25.どこから来たのか
「良いんだな」
重い声で確認を促されて一瞬だけ怯むが、しっかりと目を見て頷く。
「自分の目で見る。それから、リヒャルトさんにちゃんと聞く」
「では行くぞ」
歩き始めた先生に付いていく。小さな畑を横目に通り過ぎて、一分も歩かずに道は無くなってしまった。目の前には見るからに手入れのされていない茂みで、ここから先は獣道か、と覚悟した。
しかし、先生が足先でほんの少し草むらを払うと、まるで隠されていたかのように舗装された石畳の道が現れた。
「うちの近くにこんなの……全然知らなかった。畑の先なんて気にも止めてなかった」
「そうなるように術を掛けられていた。目に入っていても、気づかない。それが認識を阻害するという事だ」
「リヒャルトさん、どうして私にこんなこと……」
「どうして、は本人に聞け。オレは、お前が自分の頭で決められるように事実だけを話す。それを判断材料にしろ。あとは自分の目だ」
「……先生、どうして『今』なの?」
草むらを避けて一歩踏み出した背中に聞いてみた。リヒャルトさんが居ないタイミングなんて今までもあったのに。
「お前の保護者と医療方針が合わなくてな」
「急がなきゃいけない、ってこと?」
「のんびりはしていられない」
「そっか」
自分の体が楽観視できない状態、という意味と受け取った。今後どうするのか早急に決めなければいけないのに、いつまでも意見が対立するから先生は独断専行という手に出たのだろうか。
──案外、長くなかったな。
どこか他人事のようにそんなことを思いながら、後ろ姿を追いかけるように続くと、思ってもみなかった言葉が降ってきた。
「思い詰めるなよ」
「え?」
「最悪の状況にはまだ猶予がある。お前が思うよりな」
「……はい」
振り返らない背中に、ただ感謝の思いを込めて返事をする。
隠されていた道は一応舗装こそされていたが、長く放置されていたのだろう。石畳の隙間からは雑草が好き放題に生え、ところどころ持ち上がって歩きづらい。横から伸びた蔦が足に絡み、何度もつまずきそうになる。息を切らしながら、その緩い坂道を一歩ずつ登っていく。
「歩きながら、少し話すぞ」
前を行くアウル先生は、息も切らさずにそう言う。なぜ空間転移を使わないのかと思っていたが、話しながら進むという趣向にしたかったらしい。
「お前は、虚というものを知っているか」
「何処からか現れる黒い裂け目で、そこから闇っていうものが漏れ出してきて動植物に悪い影響を及ぼす。で、合ってる?」
「更に言うと、闇のせいで魔獣が凶暴化する。闇とは、瘴気だ」
「瘴気? 負のパワー?」
「相変わらず頭の悪い例えだが、それで良い」
その、虚と闇がどうかしたのだろうか。冷たい空気が肌を指す中、先生の話に耳を傾けながら、快晴の下をひたすら悪路を行く。
「闇とは神がこの地に降り立つよりも前から存在していた。世界は闇が覆っていたが、神がそれを祓いあそばした、という訳だ」
以前子供たちから聞かせてもらったおとぎ話は、これが原典なのだろうか。その祓ったはずの闇が未だぽこぽこと沸いて出るのはどういう訳か。
「昔から虚は存在していたが、ここ数年は特に多い。それらを浄化するために神殿や近衛師団は西へ東へ大忙しだそうだ」
「どうしていま、虚の話?」
「基礎知識の確認だ」
それからしばらくは静かな山道が続いた。出発してから三十分は経っただろうか。ようやく屋敷の屋根が遠くに小さくちらりと見えたが、すぐにまた木々に阻まれ見えなくなってしまう。おまけに、傾斜がきつくなってきた。
「あの屋敷は、元々はこの町を管理していた貴族が住んでいたものだ。今は手放されて無人となっている。この道は、あの屋敷へと繋がる唯一の道だ」
「手放したってことは、今は、誰もいないんだ。どうりで、道が、悪いわけだ」
「今は国から派遣された役人がこの町を管理している」
「町長さんなら、会ったこと、ある」
「昔はどこの国も土地も、その土地に根付く貴族がそのまま管理していたのだが古い風習だ。今はもう少ないし、この町も二十年ほど前にそうなった」
「二十年も、空き家なんだ。取り壊したり、しないの?」
「未練がましいとオレも思うがな」
歩く、というよりも殆ど軽い登山になっている。喋ることに集中していると、泥でぬかるんだ道に足を取られて滑った。転ぶかと思ったけれど、先生が手を差し伸べてくれたので、咄嗟にしがみついて何とか立て直す。背中に目でも付いているのだろうか。
「あの家、フォン・ハイルヴァルト家の当主は、全ての権利や義務、財産も地位も名誉も歴史も何もかもを放棄した。大抵は、美味いところだけは残しておくものだが、ここの貴族は違ったようだ」
「なんで、全部、捨てちゃったの?」
「さあな。さっきも言ったが、オレは事実だけを話す」
先生は手を離すと、さっきと同じペースで悪路の緩い傾斜を昇っていく。置いていかれないように、必死に足を動かすが、話しながらとなると、どうしても息が切れる。
先を見上げるけれど、まだ屋敷は見えてこない。
「何もかもを放棄した、と言ったが誤りだったな。どうしても捨てられないものがあった」
「なに?」
「あの神殿だ。あれを守ることは、あの家の者にとっては切り離せない責務だ」
「王都にあったのと、同じ?」
「よく見ているな。あの神殿は、王都の元になった云わばオリジナルだ」
先生に初めて褒められた気がする。顔が見えなかったのが惜しいな、なんて思いながら顎に滴り落ちる汗を拭う。上着を着てきたのが間違いだった。
「この場所は昔から魔術的要素が強く、太古はあの神殿で様々な儀式が行われていたようだ。そして、この土地に古くから住み、魔術の素養が強く出るハイルヴァルト家の者が神殿の管理人となり、代々あの場所を守ってきた」
「強い魔術が使えるから管理人になったのか、管理人になったから強い魔術が使えるようになったのか、どっちかな」
「ふっ。面白いな」
先生が笑うなんて、珍しいことが続く。傾斜が緩くなって息が整い始めてきた故の、思考の横道だったのだけれど。
やがて坂道は終わり、森を突っきる獣道から、平坦な道に出た。丘を登り切ったのだ。
そこには思いのほか広い平場があった。かつては馬車でも待たせていたのだろう、丸く踏み固められた跡が残っている。
けれど今は雑草が伸び放題で、石畳の名残も半ば埋もれていた。
平場の周囲は背の高い木々に囲まれ、風すら通さず、屋敷の全貌もまだ見えない。葉の隙間から、古びた屋根の端だけが灰色に覗いているだけだ。
「こっちだ」
奥に、わずかに踏み跡の残る細い道が続いている。よく目を凝らさなければ分からない。
「先生、来たことあるの?」
「探検くらいする。こう見えて好奇心旺盛なんでな」
荒れた細い道を石や枯葉を避けて縫うように進むと、ほどなくして蔦に覆われた鉄の門が姿を現した。両開きに見えるが、片側は錆びついてほとんど動きそうにない。
「行くぞ」
「か、勝手に入っていいの?」
「空き家だ。呼んだって誰も来ない」
「そうじゃなくて……」
先生は片手で悠々と門を押し開けると、さっさと入って行ってしまう。こんな所に一人置いていかれる方が余程恐ろしい。急いで後に続いて、背中にピタリとくっつく。振り払われないので、そのままマントの裾を掴んで進む。
「用があるのは屋敷ではなく神殿だ」
「何があるの?」
「さあな」
「今も使われてるの?」
「いいや。昔はここを使っていたが、王城と離れていて不便だということで、数百年前に大規模な魔術工事が行われた。この土地の強い地脈から発せられる力を、今の神殿まで誘導する事により、すべての祭事を王都で行うことが可能になった」
「じゃあ、いまこの神殿は抜け殻、ってこと?」
「どうかな」
屋敷の門を抜け小径をさらに進むと、庭の奥で道はふた手に分かれていた。一方は屋敷の正面玄関へ、もう一方は丘のさらに上へと伸びる細い石畳。苔に覆われ、歩くたびに石の間から湿った土の匂いが立ち上る。
迷わず神殿への道を選びながら、先生の話は続く。
「この神殿はその昔、大変重要な役割を担っていた」
「需要な役割?」
「神の伴侶を降ろす儀式が行われていた」
「神の伴侶を、降ろす」
どうしてか、足が止まった。神殿まであともう少しの距離で急に背筋に悪寒が走る。
「昔はその儀式に何十人もの神官が、数ヶ月もの時間を掛けていたそうだ」
私の足が止まった事に気づいているはずなのに、先生は構わず先を行く。掴んだマントがピン、と張ってするりと指から離れていく。
「……っ、先生」
「戻るか?」
入口の大きな扉に手をやりながら先生が振り返る。選ぶのはお前だ、と言われた気がした。
いいや、気がした、ではない。いつだって先生はそう言ってきた。でも、
「心臓が、ドキドキする」
「発作が起きそうか」
「わかんない、行きたいのに、怖い」
その先の発言を待つように、主治医はじっと動かずただ私を見返す。
「…………」
いつもより早い鼓動を刻む心臓を抑えながら、ようやく一歩前に進む。先生が手を差し伸べてくれて、空いた手で必死にそれに縋り付く。手汗が酷くて恥ずかしい。
そんなことを考えている余裕があるんだな、と頭の隅で突っ込む自分もいる。突然の焦燥感と嫌な予感と体の不調で、もう頭は整理しきれず爆発寸前だ。
「降臨の間と呼ばれるそこは、今もとある条件を満たした者しかその扉を開けられない」
神殿の扉を開けて中へ入ると、冷えた空気が体を包んだ。道中の軽い登山でかいた汗が冷たくまとわりついてくる。さっきの悪寒はこれだったのか、と無理やり思い込んで引かれるままに足を動かす。
冷たく澄んだ空気は神聖さを感じさせるが、石と苔と古木が混ざった、廃墟の匂いもして物悲しさが勝る。
「その部屋は少々特殊でな」
先生はその部屋へ行こうとしている。足元の石床は冷たく、踏みしめるたびに微かに湿った感触が伝わる。静まり返った空間に、私たちの声が響く。
「何ヶ月にも及ぶ儀式を耐える為に、時間が止まっているんだ」
「時間が、止まった部屋……」
「儀式が始まれば中断は許されない。だが飲まず食わず休まずに何ヶ月もなど、到底無理だ。だから、その降臨の間は儀式が成されている間は時間が止まる」
「そんなこと可能なの?」
「太古の昔に編み出された術式で、その仕組みを知る者が今は誰もいない。現在は術式が組まれ、すべて魔術が自動で儀式を行うから神官が何ヶ月も閉じこもっている必要も無いが」
それは、儀式の間だけ起こる奇跡だと言われていた。神が我々に力を貸してくれている、と解釈されたという。
まだ昼前だと言うのに神殿の中は薄暗く、外から差し込む光で辛うじて視界が保たれる。それこそ、時間の感覚がなくなりそうだった。
いくつもある扉を素通りして、突き当たりの部屋の前で足が止まる。もう、部屋はここしかない。先生は私の手を離すと、その扉に手を掛ける。
「さて。先程も言ったがここは神の伴侶を降ろすための部屋だ」
「それ、よく意味が分からない」
「いつか子供が語って聞かせたおとぎ話を覚えているか。鴉の話だ」
「覚えてる。この国の、成り立ちだって、」
「鴉は、自分の言葉を届ける者を探した。つまり、巫女だ」
神の伴侶、巫女。
先生はさっきから私と話しながらずっと扉を押したり引いたりしている。大きな石の扉は重そうで、ピクリとも動かない。
「ここは巫女を呼ぶための場所だ。神の声を聞き、民へそれを届けるための女。伴侶と呼ばれるのは、神が巫女を選ぶからだとされている」
「呼ぶって、どこから」
さっきから心臓がどくんどくんと早鐘を打っている。汗をかいた服がまとわりついて気持ち悪い。冷たい空気が体を芯から冷ますのに、手が汗ばむ。胸の真ん中がチリチリと痺れ始める。これ以上は駄目って思うのに。
先生が、手を伸ばして私を招く。ふらり、と二、三歩足が動くと石造りの扉が眼前を圧迫して行き止まりだ。両手が勝手に扉に触れる。冷たい石が、私から更に体温を奪い取る。
「オレでは開けられない」
「先生、私の、質問に答えて」
深く息が吸えない。ぐにゃりと視線が歪んでたたらを踏むが、先生が背中を支えてくれる。
手が、扉から離れない。彼がそうしたように、腕に力を入れて扉を押してみる。
「この扉を開けられるのは、二つの条件の内どちらかを満たす者だけだ」
「条件……」
「一つ、この神殿の管理人であること。つまり、ハイルヴァルト家の者だ」
扉が、動く。
そんな家、私には縁もゆかりも無い。日本生まれ日本育ちの、生粋の一般人だもの。この世界の貴族なんて、私には何の関係もない。
それなのに押せば押すほどに石の扉はその見た目からは想像できない質量で易々と後ろへ下がっていく。開いた隙間から白い光が見えた。
「或いはもう一つ。神の伴侶である者」
神の伴侶。それは巫女のことだって先生が言っていた。扉がどんどん開いていき、もうすぐ降臨の間とやらの全貌が明らかになる。
「神の伴侶をどこから呼ぶのか、と聞いたな。お前は知っているのではないか」
「なにを」
「なぜ扉が開いたか。お前が、神に呼ばれた者だからだ」
「しら、ない……神って、だれ」
「オレも聞きたい。誰も知らない、巫女以外は」
「巫女……」
「巫女はすでにこの世界に降臨している。二年も前に」
扉が開ききった瞬間、白光が視界を満たした。
中は、ただの白い部屋──何もない。光源も見当たらないのに、その部屋は明るく輝いている。影を背後に落としたまま、私はその光景に立ち尽くした。
見たことが、ある気がした。
「お前は誰だ、さくや。どこから来た」
「なに、」
「巫女は、異世界からやってくる」
異世界。
先生は、降臨の間なんてまるで興味が無いみたい。せっかく扉が開いたのに私のことばかりだ。背中を支える手が、熱い。
「異世界」
そんなのないって、リヒャルトさんが言ってた。
あ、違う。無いとは言ってない。外でそういうの言うのやめなって言われたんだ、だから私てっきり──
「……くや、さ……や」
耳鳴りが酷くて、先生の声が遠い。パリパリと、皮膚がひび割れていくような嫌な感覚。
耳の奥からクラクションの音が鳴り響いた。
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