18.ここが私のアナザースカイ
先生の手を取って、引き寄せられたと思ったら景色が変わっていた。
ここは突風吹き荒ぶ上空云百メートル。死ぬほど高所。むしろ死ぬ。
「ぎゃ~~~~!!!!」
「っ、うるさい!」
「先生先生、せんせい!! なんでこんな所に!!」
足場は一メートル弱ほど。神殿を囲う様にして建てられた石柱の、そのてっぺんにいま身を寄せ合って立っている。
いや、寄せ合う、と言うよりも私が先生にしがみついている。
風が吹く度にマントが派手な音を立てて大きくはためき、落ちるんじゃないかと気が気じゃない。
「先生!! 落ちる!! 落ちちゃうよ!?」
「うるさい、これ以上騒ぐなら突き落とすぞ」
「っ~~~~!!」
そうは言っても、しがみつく私を流石にしっかり捕まえていてくれる。ツンデレめ!
「落ち着いて呼吸しろ。そう狭い足場でもない」
そう言われて、何とか自分を宥めながら深呼吸を繰り返し、冷静さを手繰り寄せる。
確かに狭いわけではない。けれど問題は手摺も無く命綱も無いと言うところだ。しがみつくものが先生しかない状況、震えながら必死にそのマントを握って腰に抱きつく。
「見てみろ、これが王都だ」
極めて無感動に、まるでソファにくつろぎながら酒のつまみでも食べているかのような緊張感の無い声音につられて、次第に感情の波が収まってくる。
先生の視線を追って、そろりと首を巡らせるとそこに広がる景色に息を飲んだ。
この場所は切り立った丘の上に建っていた。
堅牢な城門から伸びる石畳の街道が王都へと続き、その両脇には整然と並ぶ建物。大小さまざまな屋根が整然と、或いは折り重なり、間に煙突や小塔が突き出している。
人の波が街道を行き交い、荷車のきしみや商人の掛け声が風に混じって届く。
まるで、綺麗に敷き詰められた模型都市をのぞき込んでいるような錯覚を覚えた。
「こんな高いところにあったんだ」
「わざわざ山を切り開いて丘を作り、城や神殿を建てたんだ」
「王都が一望できるんだね」
「民から見上げられて、さぞや良い気分だろうよ」
「凄い……ファンタジーだ」
「
しまった。つい圧倒されて思いのまま口にしてしまった。私にとっては幻想でも、この世界で生きている先生たちにとっては紛れもなく現実だ。そして、他人事ではなく今や私もその中にある。
無情なまでに幻想的で現実的なこの景色に、元の世界を思って少しだけ胸が苦しくなった。
友人も居た、楽しい思い出だってある。嫌な事ばかりではなかったから──。
分かってはいたけれど、まるで違う景色に改めて別世界なのだと突きつけられた。
「…………はあ」
滲みそうになる涙を堪えて、大きく息を吐く。
大丈夫、大丈夫。私はひとりぼっちじゃない。
風は相変わらず強くて、気を抜くとたたらを踏んでしまいそうになる。先生は遠くを見つめながらも、しっかり私の体に腕を回して支えてくれた。
「先生はこの景色を見せたかったの?」
「違う」
「じゃあなんで」
「今日、神殿は公休日だ。一般入館できないから仕方なくここに降り立った」
「へ~、神殿って一般公開してるんだ」
思ったよりもフランクなのだろうか。一般人が立入ることが許される神殿、少し気になる。
先生に掴まりながらそーっと足元を覗き込むと、まず目に飛び込んだのは巨大な噴水だ。今は閉じられている門から真っ直ぐ進んだ先に鎮座しているそれは、まるで神殿のシンボルのように見えた。さらに噴水の中央には鴉の石像が恭しく祀られている。不気味なほど黒いそれは、神聖な空気を纏う神殿の中で際立って目立つ。
そしてそんな純黒の鴉を取り囲むように、庭の花々が色とりどりに美しく咲き誇る。
「二年前にここのトップに就任した者が独断で一般公開を決めた」
「それはまたなんとも思い切った決断を」
「腹が立ったんだと」
「え?」
風でなびく白い髪。緩く束ねられた髪が遮ってあの暖かい夕日の色が見えない。どんな顔をしているんだろう、先生は淡々と語る。
「『意思に関わらず神に選ばれて、そのせいで人生が変わってしまった絶望も知りもせず、良かった良かったなんて祀り上げられる私の怒りを知れ』、だそうだ」
「……すごく怒ってますね、その人」
「烈火の如くな」
そう言う先生は笑っていた。思わず込み上げたかのような、漏れ出た笑み。初めて見たその顔は、いつもの彫刻のような美しさではなく、とても人間らしい表情だった。
しかし次の瞬間にはいつもの仏頂面に戻ってしまった。また風が吹いて、靡く髪に顔が隠れる。
風が止んだ一瞬に垣間見えた、幻かもしれない。
「どういう立場の人です?」
「だから、この神殿のトップだ」
それはそうですけど。神に選ばれた、と言うからには祝福の子なのだろうか。
祀り上げられる、なんて表現を使うなら自由意志なんてなかったのだろう。好きでここにいる訳ではないということか。少しだけ共感する。
チリチリと、胸が痺れた──
「その意趣返しで一般公開?」
「多くが反対したが結局押し切られた。今ではこの庭は良い観光資源になっているのだから結果オーライだろうよ」
「庭だけ? 中には入れないの?」
「公開されているのはこの庭までだ。あの噴水を越えた先にある扉。見えるな? あそこには入れない」
「見られるのはほんの少しなんだね」
とはいえ上空から見てもだだっ広く整備された庭だ。普段はさぞや多くの人で賑わうのだろう。
「神聖な場所まで観光客に公開する気は無いらしい」
先生の言葉はどこか空々しくて投げやりに聞こえた。
「でもこの消えるネックレスと先生の認識を阻害する魔術なら気付かれずに入れるんじゃ」
「無理だ」
やけにきっぱりと断言して、先生は噴水を指さした。その先にある、純黒の鴉。
「あの鴉が、この国を司る神だ」
「鴉が?」
「神
「……透明人間もダメってこと?」
「そうだ。小細工は通用しない。今の状態では一般人さえ見学できる、あの庭にすら入れまいよ」
だったら、ますますもって何故ここに来たのか。この状態では例え一般公開されている日であっても入ることは出来ない。最初から分かっていたのに、わざわざどうして。
「お前が、あの神殿について何を思うか知りたかった」
「何を、って……」
私の疑問を読み取ったかのようなタイミングで、逆に漠然とした感想が要求された。
改めてここから見える景色を一望して、考える。やはり、先生の意図は分からなかったし、上手い感想も浮かんでこなかった。
強いて言うなら鴉の像を見ているとなんとなく気持ちが落ち着かない、程度だ。
「鴉が神様だなんて驚いた」
「学校へ通っていたのだろう。習わなかったか」
「文字の読み書きと歴史を少しやったくらい」
頭上で「そうか」とだけ呟きが落ちてきて、それ以上の言及はなかった。思ったような実りのある感想ではなかったのだろう。
「ね、先生」
漠然と思っていたことを、何となく口にしてみようと思った。こんな場所で、二人きりとはいえ。神様は見ているのに。
「先生は、もしかして神様のこと好きじゃないの?」
意外な言葉だったのだろう。先生は少しだけ目を見開いて、私を見下ろした。返事を待ってみたけれど、言葉に困っているように見えたから、私が続ける。
「私ね、この目が好きじゃない。みんなは素晴らしいことだって言うけど。綺麗ね、って褒めて有難いことだって、大切にしてくれるけど」
ホントは好きじゃない。私の目を勝手にこんな風にした神様に、文句が言いたい。だから、ここの偉い人の言い分がわかる気がする。先生も何となくその人に共感してるのかと思った。
神殿の庭を眺めながら、その先の王都を視界の端に映しながら、初めて他人に打ち明けた。
どうして言ってしまったんだろう、と考えてからこの景色のせいだと思った。端から端まで私の知らないものだらけで、寂しくなる。胸の痺れが止まない。
「さくや」
寂しかったから。
先生も、もしかしたらそうなんじゃないかと思って共感が欲しかった。きっと、そんな気持ち。
「さくや!」
先生に呼ばれた。
しがみついていたはずの右手が胸を抑えるように自分の服に皺を作っていた。
「痛むのか」
「へいき」
「戻るぞ。長居しすぎた」
先生に抱え上げられる。意外と力持ちだ、なんて考えている間に自分の部屋に居た。そのままベッドへ横たえられて前をはだけられる。
「呪いが活性化しているが、全身の黒化は見られない」
「ん」
「……少し連れ回しすぎた。もう休め」
「ごめんなさい」
何に対しての謝罪か、自分でも分からなかった。連れ回されたと言ってもほんの数時間、王都観光をしただけなのに。
「体力、無いな……鍛えなきゃ」
「……痛みはまだあるか」
「すこし」
誤魔化そうとしたけれど、そんな気力は無かった。思ったより、疲れてるのかな。
先生が無言で私の瞼に手のひらを重ねた。暗闇が広がって、急に眠くなる。
「寝ろ」
この呪いは少しずつ私の体を弱らせて、最後には命を終わらせるものだ。体力が無いのはそれのせいかな、と思ったけれど単に運動不足も否めない。先生の手が温かい。
暗闇と眠気で、色んなことが頭を通り過ぎていく。考えがまとまらずにバラバラと散らかって、あちこち拾いに行っている間にもう何も分からなくなる。
「そうだな」
せんせいの、声がする。
「オレも、神は好きじゃない」
そっか。だからフードを被ってるんだね。ずっともしかしたらって思ってた。
「次に目が覚めたら、楽になっているはずだ」
おやすみなさい、せんせい。
顔を思い出そうとして、何故か今日初めて見た王様の顔が浮かんだ。
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