12.バ先のご飯が美味しすぎる件について


「あ~……なんていうか、まあそれは」


 ひと通り説明し終えた後、淹れてもらったお茶をひとくち含むと喉がやっと潤う。アウル先生に助けて貰ってから家出に至るまで、ひと通り私が喋り通した。

 隣に座るもう一人の当人は、さっさと食事を済ませると晩酌タイムに突入し、一言も発さず相変わらずのマイペースで酌を進める。


 途中、女癖の悪い養父の話でだいぶ力が入ってしまったが、仕方ない。だってショックだし、普通に引く。


「さすがにそれは噂に尾ひれがついてると思うよ」

「王都の種馬は笑っちゃったわ。実際、酷い時期もあったけどね」


 夫婦は苦笑しながらもヴァルターの話を一部否定するので、今度は先生にコメントを求めると、ウイスキーをちびちびやっている。戻ったら研究の続き、とか言っていたけれど大丈夫だろうか。顔色は変わらないが、瞼が重たそうだ。


「あれは来るもの拒まず、去るもの追わずだ」


 執着が無いんだ、と先生曰く。

 皿を洗いながら店主もそれに同意の意を示すように数度頷く。洗っていた皿の水の当たり所が悪くて、胸元まで飛沫が跳ねた。


「リヒャルトはあの顔だろう? 当然モテるんだよ。で、夜遊びも好きだから、一晩を共にした女の子はそれが自慢になるわけさ」


 布巾で流し台を拭きながら、まるで近所の小さな子の話をするかのような口調で続く。


「それを聞いた他の女の子たちは、それが羨ましくて自分もリヒャルトと遊んだ、とか口々に言うわけ。そういうのが繰り返されて広まって、王都中の女の子と遊んだ伝説の男の出来上がり」

「あいつ自身、そんな噂なんてまるで気にしてなかったものね」

「女遊びが好きなのは事実だろう。下劣の自業自得だ」


 三人の話に出てくるリヒャルトさんが、いまいち想像出来なかった。私の知ってるあの人はそんなんじゃなくて、ただひたすら優しくて鬱陶しくて過保護で、温かくて。

 そんな私とリヒャルトさんが過ごした日々が、すべて否定されていくようで急に不安になる。

 香りの高いお茶を一気に呷って、込み上げてくる苦いものを無理やり飲み下す。


「でも、恋人がいる間は紳士的だったって聞くし、遊びも浮気もしなかったはずよ」

「……真面目なのか最低なのかわかんないね」

「女性関係は派手だったけど、揉め事はなかったみたいだし全員後腐れなく別れてるんじゃないかな」

「それはそれでなんかな……」


 フォローになってるような、そうでもないような。


「器用な男だ。どうりで女が切れないわけだ」

「アウル、言い方」

「事実だろうが」


 はっ、と鼻で笑って手酌でウイスキーを注ぐと、また舐めるようにちびちびと進める。

 食堂夫婦もひと仕事を終え、カウンター席に着いた。二人ともグラスにお酒を入れて、かちん、と乾杯してから──先生にも少し傾けて──美味そうに飲み干す。

 当たり前だけれど、みんな大人なんだな。一人用のお洒落なポットに残ったお茶を注ぎ足して、私も続く。茶葉の渋みが出てしまって、一際苦く感じた。


「リヒャルトさんと一晩一緒にいたら、羨ましがられるの?」


 ん? と三人の視線が私に集まる。聞き方が迂遠すぎた。

 本人に聞いた方がいいのだろうか、という迷いが出て遠回しになってしまった。しかし答えてくれる保証はないし、今のうちに事情を知っていそうな人に聞いた方が良いと判断して、すぐに切り替える。


「リヒャルトさん、王国近衛師団の団長だってヴァルターが言ってた」


 一晩過ごすと自慢になる、というのはその辺も加味されているのかと思って。箔が付く、とかそういう。

 左に先生、右に食堂夫婦。どちらを向いて話そうか悩んで、なんとなく夫婦の方にした。


「そう。実はあいつ、凄いのよ」


 意外なほどあっさりとエルザさんは教えてくれた。酔っ払って口が滑ったのかと思ったが、まだ一杯呷った程度でそんなはずは無い。

 理由はすぐに思い至った。リヒャルトさんが隠し事をしている事を、私が不満に思っていたから。それは私のためでもあるけど半分はリヒャルトさんのエゴでもある、と今朝そう言っていた。

 これがいい機会だ、とでも言うようにエルザさんは聞かせてくれる。


「十五で士官学校に入学。卒業後は何年か地方を回って、王都に戻ってきてからは小隊を率いる立場に着いてた。ヴァルターが、リヒャルトを隊長って呼ぶのはこの時の癖ね」

「あの人、部下だったんだ」

「部下と言うよりはファンかな。同担拒否の」


 何となくわかる気もする。なるほど、リヒャルトさんの強火担。


「その後はトントン拍子で出世して最年少で団長にまで上り詰めた。もちろん実力でね。それが、リヒャルト・ウェーバーの経歴」

「……リヒャルトさんは、すごい人なの?」


 聞くまでもないことを聞いてしまうのは、認めたくないからかもしれない。私の知ってるあの人とはまるで別人で、遠い人で、輝かしくも華々しい人生だ。

 元の世界ではただの女子高生だった自分なんかとは、一生縁の無いようなすごい人だ。想像を遥かに超えていて、逆に現実感が薄い。

 私の知ってる【木こりのリヒャルトさん】とは、別人なのではないかと疑うほどに、にわかには信じられない。

 小さなこの町で、どうして木こりなんてしてるんだろう。

 

 この、取り残されたような寂しい気持ちを、どうしてくれる。


「すごい人、ではなく偉い人、だ。軍のトップでこの国を守る立場にある」

「追い討ち掛けるのやめてください」

「何を落ち込むことがある」

「人の心無いんか」

「理解できない」


 マッドサイエンティストが横から刺してくる。そう、別に落ち込むことなんかない。落ち込んでなんか、いない。私が知りたいと言ったから、教えてくれた。……だけど、あの人が遠くに行ってしまったかのような距離感も拭えない。

 ──でも、それが知りたかった。何も知らないままではいたくないから。

 リヒャルトさんが隠していたこと。私が知りたかったこと。これは、その一端でしかないのに、ただ経歴を聞いただけで怯むな、私。



「どうして木こりをやってるかは、あいつに聞くのがいい。俺達も実は知らないんだ」

「えっ、そうなんですか?」

「突然帰ってきて、退職したって言うから驚いたよ」


 横でエルザさんも苦笑いで頷く。またお酒を呷って、思い出を振り返るように目を瞑った。それを追いかけるように私も想像してみる。


「理由を聞いたって答えないし、しばらくは一人で過ごしてたわ。その間、何をしていたかは私たちも知らないの」

「リヒャルトさんはいつこの町に戻ってきたの?」

「二年前の冬かな? 最初の一年はそんな調子で、こっちから会いに行っても、あまり構って欲しくなさそうだった」

「でも去年の冬にリヒャルトがさくちゃんを見つけて、一緒に住むようになってからはずっと今の感じだよ」


 リヒャルトさんが、私を見つけたのは春になる前のまだ寒い時期だったと聞いていた。人通りの少ない森で倒れていた。

 意識が戻るまで付きっきりで、それ以降の入院生活も毎日顔を見せに来てくれた。遂には私を娘として迎え入れてくれて、ひとりぼっちじゃない、と手を繋いでくれた。

 


 ある日突然、地元に帰ってきたリヒャルトさん。ずっとひとりぼっちでいたのに、どうして私を拾ってくれたんだろう。


 そうだ、もうひとつ。


「古くから続く、由緒ある貴族の家系って言ってた」


 ぴたり、と。空気が止まった気がした。

 二人は互いにふと視線を交わす。笑っていた口元が、ほんのわずかに引き締まる。振り返ると、先生は相変わらずちびちびやっていた。


「あいつに聞け。何もかも、全てを知るのは本人だけだ」


 先生はそう言うと、カウンターにお金を置いて立ち上がる。夜食の包みを乱暴に手に取って、またフードを被ってしまう。お代はいいよ、というレオンさんの声が聞こえていないかのように流して、私に向き直ると唐突に頬を抓った。痛いんですけど。


「反抗しろ。それでも子供か」

「ふぇんふぇえ、いふぁい(先生、痛い)」

「親に、遠慮なんてするな」


 抓った頬を、そっと指で撫でて先生は消えた。


「アウルが、ここまで人の面倒を見るなんてな」

「シンパシーを感じているのかもね」


 後ろで呟きを交わす夫婦の言葉を、半分しか理解できなかった。今日初めて会った変わり者の私の主治医は、きっと良い人。


 さあ、寝ましょうと声をかけられてようやく眠気が戻ってくる。

 分かったことと、分からないことが増えた。少しの寂しさと沢山の何故を抱えながら、今日はもう睡魔に身を委ねることにする。

 今頃リヒャルトさんは何をしているだろう。

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