4.木こりの年収 検索


「そうだ、さく。今晩からまた二日ほど家を空けるから、レオンのとこに世話になってくれないか」


 店の扉を壊した罰としてエルザさんに縛られ店の天井から宙ずりにされているリヒャルトさんが、事も無げにそう宣った。

 破壊された扉が取り外されて、夕焼けをバックに間抜けに吊るされた国宝美形。シュールな画だな。


「お仕事?」

「そうそう。切った木を町の外に売りに行くんだ」

「……売れてるの?」

「だから生活出来てるんじゃないか」


 快活に笑って応えるその声に、嘘は感じられない。私が特別鈍いだけかもしれないが、実際お荷物(悲しいことに、私)を抱えて不自由なく暮らしているのだから、木こりとして生計は経っているのだろう。

 それでも何だか腑に落ちなくて言葉を濁していると、「寂しいよなごめんなさくちゃん俺も寂しいよ今この瞬間も胸が張り裂けそうだそれでも行かなくちゃいけないああ二日と言わず明日の朝にでもさっさと帰ってやろうか」と、一人相撲を始めている。息継ぎをしろ。


 リヒャルトさんは二ヶ月に一度、町の外へ商売に出かける。私も同行したいのに、危険だと言われて町を出たことはない。

 過保護すぎる。実際に親に付いて外へ出かける、自分よりも幼い子供たちを見ると複雑な気持ちになる。


「大丈夫だよ、さくちゃん。こいつのことだから、何がなんでも君のためにすぐ帰ってくるさ。ほんの二日だよ」

「レオンさん......」


 えっ、あ、はい。いや、別に寂しいわけではないのです。

 とは言えずに、またお世話になります、とひとまず頭を下げた。


「ちょっと、あんたいつまでぶら下がってるつもり? 邪魔になるからさっさと降りてよ」

「お前が吊し上げたんだろうが」


 エルザさんとリヒャルトさんがごちゃごちゃ揉めていると、破壊された扉の外から「うわっ」とか「あははっ」なんて子供たちの声が聞こえてくる。

 ああ、そうこうしている間にもう来てしまったではないか。


 「さくやせんせー!」「宿題やってきたー!」と子どもたちが元気に駆け寄ってくる。十人ほどの声が重なって、店の中が一気ににぎやかになった。


「やっほーみんな。今日は奥のテーブルでお勉強ね。リヒャルトさんは無視で」


 ノートを広げた子たちが我先にと見せてくるのをすべて受け取って目を通す。


「うん、正解。こっちもバッチリ! 花丸!」


 一斉に喜びの声があがり、私は笑いながらペンを走らせた。みんなこの町の学校に通いながら、家の手伝いをしたり働きに出たりしている私の先輩達だ。


「お前ら、あんまり俺のさくに手間を掛けさせるなよ」


 などと大人気のないことを言ってリヒャルトさんはまるで蜘蛛の糸を払うかのような仕草で何重にも巻かれたロープを千切って床に着地した。

 自分で解けるのならさっさと降りれば良かったのに、と思ったが彼なりの反省の姿勢を示すために敢えて吊るされていたのだろうか。エルザさんが苦々しい顔をしている。


 「うるせーリヒャルト! さくやは俺らの後輩なんだからこき使ったって良いんだ」

「何が後輩だ。お前らよりずっと後に入ったのにさっさと卒業した優秀なうちの子に対する敬意が足りねぇんだよ」

「先に卒業したって後から入ったことには変わりねーだろ!」

「そこまで! 大人気ないよリヒャルトさん。私はこの子達とお勉強タイムなので、邪魔するなら出てってね」


 子供たちに噛み付いてはいるものの、この世界の文字が読み書きできない私に、学校へ入ることを進めてくれたのはリヒャルトさんだ。

 この町にはひとつだけ学校があり、七歳から十三歳までの約三十人が通っている。リヒャルトさんの勧めで、私も半年だけ編入させてもらった。


 本来は四年の就学期間になっているが、数字に関しては私の世界と同じ十進法だった為、改めて学ぶ必要がなくその分を読み書きや歴史に費やし、半年での卒業に至った。


「さくちゃん、みて~。これ、あってる?」

「どれどれ。......うん、合ってるよ。大正解!」

「やった~」

「さく先生、おれのも見て!」

「あたしのも」


 我も我もと提出されるノートには、私が出した宿題の回答がしっかりと書いてある。

 家の手伝いや働きながらでは、学校へ通っていても授業が受けられない日が多々ある。そういう子達のために、私はこうして店の空き時間を利用して勉強会を開いている。



 最初は空き地で、正に青空教室! といった風情で少人数を相手にしていたのだけど、噂を聞き付けた先生たちにどうかこの子達も入れてやってくれと頼まれて一人、また一人と増えていった。

 雨の日や寒くなってからじゃ困るでしょ、とバイト先の店まで貸してくれたレオンさんとエルザさん。

 口では子供たちに噛み付くくせに、ほんとはずっと最初から見守っててくれたリヒャルトさん。(たぶん、先生たちに噂を流した張本人だと私は思っている。)


 呪いという負荷を背負いながら、それでもこうして笑っていられるのってみんなのおかげだな、なんてしみじみ感動する。


 ふと、宿題の採点から顔を上げるとカウンターで肘を付いてお酒を呷るリヒャルトさんと目が合った。

 銀色の虹彩を散らした灰色の目が優しく揺れて、かと思うと最高級の笑顔でウインクが飛んできた。


「っ……!」


 危ない、あまりにも無遠慮すぎる。

 義理とはいえ娘の私でなければ、完全に恋落ちてた。いや、落とされていた。

 我が父ながら何て恐ろしい。娘相手にイケメンがウインクの無駄打ちをすな。


「なーなー、さくや」

「うん?」


 なんてことをやっていると、学校の中でいちばんの年長、十三歳のルークが袖を引っ張ってきた。

 「どうした?」と言葉を待つも、どうにもバツが悪そうにあっちを見たりこっちを見たり目線を泳がせてしどろもどろだ。何やら耳が赤いな。本当にどうした?


「あ、のさ」

「うん」

「あれは、もう着ねぇのかよ」

「あれ?」

「入学したての頃によく着てたあの、……ヒラヒラフワフワしたやつ」

「あー……あれか」


 ヒラヒラフワフワしたやつ、と言われて直ぐに思い至った。裾が広がっていてレースが何枚も着いた、所謂ロリータファッションだ。


 断固として主張したいのは、あれは私の趣味ではなく、リヒャルトさんが買ってきたものだということ。絶対似合わないと言ったのに次々と買ってきて、着なければ捨てるしかないと泣かれて渋々着ていただけなのだけれど……。


 着てみるとやはり似合わなくて鏡の前で愕然とした。

 あの系統の服は甘めの顔や、そういったテーマに沿ったお化粧を施してようやく似合うものであって、勝気な顔のすっぴん女(つまり私だ)には荷が重い。


 なのにリヒャルトさんと来たら、可愛い、天使、夢みたい、世界一眩しい、俺以外に見せたくない、などと大はしゃぎで妄言を吐き散らかし、その割には自信満々に私を学校へと送り届けるのだ。


 あの頃の町の人たちの痛々しい視線が忘れられない。

 ここでバイトをするようになってようやく自分で服を買えるようになってからは一切袖を通してないし、二度と着ることは無いだろう。


 そう思っていたのに、まさか、リクエストされている、だと……?


「あれ、結構似合ってたと思うぜ……」

「そ、え、そうかな」

「ん。おれ……すきだったし」


 十三歳ともなれば思春期だろう。やはりパンツスタイルよりはスカート、それもヒラヒラフワフワの方が良いんだろうな。レース生地には夢が詰まっているもんね、分かります。可愛いお姉さんは私も大好きです。


 そして、そんな風にはにかみ照れながら言われると悪い気もしない。しかしルークの後ろにうっすら視線を投げると、みんな苦い顔をして目を逸らした。


 あ、はい。デスヨネ。


「こら待てクソガキ。あれは、俺がさくやに買って、さくやが俺のために着てくれた服だ。お前にリクエストされる覚えはねぇ」


 「キモっ」「キツっ」、と同時にカウンターの奥から夫婦の容赦ない言葉が放たれる。それはそう。

 そういえば当時からこの夫婦には複雑な目で見られていた気がする。重ねて言うが、断じて私の趣味では無いですね。


「うっせーリヒャルト!」

「さくは俺の娘だ。嫁にはやらん」

「何だよそれ、別にそういう意味じゃねーし!」

「なら問題ない。リクエスト却下」

「お前さくやの親父だろ! さくやが誰と結婚するかなんてお前には関係ないだろ!」

「はっ、関係あるね。さくやは俺より強くて金持ちで地位と権力があってかっこよくて、何より俺以上にさくやを愛する奴じゃなきゃ渡すつもりは無い」

「はぁ!? なんだよそれ条件多すぎだろ」


 食い下がるルークに、リヒャルトさんは憮然とした態度でお酒を煽った。子供相手にここまで本気になれる大人ってなかなかいないよ。

 私は話を収めるのを諦めて、他の子達の宿題を見るのに取り掛かる。

 食堂夫婦が、「だったら誰にも渡す気ないじゃん」「まじかこいつ」と話している声が聞こえた。


 リヒャルトさん、木こりだよね?

 お金と強さと地位と権力、それほどでもなくない?

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