 真っ白な長衣と赤いピンヒールは変わらないが、今日はベールを被っていないので、気の強そうな釣り気味の瞳が直に見える。


「増加傾向は二年前からある。正確には私がこっちに来てから」

「神からの啓示は。どこに虚が空いたのか的確に指示が出せるんだろ」

「啓示はあるけど正確じゃない。文献で過去の巫女とバカ鴉のやり取りの記録を見たけど、精度がまるで違う」


 文献で見ると正確な場所や、いつどれくらいの規模で発生しているか、的確な浄化の呪文の選出など事細かに啓示があったらしいが、トーカにはそれがないという。


「今や私の巫女としての素質を疑う者までいる始末だよ。……お前たちが呼んだんじゃないか」


 トーカはそう独りごちて、忌々しそうに舌打ちをした。


「巫女は神の話し相手というが、啓示以外で普段から会話はあるのか?」

「会話になんてなりはしないよ。いつも一方的で、私の声なんて聞いてない。それもだんだん少なくなってきているけれど」

「……どんな話をする」

「話なんてしないって。私の声が聞こえてないんだから。ただ、『ごめんね』『好きだよ』『嫌いにならないで』こればっかりだ」


 うんざりしたように顔の横で手を振るトーカを他所に、リヒャルトとヴァルターは驚いていた。

 まさかそんなことを神が宣っていたとは。まるで、片思いの男がしつこく付き纏っているようだ。言葉に出そうになって何とかヴァルターは飲み込んだが、リヒャルトはズバリ言ってしまった。


「情けねえな」

「っ! 隊長、さすがに不敬です!」

「良いよ。私もそう思う」

「神殿の奴らは知ってんのか。自分たちが崇める神が非モテ野郎だって」

「隊長!」

「興味無いみたいだ。神サマのプライベートなんて想像するだけで無礼なんだと」


 サバサバとした様子で会話を交える二人の横で、ヴァルターは、誰もこの会話を聞いていないことを祈りながら一人汗をかく。


「で、結局何が知りたいのさ」

「単刀直入に言うが、神は機能していないんじゃないのか」


 リヒャルトの言葉にトーカは一度だけ、ゆっくりと瞬きをした。


「そうだ、と言わざるを得ない」

「原因は」

「思うところはある。けど、君たちに話す必要は無い」

「なら一旦それは置いておく。質問を変えるぞ。虚から発生する闇がどういうものか、知っているか」

「愚問だね。闇とは瘴気。大昔この世界に充満していた毒だ。我らの崇める鴉サマさえ、その毒に白い体が侵され黒く染ったという、神以前から存在していたの強大なパワー」


 パワー、と大仰な手振りでトーカは話すがそれは事実だった。近年は研究も進み、どうもこの闇は大陸全土の下敷きになっているようだ、との見解も出てきている。


「お前は、闇を浄化出来るか?」

「世界を創造したとかいう偉大な神が出来ないことを、私が出来るわけない。我々が日夜行っているのは浄化とは名ばかりの、ただ虚を無理やり閉じているだけの作業だ」

「分かってる。それでも、お前は特別だろう」

「特別、ね」


 リヒャルトの言葉に見え隠れする焦りを、トーカは見逃さなかった。意志の強そうな黒目を細めて、リヒャルトを射抜く。


「私以外にも、特別はいる。いるはずなんだ」

「トーカ、」

「探して欲しいって、ここに来てからずっと言ってるよね。成果はどうなってるの」


 言葉こそ穏やかだったが、その声の底にある焦りと苛立ちは隠しきれていなかった。


「探してるが見つからない」

「嘘を吐くな、私はこの国中に御触れを出させたんだぞ!? 必ず見つけると、それを条件に巫女なんてものになった!」


 リヒャルトのにべもない回答に、ついに抑えていたものが一気に噴き出す。椅子が軋むほど身を乗り出したトーカに、ヴァルターが慌てて手を伸ばした。


「落ち着いてください、トーカさん」


 だがその声も届かない。トーカは勢いよく立ち上がり、感情のままに言葉を畳みかけた。


「私と同じ、黒目と黒髪の少女だ、必ず居るはずなんだ、私と同じタイミングでこっちに来てる!」


 鎮めるヴァルターの言葉がまるで耳に入っていないように、責めるように捲し立てる。振り乱した髪が痛々しく舞って、彼女の怒りを表しているかのようだ。


「鴉がそう約束した、だからこっちに来たのに! 探すのに何が難しいことがあるんだ!」


 リヒャルトは座ったまま怒りを露わにする女性を見上げる。その灰銀の瞳は、何も写していない。


「黒目黒髪なんて、こっちの世界の人間にはいないじゃないか、目立つはずだろう!?」


 悔しそうに唇を噛んで、トーカは力尽きたように椅子にズルズルと座り直す。乱れた髪を直そうともせずに、額に手をやって項垂れる姿を見ながらリヒャルトは席を立った。


「用は済んだ。邪魔したな」

「待て、リヒャルト!」

「朝のお祈り頑張れよ」


 静止の声を聞かずにさっさと背を向けるリヒャルトに、戸惑いながらもヴァルターは付き従う。

 話がまるで見えない。自分の上司が何を確認しにここに来たのか、今の話でどう満足したのか。しかし、これ以上ここに居たら面倒なことになるという確信はヴァルターにもあった。


「リヒャルト、君はなにを隠しているんだ!」

「なにも」

「虚の増加時期、神の機能低下、それに闇の話。君、もしかしたら知っているんじゃないのか」


 何を、と思ったのはヴァルターだ。リヒャルトはドアノブに手を掛けて今にも部屋を出て行こうとしている。


「人間一人を異世界こっちに呼ぶのには神とはいえ相当な力を使う! それを、二人同時に呼んだらどうなると思う!?」

「…………」

「私は、君が隠しているものの検討が付いたよ」

「トーカ」

「私に、闇を浄化出来るかと聞いたね。君は、もしかしたら、」


 リヒャルトが急に反応した。目を見開いて瞬時に振り返る。自分の言葉に反応したのかと思ったトーカは、その形相に驚いて言葉を止める。

 しかしその視線は目の前のトーカよりも、もっと遠くへと向かっていた。ヴァルターも、何が起こったのか分からなかった。


「た、隊長……?」


 すると、突然リヒャルトの周りに正円状の光が浮かび上がり術式が彼を囲うように流れ出した。

 空間転移の魔術だ。


「ちょっと、リヒャルト! まだ話は終わって」


 視界を真っ白な光が満たし、それと同時にリヒャルトの姿は消えていた。

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異世界で呪いと一緒に超絶過保護な激重お父さんを贈与(ギフト)されました マクラノ @xavier19

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