20.伝説のドラゴンスレイヤー
「最近、リヒャルトが元気ない気がするんだけど、さくちゃんどう思う?」
怒涛のランチタイムを乗り切って、ひと息吐いていた時。なんの脈絡もない一言が飛んできた。
「えっと……そうですね……」
店の看板を営業中から準備中にひっくり返しながら、歯切れ悪くそう答えると、エルザさんもレオンさんも困ったように笑った。
「今朝もウチに寄ってったよ、あいつ。冴えない顔で弁当受け取ってった」
「私が作る、って言ってるのに。すみません」
「それは良いんだよ。ちゃんとお代貰ってるし」
ここ一週間、リヒャルトさんは隣町へ通っている。魔物が出没して畑を荒らすので、その討伐を頼まれたのだという。
地方へ配置されている師団の分隊へ協力要請もしているけれど、常に見回ってくれる訳では無いので、その隙間を地元の有志で埋めているらしい。そこへ、リヒャルトさんにも声が掛かった。
「朝早く出てって、夜は遅いんだろう? さくちゃん一人で大丈夫?」
「アイツが討伐に参加してる間は、家に泊まってても良いのよ」
「平気です、何かあったらアウル先生がいますから」
「だってアウルはリヒャルトの家、出禁なんだろ?」
「家に入っちゃえばリヒャルトさんの結界があるみたいなので」
だから大丈夫です、と言いながらそこまでしなくても、とも思っている。最近益々過保護に拍車が掛かっているけれど、リヒャルトさんが朝早く夜遅いので、話す時間が取れていない。
「ケンカでもしたの?」
「いえ、全然。そういうのではないです……」
ケンカをした訳ではないのだけれど、王都から帰ってきたあの日以降、少しぎこちない。お互いの主張が平行線で決着が付かないのは前からなのに、今回は少し違っている。
リヒャルトさんは何か深く考え込んでいて、いつも難しい顔をしていた。そこへ、魔物討伐の依頼で日中は家を空けるので、会話のタイミングが途切れたままになってしまっている。
私は私で、最近は夜遅くまで起きていられない。帰りを待っていようと思ってもいつの間にか眠ってしまう。リビングのソファで寝落ちして、気づいたら朝ベッドの中にいるというパターンを繰り返している。
仕事がない日は昼寝までしてしまうのに、夜も起きていられないし朝起きるのも辛い。
「疲れた顔してるね、さくちゃん。今日忙しかったから……大丈夫?」
「全然! 大丈夫です!」
どこか悪い訳では無いけれど、どことなく体が重い。
夫婦が心配して顔を覗き込んでくるのが気まづくて、話題を変えなければ、と必死に頭の中でネタを漁る。
「あ、えーとあの。……そう、リヒャルトさんが最近ずっと私のベッドで一緒に寝てるから! 体が凝るっていうか」
「は」
「え」
しまった、話題選びを間違えた。二人が怖い顔で固まってしまった。
王都観光から帰ってきて二週間、朝になるとリヒャルトさんが隣で寝ている事が常になった。私が寝てしまった後に、勝手に入ってきているようだ。
特に最近は急に寒くなったから、体温の高い筋肉質な体に、うっかりしがみついてしまっていることもある。悔しい。
「あいつ……なにやってんの……」
「さくちゃん、ごめんな……同じ大人として心から謝るよ」
沈鬱な面持ちで至ってまともな大人二人が頭を下げる。忘れかけていた、普通の感覚。
最近は良識の欠けている男二人と一緒にいることが多いので、不思議と感動してしまう。
「次に会ったらボコボコにしておくわ」
「よろしくお願いします」
笑っていると、ふわりと小さな風を感じた。
「おい、持ち帰りで飯だ。早くしろ」
「あっ、先生」
ごく自然に、最初からそこにいたかのようにするりと会話に入ってきたアウル先生。いつの間にかカウンターに陣取って分厚い書物を広げていた。やたらと古くて、紙がぼろぼろだ。先生は慎重な手つきでそれを捲る。
「食べてかないかい?」
「いい、忙しい」
とっくにランチタイムを終えた時間だと言うのに我関せずな先生に文句も言わず、レオンさんは今しがた片付けたばかりのフライパンをもう一度引っ張り出す。エルザさんが、「来るならもっと早く来なさいよ」と小言を零すが返事は無い。
「先生、なに読んでるの?」
「お前には読めない」
「そうですけど、気になって」
「それよりもこれを」
そう言ってこちらを見もせずに、先生が懐から小さな瓶を取り出して寄越した。蓋を開けると、白い錠剤がぎっしり入っている。甘酸っぱい、何だか懐かしい匂いがする。
「なに、これ」
「今までの薬に加えて今後はそれも服用しろ」
早く、と促されて小さな白い粒を口に入れると、すぐに舌の上でしゅわっと音を立てて溶けていった。甘酸っぱくて、少し粉のような舌ざわり。
「ラムネだ」
「? 薬だ」
「食べやすいです」
「どうでもいい。今後は食後に三回服用しろ」
ラムネ味の薬なんて、先生まで私の事を幼児だと思っているのだろうか、と思ったが舌を切り落としたくなるほど苦い薬を飲まされて、泣きながらクレームを入れたのは私だった。
──後で知ったことだけれど、薬の味付けにいちばん苦労していたらしい。どうでもいいといいつつ、ちゃんと服用する側のことを気遣ってくれていた。
「さくちゃん、やっぱり調子が良くないの?」
「いえ、そんなことは……」
「最近やけに寝ているだろう、少しずつ臓器のの機能が低下しているんだ。それを補うために体が睡眠を欲する。今回の薬は、低下した機能を補うものだ」
先生の情け容赦ない診断に、どきりとした。
呪いは確実に進行している。先生の薬はそれを遅延させてはいるけれど、止めているわけじゃない。改めて自分の現状を聞かされて、指先が冷たくなった。
食堂夫婦が、心配そうな顔で見ている。
大丈夫、大丈夫。震えを隠して小さく深呼吸してから、努めて笑顔を作った。
「つまり、あれですね。歳を取ると夜更かしできなくなるやつ」
「さくちゃん……」
「大丈夫ですよ、体のことなら最初から分かってた事ですから! それより、フライパンもう熱いんじゃないですか?」
ぎこちない動きで頷きながら、レオンさんが食材をフライパンに投入する。油の跳ねる音が静寂に響いてやけに耳にこびりつく。
「ホントに大丈夫ですよ? 最近ちょっと眠いなってだけだし。今のところ、どこも悪くないので」
空々しい私の笑い声と炒め物の音だけが響いてやるせない。エルザさんが早足に駆け寄って、抱きしめてくれる。悲しませていることが、心苦しい。
あの日の朝のことを思い出す。リヒャルトさんのことも、すごく悲しませた。
覚悟は出来ている。拾ってもらっただけで幸運なのに、引き取ってくれて、家族として過ごしてくれたこと。この町に馴染めるように心を砕いてくれたこと、全部全部、感謝している。
その気持ちに報いるために、命がある限り体が動く内に返せる何かを探してる。
だけどリヒャルトさんはそれからずっと悲しい顔をしている。
ごめんなさい、そんな顔をさせたい訳じゃないのに。
今もそう。優しい人たちが傷つかないように、せめて元気に笑っていたい。
「ね、ねエルザさん。私、旅行に行ってみたい! いつか時間ができたらリヒャルトさんと一緒に。お勧めの場所、ある?」
「旅行? 良いわね!」
ほんの少し鼻を啜って、エルザさんが「そうね」と悩み出す。頭をわしゃわしゃ撫でられるのが、気持ちいい。
「ウェーバーの峡谷なんてどうだ?」
「あ、なるほど。確かにあそこは一見の価値ありだわ」
レオンさんが調味料を振りながら応えてくれる。ウェーバーの峡谷とな。
「先生知ってる?」と水を向けると、わざとらしく大きな溜息を吐いて本を閉じた。読書の邪魔してすみません。
「ここより遥か南に位置するとある国には、世界三大名山と名高い、雄大な山がある。その麓には小さいな町があり、山の恩恵を受けながら住民は慎ましく暮らしていた」
「は、はあ」
突然なにか始まった。
「十二年前、その町が一夜の内に壊滅した。その山に眠り続けているとされていた伝説の竜が突如目を覚まし、町を火の海にした。真夜中だったこともあり、不幸にも多くの者が逃げ遅れた。
竜の咆哮は、百里離れた都でも聞こえたと伝えられる。翼を広げれば、山ひとつを覆い隠し、その影が町全体を見下ろした。
すぐさま各国へ応援要請が届き、この国も勿論師団の一部を派遣した。その中に当時、小隊を率いていたリヒャルトもいた。
かくして総勢二十を超える国からの精鋭が派遣され竜狩りが始まった。しかし幻とされていた竜に、誰も彼もが足踏みし対策を練ることもままならない。
そこへ、神の祝福厚きリヒャルト・ウェーバーが大剣一つを携えて、山をも覆う巨躯の竜の前へ歩み出た。たった一人で何が出来る、と誰もが思った。
しかし、リヒャルトがその大剣を竜に向かって振り下ろすと、竜の首は一閃のもとに断たれた。
のみならず、その斬撃は山を貫き、三大名山のひとつを真っ二つにした。
かくして悪竜は討たれ、残された巨大な裂け目をウェーバーの峡谷と名付け、今では観光客が押し寄せるホットスポットになったという」
「…………」
先生が話終えると、夫婦からの拍手が起こる。ひと仕事終えたとばかりに美味そうに水を飲み干して、先生はまた本を開いた。
完全に置いていかれた。
「え、待って、どこからどこまでかホントの話?」
「「「全部本当」」」
嘘だろ、養父…………。
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