第11.5話

11.5



 さくやの部屋に気配がひとつ増えた。

(アウルか)

 二階の我が子の様子を気にしながら、リヒャルトは目の前の元部下の胸ぐらから手を離す。そのまま突き放すと、ヴァルターは背中から扉に激突して顔を顰めた。


「殴らないのですか」


 わざとヒステリックに騒ぎ立て、相手の意表を突いて混乱させる。その後求めているであろう情報を一部だけ開示して、満足させて興味を損なわせた。


「お前の作戦勝ちだな。少しだけ話を聞いてやる」


 リヒャルトには先程アウルに言われた言葉が刺さっていた。

 ──確かに今回は俺の落ち度。少し気を抜きすぎていたかもしれない。

 いつも通り用事を済ませる為に町を出て、ついでにヴァルター達を追い返して、たったそれだけの作業を失敗し、むざむざ近衛師団とさくやを面会させてしまった。リヒャルトは誰より自分に腹を立てていた。


「しかしお前、あんなに演技派だったか?」

「演技ではありません。本気で落胆しています」


 落胆、という言葉に自嘲気味に笑う。

 苛立ちを腹に収めて深く息を吸い込むと、あの子の残り香を感じた気がした。


 自分が職を辞してからもしつこく諦めず、幾度となく押しかけてくるその熱意。この元部下に対して、迷惑な気持ちと共に、可愛げがあったのも事実だ。諦めず食らいつき、遂には自分を出し抜きこの町にまで入ってきた。

 リヒャルトは、自分の部下を誇りに思う。だがそれが手抜かりに繋がったのなら今後は一切の情を捨てなければならない。


「戻ってきてください、隊長」

「もう隊長じゃない」

「失礼しました。団長」

「お前わざとやってるだろ」


 生真面目なヴァルターのおでこを指で弾くと、いい音が鳴る。思わず笑うと、ヴァルターも釣られて笑った。

 懐かしい空気だが、絆されることは無い。リヒャルトは自分にとって何がいちばんなのかを、もう決めている。そして、それが揺らぐことは決してない。

 ヴァルターの横から腕を通して、玄関ドアを開けてやる。外の暗がりに溶け込んではいるが、リヒャルトは家の周りを取り囲む十数人の騎士たちの気配を見逃さない。


「帰れ、ヴァルター。アイツらも待ちくたびれただろう」

「いいえ、帰りません。話はまだです」


 横を素通りして、「お邪魔します」と言いながらリビングに向かうヴァルターを、リヒャルトはもう止めなかった。

 あれだけ脅かしたのだから、もう勝手にさくやに接触はしないだろう。

 ため息を吐いて玄関ドアを閉めると、ヴァルターの後に続いてリビングへ入り、適当に座れ、と投げやりに言い放つ。

 ヴァルターは座らない。


「あの娘は本当にあなたの子供ですか」

「俺の職場復帰の勧誘じゃないのか」


 揶揄うように投げかけると、ヴァルターの眉間にシワが刻まれる。苦労をしているのだろうが自分にはもう関係ない、とリヒャルトはその反応をさらりと流した。


「俺が拾った。俺の子だ」

「血は繋がっていないのですね」

「それ、そんなに大事か?」

「あなたは嫌がるでしょうが。ええ、最も大事なことでしょう」

「もちろん、繋がってない」


 ヴァルターは、嫌味を込めるように「似ていませんしね」と続ける。


「可愛いだろう」

「別に」

「あ? お前の目は節穴か? 俺の子が可愛くないって言ったか?」

「可愛いです」

「俺のさくやに色目を使うなぶち殺すぞ」

「どうしてしまったのですか、貴方は……!」


 ごく普通の反応だろう、とリヒャルトは思う。我が子が可愛くないはずがない。世界でいちばん可愛い愛くるしい生き物だ。自分の人生をすべて捧げる価値のある、素晴らしい存在だ。

 だが、そんな可愛い俺の子に、誰かが手を出そうとするなら容赦せず排除する。


 これが、親ではないのか? 当然の感情だろう。


 だが、しばしばリヒャルトのこういった言動は周囲から理解されない。最も親交のある幼なじみの夫婦ですらも、異を唱える。


 頭を抱える元部下を、ソファに座りながら見上げて今度はリヒャルトが落胆する。


「そういう訳で、俺は忙しい。近衛師団には復職しない」

「貴方の離職届は受理されていません」

「何年保留してんだよ」

「必要であればいつまででも。王も貴方の帰りを待っています」

「待つだけ無駄だ」


 もう戻らない。あの子を置いて、俺がどこかへ行くものか。

 ひとりぼっちのさくや。俺がそばに居る。


 ふいに、二階の気配がふたつとも消えて、アウルが転移魔術を使ったのだと感じた。ヴァルターも二階を見上げている。さすがに近衛師団の副団長も、魔術の行使には目ざとい。


「空間転移など馬鹿げた魔術が使えるのは、貴方かアウルさんだけですね」

「あいつは人を運ぶのも上手いからな。助かる」

「貴方は下手くそですからね。何度も酔って吐いた」

「出来ない奴が文句だけはいっちょ前だな」

「短距離なら可能です!」

「その調子で腕を磨けよ、団長代理」


 リヒャルトもアウルも転移魔術など息を吸うように行えた。周りの人間が何故同じように出来ないのか理解できなかったほどに容易い事だった。専門家曰く、空間をねじまげて目的地同士を繋げるのは高濃度の魔力量が必要らしい。

 リヒャルトは、自分よりも色素の薄い「神の祝福」を数人しか知らない、そのうちの一人がアウルだった。


「貴方達は規格外なんです。もっと自覚を持ってください」

「持ってるよ。だから二十年近くも国家に尽くしてきたろ」


 だからもう解放しろ、と言うヴァルターの顔が厳しくなる。口元を歪めて、まるで不機嫌な子供だ。

 この年若い副団長は、俺の前ではどうしても年相応になってしまう事を悩んでいたな、とリヒャルトは思い出した。


「一度だけでも、戻ってきてください。私たちには話し合いが足りない」

「断る」

「いいのですか、本当に」

「なに?」


 雰囲気が変わった。

 先程とは一変、顔からは全ての感情が抜け落ち、まるで仮面を被ってしまったかの如く何も読み取れない。

 注意深く観察する内に、リヒャルトはヴァルターが次にどんな手を打ってくるのか察しが着いてしまった。


「ヴァルター、さくやのことを、」

「あの娘のことを、貴方は隠していましたね。あの容姿、あれは正に」

「ヴァルター!」


 最後まで言わせまいと張り上げた声に驚いた様子もなく、ヴァルターはただ冷たく見つめ返す。

 またしても、しくじっていた。


「いつからだ」

「最初から。貴方の元を訪れるのにまるごしでは」


 ヴァルターが指を鳴らすと、その体を覆うように薄い膜が可視化された。膜の上をいくつもの術式が流れていて、その全てが精神への侵食を拒否するものだ。

 その準備の良さに舌打ちが出るが、やはり元部下の読みの鋭さに対して、満足する部分も感じていた。


「分かっていたらもっと強めに掛けといたんだがな」

「町全体に、とは恐れ入る」

「俺を誰だと思ってる? 町一つ術式で覆うくらいなんてこともない」


 強がりながら、リヒャルトは次の手を思案する。だが、相手はそう甘くない。考える隙を与えず矢継ぎ早に言葉を放つ。


「私には王都に戻って報告する義務がある。貴方がこちらに来られないのでしたらあの娘を呼び出すまで」

「させてると思うのか」

「私を殺したって無意味ですよ。使者は次々やってくる」

「ならさくやを連れてこの町を出る」

「あんな目立つ娘を連れて、現実的では無い」


 覚悟を決めた元部下の顔を見ながら、頭の中で数々の可能性とパターンを演算する。

 どうすることが最善か、何を譲歩して何を隠すか。次々に浮かんでくるケースを打ち消しながら打つ手を探す。


「貴方はそこで考えているといい。私はあの娘に会いに行きます」

「ヴァルター、あの子に近づくな」

「私と話がしたいそうですから。私もあの娘に話が出来た」


 話は終わりとばかりにリヒャルトに背を向けてヴァルターは出ていく。


「……クソが」


 背中に毒づいて、それでもこのまま見送ることは出来ない。


「条件がある!」


 声が鋭くなったのは、自分への怒りと、相手への苛立ちと。

 振り返ったヴァルターは感情を乗せずに、だがどこか軽やかに答えた。


「何なりと」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る