16.正面向いたら奴もいた
「いつの間に!」
「うるさい。ずっと居た」
当たり前のようにそこに立ち、王様の去った方角を忌々しげに見詰めながら、こちらには見向きもしない。
どういうことか説明して欲しい、とお決まりのマントの裾を引っ張って強請ると、先生はさっきまで王様が座っていた場所に腰を下ろして優雅に足を組む。いまはフードをすっぽり被っているから、ご機嫌が斜めなのかそうでないのか判断難しい。
「認識を阻害する魔術を掛けた」
何それ、と首を傾げると間髪入れずにバカ
、と返答を頂戴する。
「お前は先ほど振り返ったが、オレに気付かなかったな」
「うん。先生が居たの、分からなかった」
「それだ」
分からないことが肝だと先生は言う。
「ターゲットに対する意識を強く抑制する効果を持つ。例えおかしなものがそこにあったとしても、景色の一部として認識されて素通りしてしまう。探し物がそこにあっても、気付けない」
「……それに対して注意が向かないようにするってこと?」
「まあそうだ」
「リヒャルトさんが、たまにメガネ掛けたままメガネメガネ、ってやるあれ?」
「それは知らん」
ばっさりと切り捨てたと思ったら先生はいや、と首を振って顎に手を置いた。
「バカには分かりやすいのかもな。極端に言うとそれだ」
「さっきのは認識を阻害する魔術をかけられていたから、すぐ側に居た先生に気付かなかった……」
「全員に掛けて回るのは手間だから大広間では隠れていたがな」
納得したけれど、承服しかねる。断固抗議の姿勢を見せて、更に挙手してみたが先生によって容赦なく叩き落とされた。
「バカに説明するのは疲れる」
にべもない。
それでもこの状況は多分に先生の責任も含んでいるので、答えてもらわなければならない。
めげずにもう一度手を挙げると、大きな舌打ちが鳴らされる。許可と取ることにする。
「リヒャルトさんがめっちゃこっち見てました!
王様も普通に話しかけてきたし、このペンダント機能してます?」
「俺の手製だ、見えるはずがない」
「でも、」
「アレらは、そこに何かあると感じ取っただけだ。祝福の濃度が濃いせいで、魔術が行使されているとその痕跡に気付く」
先生はまたしても忌々しげに毒づくと、「リヒャルトに関しては、お前への執着もあるだろうよ」と付け足した。
「それはそれで怖い」
「見えていない、よって自白も謝罪も必要ない」
庭師たちの戻らない庭園は静寂に包まれていて、風に揺れるたび花々の香りがほのかに届く。先生は花には興味が無いようで、つまらなそうに空を見上げていた。曝された喉仏が、上下に動く。
「もうひとつ、行きたい所がある」
「え、どこ?」
何も言わず、先生が右側を指した。す、と伸ばされた腕の先、その形のいい指が示した方向に、私は視線を送る。
「あの建物、なに?」
「神殿だ」
神殿と称されたそれは、白い石でできた四角い建物だった。アーチ型の門が空に向かって広がり、四方に巨大な円柱が威圧的に立ち並ぶ。
「城と並び建ってはいるが、完全に切り離された機関だ」
「何をする場所なの」
「神を祀っている。祈りの場だ」
それだけにしては大仰すぎる建物のように見える。元の世界にあった教会なんかを想像して比較すると、あまりにも馬鹿げた規模だ。
相変わらず空を見上げるその横顔は何を考えているのか分からない。「どうしてあそこへ?」という疑問が口をつく前に、私は咄嗟にそれを飲み込んだ。
王様が去った方角からリヒャルトさんとヴァルターが並んで真っ直ぐこちらに歩いてくる。
あ、と思った時にはもう彼はしっかりとこちらを捉えていた。
「アウル。お前が王城に来るなんてな」
「気付いているか。鬱陶しいな」
「アウルさんが居るのですか!?」
正装をひとつも崩さないままのリヒャルトさんが、ため息を吐いてヴァルターを小突く。私の事は、本当に見えていない……のだろうか。
「もっと目を養え、集中力が散漫すぎる」
「はっ。申し訳ありません」
「ここが王城だからと油断するな。常に意識を研ぎ澄ませろ」
厳しい声音に、ヴァルターは気を引き締めるように更に背筋を伸ばす。目を瞑って自分の掌を顔の前に掲げて何事か呟くと、一瞬ヴァルターの全身が光った。
次に目を開けた時、彼の視線はしっかりと先生に定まっていた。
「本当に、いらしたのですね」
「凡庸なりに成長はしているか」
褒め言葉とは思えないそれに、ヴァルターは畏まって礼をする。けれど、疑問に思ったのは私だけらしい、リヒャルトさんからも「甘やかすな」という言葉が飛んでくる。
「俺が居なけりゃお前は素通りしただろ」
「それは……はい」
「気ぃ抜いてんじゃねえぞ」
「はっ。精進します!」
またしても背筋を伸ばして、今度は最敬礼を示す。何やら分からないが、リヒャルトさんからの指導が嬉しいらしい。
気づかれていないのならこのまま気配を消してやり過ごそう、と思ったがそう上手くはいかない。
「さくや」
唐突に呼びかけられて心臓が飛び出すかと思うほど驚いた。恐る恐る目をやると、完全にこっちを見ている。
一連の流れにまるで興味を示さず空を眺めていた先生が、そこでようやくリヒャルトさんを見た。何か言うかと思ったけれど、それを遮るように言葉が重なる。
「そこに居るな? さくや」
「……なぜ居ると思う」
先生の言葉には答えず、迷いのない足取りで私の目の前まで来た。動くことが出来ず、固唾を飲んで動向を伺っていると、リヒャルトさんは両手を宙に漂わせる。
「ああ、ほら」
その手が、優しく私の頬を両側から包む。まるで壊れ物を扱うような繊細な手つきで、存在を確かめるように撫でられる。
「居たな」
目が合った瞬間、喜びが抑えきれないような溢れる笑顔で、私の存在を肯定した。
ここで、その笑顔はずるいと思う。
ただでさえ正装によっていつもと違うキラキラモードで眩しいのに、そんな顔をされたらさすがに娘と言えど、心拍数が上がる。
ベンチに座ったまま驚きで動けない私を横目に、先生はつまらなそうに息を吐く。
「見えるはずがない」
「ああ、見えねえよ」
「なぜ分かる」
「さくがそこに居て、俺が分からない訳がない」
当然のように言い切って、輝く男は胸を張って誇らしげに笑った。
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