6.それはセクシャルハラスメントです
突如出現した真っ白な石壁の部屋に、理解が追いつかない。視界にあるのは助けてくれたと思しきマントの後ろ姿。食堂夫婦やあの騎士の姿はない。
肘で何とか上体を起こすと、部屋の全貌が明らかになる。小さな窓にはカーテンが掛かっていて、ここがどこだか判別しかねたが、仮に開いていたとしても私にわかるかどうかは怪しい。
いや、そんなことより扉が無い。どうやって出入りするんだろう。
あとは本と、何やら分からない薬品が棚に綺麗に整頓されて安置されていた。床に塵ひとつ落ちていない、この部屋の主は余程几帳面なのだろうと思われる。
「動くなと言ったはずだ」
床に転がされている私の頭上から冷たい声。マントの人は背中を向けて何やら机上で作業している様だが、背中に目でも着いているのか少しでも身動ぎすると舌打ちが降ってくる。こわ
「体はどうだ」
「……へ?」
「同じことを二度言わせるな」
「ゲンキデス」
いや、こわいこわい。意思疎通が難しい系の人? 几帳面な人ってなんでこう気難しいの? リヒャルトさんの朗らかさを見習って欲しい、それ相応の独身男の部屋してるぞ。
いや待て待て、落ち着け私、意味がわからないぞ。
「ふむ」
混乱する私をよそに、冷静な足取りで男が目の前に迫っていた。ようやく正面で顔を捉えたが、マントが口元まで覆っている上に深くフードを被っていて何も見えない。
目があるはずの場所は真っ暗闇で、どこを見ているか分かりづらい。恐怖かさ増し。
「あ、あのあのあのあの、あの、えっと」
何か言わなければ、と思うもこんな不審人物と初めましてで話すことなど何も無い。
あっ、お礼!? とりあえず助けてくれたお礼を言わないと、と閃いたのも束の間、男の手がすっとこちらに伸びてくる。
むにっ。
「え」
男の手のひらが、あろう事か私の左胸の上に。しかもなんか軽く揉まれた?
心の中に【殺】の一文字がデカデカと躍り出る。
『いい、さくちゃん。もし痴漢に遭遇したら相手の喉を潰すのよ。できるなら、喉仏』
素晴らしい教えをありがとう、エルザさん。
反射的に喉を狙って出た私の右手は、しかし届くことなくひらりと躱されて空振る。チクショー帰ったら絶対護身術習う!
「動くな、と何度言えばわかるんだ」
胸の手はそのままに、男に上体を再度転がされて強かに頭を打つ。いやマジこいつ男の風上に置けなくない!?
私の怒りを素通りして男は更に服の上から手を動かして亀裂の辺りを特に撫でさする。
イヤな場所を触られて暴れると今度は馬乗りになって動きを封じられた。ここに来て命の危機。
「痛むか」
「離せ触るなバカアホマヌケ変態!」
「……チッ。これだから嫌なんだ」
「はぁあ!? 嫌なのはこっちです~!! 離せバカ!」
「いい加減黙れ」
一際低い声で凄まれたがこっちだって命と貞操の危機だ、はいそうですか、という訳には行かない。呪いで死ぬなら諦めも着くけどこんな死に方は絶対イヤだ!
「む、」
「へ?」
その時、服の下から光が溢れた。それは亀裂の辺りで小さく光って、弱々しく明滅してからすぐに消えてしまった。
初めてのことに硬直していると、変態が体の上で動き出す。
まてまてまてまて、ま、まさか。
静止の声が出るより早く、案の定ど変態が服を胸までたくし上げた。
「ほう、亀裂が」
「ぎゃ~~~~~~~~~~~~~!!!!!!」
「チッ。うるさ」
い、の言葉が聞こえる前に。
背後で壁が爆発した。見えないけど絶対爆発したじゃんこれ。パニクって大声を上げた私すら静止するほどの派手さでもって石壁木っ端微塵。パラパラと降り注ぐ石は、意外なことに変態が自身のマントで覆って防いでくれた。それはありがと。
最近私の周りは色んなものが破壊されてる、とぼんやり脳が現実逃避したところで。
「さくや!!」
「リヒャルトさん!」
だと思った! ものを壊すのは大抵あなたですもんね!! でも来てくれてありがとう!!
垂れそうになる涙と鼻水を何とか啜って名前を叫んだ。
身を捩って助けを求めようとした瞬間、頭上を高速で何かが掠めて行った。遅れて重そうな音がブォンと着いてくる。え、なに。
私の上の変態はその何かをひらりと避けて立ち上がると、バカほどでかい溜息を吐いてまた舌打ちをした。
「何のつもりだ、リヒャルト」
「こっちのセリフだ。信じて娘を預けたと思ったらこりゃ何のつもりだ? あ?」
「見て分からないのか診察だよ。お前が頼んだんじゃないか、気でも触れたか」
「こんなにさくを脅えさせて何が診察だ」
「えっ、待ってちょっと話が見えない」
やっぱり顔見知りですか? この変態と? てかいま診察って言った?
聞きたいことがありすぎて逆に言葉が出てこない。体を起こしてリヒャルトさんに向き直ろうとしたら、抱き上げられて高速頬ずりをされる。やってる場合か。
がらん、と重い音がして床を見ると斧が転がっていた。振り回したのか、これを……。
「さく、さくや……! ああ良かったさくや! もう大丈夫だからな、俺が来たからには何も怖いことは無いから」
「いや、まっ、ちょ、っキスするな!」
頬ずりに乗じて顔中にチュッチュッしてくるの、ホントに悪癖。私のこと、赤ちゃんに見えてます?
「症状も治まったし新たな治験も得られた。オレは資料をまとめるからとっとと帰れ」
「まて、アウル」
「壁は壊すな。扉から入ってこいバカ」
え、この部屋のどこに扉があんの? と思ってつい見渡してしまった。無いじゃん。
「さくはどうなんだ。さっきの発作、俺は傍にいなかった」
「お前の落ち度だ。オレにガキの面倒を見させるな、次はないぞ」
「診察したんだろう、何か変化は」
「うるさい」
リヒャルトさんが言い終える前に、鬱陶しいとばかりにマントはそう吐き捨てて人差し指と中指を立てて横に真一文字に振った。
すると、急に我が家だ。驚いた。
「なに、いまの……」
「転移魔術だ」
「まじゅつ」
リヒャルトさんはそれだけ言うと、私を抱えたままソファに座った。そのまま私を腕に閉じ込めて深く息を吐く。少し、震えているように聞こえた。
さっきまでの謎空間でのドタバタ劇とは百八十度変わって、静けさが支配するこの我が家が、何とも居心地が悪い。
「えっと、おかえり?」
「ごめんな」
「なにが、ごめんなの?」
「全部」
それだけ言うと、黙りこくってしまう。さすがに説明が欲しいな、と思うもこんなに落ち込んでいるリヒャルトさんは見たことがなくて追求の手が緩む。
でも、今日あったこと全部。食堂に現れた騎士の男もさっきのマントも私に関わりがあるんだってことは確かで。
自分がいま、どうなっているのか私は知らない。庇護されて甘やかされて、反発しつつもそれを良しとしてきたけど。やっぱりダメだ。私は自分のことが知りたい。
自分を知って、その上で自分に出来ることを探したい。
「ね、教えて。私のことなら私は知らないといけない」
「さくや」
「お願い。自分の足で立って歩きたいのに、これじゃ歩き方さえ分かんないよ」
私を抱く腕がいっそう強くなる。
「歩かなくていい。俺が担いで歩くから」
「そんなの私がイヤ。自分のことは自分でしたい」
「何もしなくていい、全部俺がする」
「イヤだ」
「ずっとここで暮らそう。邪魔するものは何もかも追い払う」
「知りたいことが沢山あるの」
「知らないまま、生きていける」
「私にお人形でいろってこと?」
「さくには、いまのさくのままでいて欲しい」
「リヒャルトさんのわからず屋!」
腕を振り払って立ち上がる。リヒャルトさんの顔は悲しそうに歪んでいて、それでも綺麗な顔に、なんだか無性に腹が立った。これが反抗期ってやつ。
このまま走ってここを出て行ってやろうかとも一瞬考えたが、あの騎士団がウロついているかもしれないと思うとその意気は挫けた。反抗期、終了。
リヒャルトさんは私を見てただ悲しげに目を細めるだけで口を開こうとしない。これ以上は無駄かと、自室に立て篭り作戦へ移行しようとした時。目の前の空間が歪んだ。
かと思うと一瞬でさっきのマントが部屋に出現している。ちょうど私とリヒャルトさんの間に。
「今週分の薬だ。飲み忘れるなよ」
「えっ」
ぽん、とソファに投げ落としたのは見覚えのある薬の飴玉だ。
さっき、診察とかなんとか言ってたけどもしかしてこの人が……。
「どういうタイミングで出てきてんだよ」
リヒャルトさんが疲れきった声で吐き捨てるように言う。
「机の上にあったのにお前が持っていかなかったんだろう」
「問答無用で転移させたのは誰だよ」
「オレと無駄口を叩いていて良いのか? 揉めていたんだろう」
「分かってて出てきたのか。つかお前のせいだろ」
「オレではなくヴァルターのせいだ。そも原因はお前の手落ちだが」
「うるせぇよ」
「あ、あのっ!」
テンポのいい掛け合いに割って入るには勇気がいる。自分を鼓舞して大声、と思って精一杯声を上げたら思いの外張り上げてしまった。リヒャルトさんも目をまん丸にしている。
お隣さん、おっきい声出してすみません。
「あなたが、私の……」
「主治医だ」
マントの人、もとい主治医は不機嫌を隠さない声で肯定した。
これまでの会話でもしやと思ったらやっぱり。ああ、会ったら言いたいことか沢山あったのに開口一番、出たのはアレだった。
「人が寝てる時に勝手に診察って、何してくれてんの!?」
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