第5話

 面接でももう手心を加えてくれるほどの親子の会話に疲れ切っていたルイはのんびりと自室に戻りベスが入れてくれた紅茶を飲みながら、ルイが処刑される原因となった出来事に思いを馳せていた。しかし、ある可能性に思い至り、カッと目を見開くとルイはガチャンとティーカップをぶつけながら思わず立ち上がる。

「ちょ、ちょっと待って?もしかして、僕ってもう殿下から婚約破棄されてる……?えっ、一年前ってことは…卒業まであと一年……?えっ、もしかして関係修復も何も、関係破綻してる……?僕ってもう終わってる……?しょけい?」

 いや、いやいやいや、気を強く持つんだルイ。一年前なら卒業の時よりマシかもしれない!大丈夫!まだ勝機はある!今からでもミカエルへの嫌がらせと殿下の付きまといをやめれば、まだ……まだチャンスはある!

 最悪の展開を予想して絶望してしまいそうな自分をなんとか鼓舞し、えいえいおーと拳を1人で突き上げるノア。

 それをたまたま目撃してしまったベスに再びベッドへと縛り付けられそうになるのはまた別の話である。





 








 


 希望はある……!

 ――なーんて、思ってたこともありましたね!!

 ところ変わって学園の校舎裏。

 何を隠そう、初めてミカエルに怒鳴り散らしたところである。人があまり通らず建物同士の陰になっており見つかりにくいこの場所は少しじめじめとはしているものの、誰にも会いたくない時などにぴったりの場所である。

 そんな場所にしゃがみ込み、地面にのの字を書いているのは公爵邸で自分を一生懸命励まして、いざゆかんと戦場に赴く気持ちで足を踏み入れた学園で、見事に希望が打ち砕かれたノアである。

 玉砕した、ものの見事に。それはそれは綺麗に。気分はもはや死刑囚。死ぬ直前に今からお前は死ぬよと言われるのと、死ぬとわかっていて何もできずにじわじわと死に近づいていくのはどちらが辛いのだろうとひたすらに暗いことを考えながら、今朝の出来事を思い出す。

 

 勇み足で顔をキリッと引き締めながら学園へと向かったルイはまずは殿下に挨拶から!と気合を入れていつも殿下が通る廊下へと隠れた。こそこそと怪しさ全開で。

 ……言い訳をさせてあげて欲しい。ルイは悲しきかな、学園生活の3分の2をアーノルドへのストーカーとミカエルへの嫌がらせに費やしていた。恋に狂っていても自分が一般的に見て卑劣なことをしているという負目は一応あったため、アーノルドとミカエルと会う際にはこそこそと待ち伏せして不意打ちをして会うことしかしてこなかった。人間は一度死んだくらいでは習性は変えられないようだった。実際にルイの頭の中に正面から正々堂々アーノルドへと挨拶をするという考えは微塵もない。悲しきストーカーの性である。しかし、今回ばかりはこのストーカーの性が役に立った。この時は知るよしもないが、おそらくルイがアーノルドへと正々堂々挨拶しようものなら、挨拶をする前にアーノルドは元来た道を引き返していただろう。

 そうして、こそこそと人目を気にすること暫し、ようやくこちらへ歩いてくるアーノルドの姿が見えてルイは気を引き締める。前まではこんな風に気を引き締めなくても人と顔を合わせれば自然と被っていた公爵令息としての猫だが、処刑されてから何故か気合を入れないと切り替えられないことが増えたが、必死に逃げようとする猫を捕まえる。アーノルドが通り過ぎる前になんとか猫を被り終え、すっと雰囲気を切り替えアーノルドの前へと踊り出ることができた。流石に目の前に飛び出してきた人間に無反応とはいかなかったのか、咄嗟にといったふうに視線がルイへと向けられた。しかし、次の瞬間アーノルドの顔がかった造形美を持つ綺麗な顔がこれでもかと言うほど歪む。まるで嫌いなものを無理やり口に突っ込まれたかのように。そして何事もなかったかのようにストンと全ての感情を削ぎ落としたような顔つきになった。ある意味ルイはアーノルドの誰にも見せたことのなかった顔を目撃したわけだが、できれば一生見たくなかったと後にルイは語る。美人の真顔は怖いなんてもんじゃなかった。もはや命の危機を感じる。

「……コレット公爵令息。」

 ひえ……。

 怖すぎる。殿下ってこんなに低い声出せたんだ。はい、一目見て分かりますね!機嫌最悪!

 現実逃避でもしなければ、一目散にさっきまで隠れていた物陰に舞い戻ってしまいそうで、浮かべようと思っていた笑顔も引き攣りまくる。笑みを浮かべるどころか9割泣きかけている。

 それでもなんとか処刑回避!処刑回避!!と自分を鼓舞し、友好の第一歩としての挨拶を試みる。

「おはようございます、アーノルド殿下。本日はお日柄も良く――」

「私はミカへと嫌がらせを続けるような卑劣な人間と会話するつもりはない、さっさと退いてくれ」

 まだ話の途中だと言うのに思いっきり言葉を遮られた。

 渾身の天気の話題が通じなかったことでルイはマイナス100のダメージを受けた!こうかはぜつだいだ!ルイはしんでしまった!!

「……はい。」

 腰が抜けるかと思った。思わずひゃい……と裏返りかけた声を渾身の猫被りで抑えて軽く頭を下げ、すっと道を譲る。

 一瞥することもなく歩き去っていった殿下の背中を見つめ、へにゃへにゃとその場に座り込む。

「こ、怖かったあ……!え、嘘でしょ、僕ってあんな殿下に付き纏ってたの?心臓がなかったのかな?」

 バクバクと鼓動が止まらない心臓を抑え、ゼーハーと何故か切れていた息を整える。思わずジワリと浮かんだ涙を頭を振って紛らわせ、ポツリと呟く。

「……処刑を回避するのって、もしかしてもう絶望的?」

 そして、冒頭ののの字を描くだけのじめじめルイへと繋がる。

 ひと言アーノルドと会話……はできなかったが、朝のあの挨拶でルイは理解した。薄々わかっていたつもりだが、ルイとアーノルドの関係はもはや破綻している。ゼロどころかマイナスに突入するほど。

 あの後、ミカエルにもなんとか接触できないかと物陰から眺めたが、彼は常に人に囲まれているため話しかけるのは至難の業だった。

 処刑前の僕はいつ彼に嫌がらせをしていたんだっけ……?

 とルイが思わず遠い目をしてしまうほどミカエルの周りから人がいなくなることはなく、その人々も国で重要な役職を握る権力者の息子だったりで、いかにルイが公爵家であったとしても軽率に近づいてミカエルを呼び出すことはできそうになかった。と言うか近づいたら最後、ぼこぼこに精神的にも肉体的にもされそうで近づくどころではなかった。

 処刑前の自分のガッツにある意味感心しながら、悶々とルイは考えを巡らせる。

 これは……、僕が今からできることはないのでは?

 だって、考えれば考えるほど今の状況は絶望的だ。アーノルドはもはやルイをミカエルに近づく汚物としてしか見ていないような様子だったし、ミカエルの周りもあれだけの人で固めているということは、おそらくルイの嫌がらせを警戒している。ミカエルと仲良くなるためには、まずあの周りの人達をどうにか説得しなければならないのだ。

 だが、ぱっと遠目で見ただけでも、騎士団長の息子に宰相の息子、第三王子の側近候補に王家お抱えの使用人兼暗殺部隊の若きエース。全力でミカエルを囲いに来ている。王家の影どころか、王家が前面に出ている取り巻き達である。ちなみになぜこんなに情報を知っているかというと、処刑前のルイは何か使える手がないかとミカエルの周りの人物を徹底的に調べ上げたことがある。ルイはどちらかと言うと恋には盲目である。少し濁り切っている恋ではあるが。そして、ミカエルの取り巻きを見たときから、ミカエルとの和解とともに最初に予定していた友達100人作戦も望みは薄くなった。何を隠そうルイが友達になろうと思っていたそこそこの権力を持つものたちが軒並みいた。ひとりひとり説得して、友達になっていくのは流石に時間が足りない。何せ今の彼らにとってルイの印象は最悪。関係値マイナススタートは厳しいものがある。そもそも彼らはミカエルに嫌がらせをしているルイと友達にはなってくれない。二つの作戦の望みが潰えてしまった。

 ぶっちゃけ今のルイは処刑一歩手前。たまたま公爵が王都におらず、証拠品を完璧に揃えることができたタイミングがちょうど一年後であっただけなのである。

 せめてあと一年、婚約破棄された直後に戻されていれば、何か打つ手があったものの、すでに時は巻き戻っているのでこれ以上戻ることはないだろう。

 そこまで考えてルイはサファイアの瞳を虚ろにさせて一人ポツリと呟く。

「……じゃあ、もういいか。」

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