23.大切な話はいつも他人から聞かされる
「リヒャルトさん、ただいまー」
今日はバイトを少し早く終わらせて帰ってきた。食堂は夜になると居酒屋になるけれど、今日は貸切で地元の青年団が集まり、魔獣討伐の会議を開く予定だそうだ。最近、隣町で魔獣の出現が頻繁にあり、この町でも何か対策を取るべきだという声が上がっている。
リヒャルトさんも参加予定なのだけど、いつまで経っても来ないので私が帰りがてら呼びに行くことになった。
「リヒャルトさーん? みんな待ってるよ」
玄関を通り抜けながらそう呼びかけると、リビングから「おかえり、さくや」と聞こえてくる。いつもなら走って来て頬ずりまでして迎えるのに今日は出てこない。
どうしたことかと思いながら扉を開けると、困った顔で仁王立ちしているリヒャルトさんと、ソファに横たわって動かないヴァルターがいた。
思ってもいなかった来客に戸惑っていると、ため息をついてリヒャルトさんが説明してくれる。
「ちょっと話があったから王都から連れてきたんだが。酔っちまってこのザマだ、情けない」
「貴方の……転移は……荒いから嫌だと、あれほど」
「少し聞きたいことがあるだけだ、行き来に十日も掛けてられるか」
息も絶え絶えで倒れ込むヴァルターは、よく見ると顔が真っ青だ。ただでさえ白い顔なのに血の気が引いて益々人形じみている。
「そんなに辛いんだ、リヒャルトさんの空間転移」
「さくはいつもアウルに運んでもらってるもんな。たまには俺に運ばせろ」
「こんなの見たら、『うんいいよ』なんて言えないよ」
ソファでヴァルターが唸る。可哀想に。
「じゃなくて。ねえ、もうみんな待ってるよ。今日は魔獣討伐について会議があるって言ってたじゃん」
「ああ、そうだった。……めんどくせえな」
大仰に溜息を吐いて、部屋着のTシャツの上に手近にあった薄手のジャケットを羽織る。最近は肌寒くなってきているからそんな格好じゃ風邪をひく、と言っても大丈夫と言って聞きやしない。やはり筋肉が全てを解決するのか、その言葉通り彼が体調を崩したところを一度も見た事がない。
「ちょっと行ってくる。一、二時間で戻るから待ってろ。さく、こいつのことは気にしないでいいからな」
「自分で呼び出しておいてなんという言い草」
「ヴァルター、何かあったらさくを守れよ。でも指一本触れるな」
「ゔぅ……」
可哀想なヴァルターは返事なのか唸り声なのか判別のできない声を発して動かない。何かあったら守らなければならないのは私の方ではないだろうか。
傲岸不遜な団長閣下は、そんなことは意にも介さず「行ってくる」と残して早足で家を出て行ってしまった。
「…………」
「…………」
勝手なことを言って取り残されてしまった二人だが、思えばこの人とまともに話したことがない気がする。
しかし気まずい沈黙を感じているのは私だけで、ヴァルターはそれどころでは無い。両手で顔を覆って蓑虫のように丸くなっている。
「……明かり、消そっか?」
「頼む……」
やはり光を嫌って顔を覆って背けていたらしい。リビングの明かりを消してから、静かに隣のキッチンへ。蹲るヴァルターに、水を入れたコップを二つ用意した。
「こっちが冷たいのでこっちが常温ね。トイレはリビング出て左」
「ああ」とか「うう」とか唸って分かったのかそう出ないのかも判別不能だが取り敢えずそれだけ伝えて再びキッチンへ。部屋に戻ろうかとも思ったけれど、何かあった時に近くにいた方が良い。晩御飯もやめておこう、酔ってる人の横で食べ物の匂いは酷だ。
そうなると手持ち無沙汰だし、ただ座っているのも退屈だ。こんな時スマホがあれば、なんて詮無いことを考える。自分に苦笑しながら、一度部屋へ戻って本でも取ってこようと立ち上がった瞬間。
「おい」
「わっ」
幽鬼のようにぼんやりと目の前にヴァルターが立っていた。暗い部屋の中、青い顔で睨み付けられて心臓が止まるかと思った。
「な、何して」
「うろちょろするな……何かあったら守れない」
「…………」
なんという律儀さ。絶不調の最中、その原因たるリヒャルトさんに無茶ぶりを命じられ、それでもいじらしく遵守しようとしている。呆れた従順さだ。
「貴方こそ寝ててください、そんな顔してうろうろしないで」
「リビングに、居ろ」
「分かりました、分かりましたから」
何か、なんてあるわけもないのに必死の形相で訴えるヴァルターに負けて、共にリビングへと戻る。ふらつく足取りを支えて何とかソファに寝かせてやる。こんな状態で何かあったらどうするのか、私が聞きたい。
溜息をつきながら、彼の視界に入る場所に座ると、ちょうど窓から月が見えた。
静かな部屋で他人の気配を感じながら煌々と夜を照らす月を見ながら、元の世界への思いを馳せる。
最近は少しずつ記憶が戻ってきているけれど、楽しい記憶は少ない。
例えばこんな暗闇で思い出すのは、自分だけ留守番の家族旅行。叔父家族が三泊四日で旅行を楽しむ中、私は暗い家で一人息を潜めて待っていた。明かりをつけると近所に置いていったことがバレるから、旅行中は電気を付けるな、と言われていた。馬鹿みたいに守っていたな。
あの日、独りで見上げた空にも綺麗な満月があった。
「水、貰うぞ」
「どうぞ」
暗い思い出ばかりではないはずだ。この記憶を呼び水に、目を瞑って楽しい記憶も引きずり出そうと苦心する。
カタン、とガラステーブルにコップが乗る音。
ああ、そうだ。友達とファミレスで勉強していた時、肘でコップをひっくり返してノートが台無しになった。誰のせいかで争って、最後はじゃんけんで私が謝ったっけ。
その後、コンビニアイスを買って、笑いながら帰った道も月が照らしてた。
「ほら、大丈夫」
つい、声が出ていた。
大丈夫。ちゃんと楽しい記憶だってある。
最初はどうしたものかと思ったけれど、知らない人を看病するような、こんなヘンテコな静かな夜も良いかもしれない。
「なにを、にやついている……」
「そう見える?」
そんなつもりはなかったけれど、気づけば笑えていた自分に安心した。
振り返ってみて、笑えるような思い出があってよかった。
「暗くても見えてるんだ?」
「見くびるな、これでも王都近衛師団の副団長だぞ」
とてもそうは見えないザマですが。
という言葉は 引っ込める。三半規管は鍛えられない場所なんだからそこを突っつくのは酷というもの。
「体調、どう?」
「さっきよりはマシだ。……水、助かった」
「どういたしまして」
律儀だ。
用意した水はどちらも空になっていたので、おかわりを聞くと所望された。常温をピッチャーに入れて持って行くと、早速コップに注いで一気に飲み干す。
「ご飯は? 食べれそうなら作るけど」
「必要ない。どうせ帰りも隊長の空間転移だ」
「……かわいそ」
暗闇で伺い知れないが、帰りのことを考えて一層顔から血の気が引いているに違いない。
「先生に代わってもらうよう頼んでみる? 望み薄だけど」
尻を蹴られる覚悟で家の外で呼べば、ワンチャン可能性は無くはない。今の彼の状態を見れば先生だって少しくらい手を貸してくれるかもしれない、そう思っての提案だったのだけど、ヴァルターは目を向いて首を振った。
「アウルさんに運んでもらうなど……どれだけ不敬なことを言っているか分かっていないのか」
「? だめなの?」
「…………いい。余計なことに気を使うな」
そう言うと寝返りを打ってそっぽを向いてしまった。何やかんやで自然と会話は出来ているけれど、含みがあるのが気になる。
アウル先生に頼み事をするのは不敬。その言葉で何となく胸の中にあった思いが確信に近付いた。
「誰も、大切なことは教えてくれないんだよな……」
「なに?」
「なんでもない」
少し拗ねたような気持ちになって、そっぽを向く背中に八つ当たりのような言葉を投げた。振り向かない背中は、こちらを見ずとも律儀に返事だけは返してくる。先程より随分良いようだ。
「ウェーバーの峡谷って知ってる?」
「……誰に聞いた」
「アウル先生たち。リヒャルトさんは何も話してくれないから」
「そうか」
「聞いてみたんだけどね。すごいね、って。でも、大したことないって言って、それ以上は話してくれなかった」
たくさんの人を救った話を、リヒャルトさんは語りたがらなかった。笑っていたけれど、どこか寂しそうな目に、それ以上踏み込めずに追求しなかった。
大切な話をしてくれない、と私は拗ねているけれど、踏み込めない意気地無しは、私だ。
「楽しい話ではない」
「知ってるの?」
「その場に居た。昨日の事のように思い出せる」
背中を向けたまま、ヴァルターは訥々と語り出す。その声はそれほど大きくはなかったけれど、静かな夜には充分だった。
「ドラゴンが焼け野原にした無惨な町を今でも覚えている。天を突く熱を帯びた巨躯も、こちらを見下すおぞましい瞳も、耳が爛れるような叫びも、脳裏に焼き付いている。だがそれ以上に」
ヴァルターは言葉を切って小さく息を飲んだ。苦しいのだろうか。
様子を伺うと、暗闇で寝返りを打つ顔が月明かりに照らされて、白く映し出された。その顔には感情がなく、努めて無表情でいようとしているようにも見えた。
「リヒャルト隊長が忘れられない」
「リヒャルトさん?」
「あの人の放つ白い光、たちまち切断されて地に伏したドラゴン。奇跡を見ているようだった」
奇跡を語る彼は、それに似つかわしくない硬い声音だ。
「頭を切り落とされたドラゴンは、なおもその頭で隊長に襲いかかった。だが、それも束の間だった。瞬く間に炎に包まれ、骨さえ残らず灰となった」
隊長が詠唱もなく魔術を行使した、と。それがどれだけ凄いことなのか私には分からなかったけれど、奇跡、と称されるだけはあるのだろう。
「降り頻る灰の中、隊長は空を見上げて佇んでいた。無感情で、その目には何も映してはいなかった。その顔が、忘れられない」
一人で戦場に立ち、一人で奇跡を成した。
歓声の中、けれどそれは彼にとっては何ほどの事でもなく、呆気ない終わりだったのだろう。
まるで、すぐに壊れてしまった玩具に呆然とする子供のように、落胆の色を乗せた瞳。
何より印象に残った、とヴァルターは語った。
想像するしかない私の小さな脳裏で、ぽつんと所在なさげに立つ、今より若いリヒャルトさんが浮かんだ。灰の降り頻る中、あの灰色の目が輝くことはなかったのだろうか。
「なんで、話してくれたの」
「まだ続きがある」
ゆっくりとした動作で体を起こして水を一口含むと、ヴァルターは深く息を吐いた。ソファに寄り掛かると、天高く昇る月を見上げながら、またか細い声で語り出す。それに釣られて私まで声が小さくなって、二人しかいないのに、まるで内緒話でもしているかのようだ。
「その後、隊長がどうなったかわかるか」
「英雄になった?」
「そうだな。だがそれだけじゃなかった」
「何があったの」
「国際裁判に掛けられ、特級魔道具として災害指定されてしまった」
思ってもみなかった言葉に、息を飲む。
「魔道具……? 災害? 何それ、リヒャルトさんは人間だよ……!?」
「我々人類と同じとはとても思えない、と判断された。その力は国際的に危険視され、魔術の行使を禁止されて監視下に置かれることになった」
「監視下って……誰の」
「全世界の」
「……そんな」
「リヒャルト・デューターを要する我が国も勿論制限を受けている。如何なる国の紛争だろうと救済だろうと介入を禁じられている。我が国はどの国への干渉も出来ない。リヒャルト・デューターが、その国へ付いたと同じだからな」
「…………」
「あの人は、雁字搦めにされて身動きひとつ取れなくなってしまった」
あんまりな結末に、頭にきた。どうしてそんな理不尽なことがあるのか。人を救ったのに、これからもきっとその力で色んな人を救えるのに。
「誰もあの人の視点に立てない。同じ場所に並べない。英雄は、人を救って益々ひとりぼっちになってしまった」
俺がそばに居るからな、と。いつもそう言って笑ってくれるあの人の笑顔が浮かぶ。どんな気持ちで言ってくれてたんだろう。
ひとりぼっちで心細かった私を励ましてくれていた彼こそ、寂しかったのではないか。
「だから、お前と一緒に居たいんだろうな」
「私、なにができるんだろう」
「そばに居てやれ。お前が良いのなら」
ヴァルターはもう月を見てはいなかった。青い瞳は初めて会ったあの日とは違い、もう冷たさも怖さも無い。涼やかだけど、熱いものを秘めているように思えた。
── 彼が信頼に値する人物だと、少しずつ感じ始めている。
「ほんとにリヒャルトさんのことが大好きなんだね」
「尊敬している、と言え」
「誰かが、ヴァルターはリヒャルトさんの同担拒否の強火担って言ってた」
「意味がわからない。お前こそもう少し隊長を敬ったらどうなんだ」
「ええー。日々のあれを見て敬うとかちょっとむずかしい」
「では私が隊長の全世界騎士競技大会四連続優勝の話を聞かせてやろう」
「強すぎて出禁になった話? 聞きたい!」
夜が深けていく。眠気はすぐそこまで来ているけれど、今はまだ話を聞いていたい。せめて、リヒャルトさんが帰ってくるまでは。
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